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キミやボクじゃなきゃダメな件

 ここ数年、自身の価値観がかなり変わってしまったからか〝宿命〟とか〝運命〟の恋という物に関して、疑問を感じるようになってしまった。
 念のためにいっておきますが、これでも私は生物学上間違いなくおっぱいは小さめだけどちゃんと女の子群に所属しており…。いや、性別に限らず、自分にとって運命のパートナーを思い描いたりすることもあるし、運命の出会いってやつに憧れたこともあった。そして、現在もその類の話は嫌いではない。むしろ、好物かも(笑)。
 ただ、ここ数年のありとあらゆることがありすぎたからか、もうそういうのがお腹いっぱいになりつつはある。
 〝恋〟というか〝愛〟ってやつも食べ物と同じで、腹八分目くらいが丁度いいのかもしれない…とそう思うようになったのだが、どうだろう? あらためてよく考えてみれば、愛ってやつは〝源泉かけ流し〟だと思うようになった身からすれば、常に溢れ続けているわけだから、お腹いっぱいの状態ってことになるんじゃなかろうか?

 さて、なぜ、私が今回この件を考えることにいたったのかというと、ここ数年流行していたラブソング群を聞き、その中でも、大・大・大ヒットしちゃった映画「君の名は」の主題歌となったRADWIMPSの「前前前世」やクリスマスソングといえば、山下達郎氏の「クリスマスイヴ」を彷彿させることとなった、bucknumberの「クリスマスソング」を聞いていて、男性のほうがロマンチックなのかな?とか、実は男子のほうが、運命の恋とか運命の人とか…好きだったのかな?なんて思うようになったことがキッカケだ。
 音楽の授業以外で音楽を聴くようになった頃のラブソングを振り返ってみると、ずっとずっと昔から〝キミやボクじゃなきゃダメなんだ〟っていう言葉の語彙が時代背景と共に変わっただけなのだということに気がついた。( というか、それにしても至極どうでもいいことだな…。とにかく、思いついたらずっと頭の中の片隅にその情報が居座り続けてしまう私のこの脳みその体質はどうにかならんものなのだろうか…。ああ、ついつい他の話題に脱線してしまいそうになる…。)
 ということで、執着が人一倍強かった私も、ここ昨今の恋愛事情っていうか情事?のお陰で「あなたじゃなきゃダメだってわかってるんだけど、もう他の人でもいいの。だって、今は、目の前にいるあなたが好きなんだもの」で一旦収束してしまった。
 というのは、昨年から好きになったofficial髭dismさんの「Pretender」を聞いたことが大きい。『君はボクの運命の人じゃない…』という下りからの『君は綺麗だぁあああああ』のあのサビで腑に落ちてしまったのだ。というか、初めて聞いた時、自然に両目から涙がこぼれおちた。自分でも驚いた。というか、そういった類の涙が流れたことは過去に何度かあったが、アップテンポな曲でそういう類の涙が自然に流れたことはなかったからだ。運命の人だとか信じこみすぎていたのか、なんだか目が醒めた瞬間のようにも感じた。
 そうなんだよ!その通りなんだよ!運命の人がボクじゃあないってのはわかってても、止められないこの胸キュンなボクの気持ちの行き場。そんな気持ちが「キミは綺麗だぁあああああ」で片づけられた感覚というワケではなく、ただただ、そうそう言語化上手いな髭男さん!ってくらいなぐらいに思ったのだ。 大分年下の人たちに教えていただき、神様なんじゃないかと思った。(いいすぎかなぁ?)だからといって、数々のアーティストの方たちのキミやボクじゃなきゃだめなのよラブソングを否定しているつもりはない。でも、肯定もできなくなってしまった。

 何故かといえば、髭男さんに「Pretender」に限らず、bucknumberさんのクリスマスソングの最後も「キミが好きだぁ」とかじゃない? で、RADWIMPSさんの「ボクにできることはまだあるかい?」の最後なんて「ボクにできることはまだあるよ」で終わりじゃない? もうですね、やっぱそういうことなんですよ。言語域で片づけるモノではなくって、能動的に感じたことがなんか溢れてでちゃった言葉群なのかもねぇ。。。なんて、四捨五入すればアラフィフになる筆者は思ったであった。というか〝それでいいのよってことなんじゃないの?今感じてるあなたのその気持ちを大事にしなさいよ。ただし、その想いが相手と同じかどうかは定かじゃないけどね…〟ってことでいいですか?神様?




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