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仮想身体(アバター)の身体性のお話 その2
■力を使わない力
武術では、筋力だけで攻防を行うことはまず無い。
筋力は使えば使うほど体の硬直を招くからだ。
攻撃にしても防御にしても、力んで行えば必ずその部位が硬直する。
体験するとすぐにわかるが、力んだ攻撃は簡単に止められるし、防御しても防御ごとひっくり返えされてしまう。
それはどこがその動作を行っている始点なのか読まれてしまうからだ。
故にそうした力の使い方は行わない。
どんな動作でも始点を見つけられてしまえば、簡単に攻略されてしまう。
なので始点はわからないようにしておくのだ。
どうやって始点を隠しておくのだろう?
始点を隠した状態というのは、接触していてもその動作の始点はわからない。
なのに、力は確実に起こっておりその影響を受ける。
もしかすると、隠している本人にも始点がわからないのではないだろうか。
本人にも始点がわからないのに、どうやってコントロールしているのだろうか。
■イメージという力
とある武術では、イメージによる力を非常に重要視する。
こんな風に書くとオカルトめいた事を言ってるなぁと思われるかもしれないが、身体操作においてイメージは成果につながる重要な位置を占めている。
スポーツ選手でも試合が始まる前までに、たくさんの練習と成功しているイメージトレーニングを繰り返す話は今では有名なトレーニング方法だろう。
上記のスポーツ選手のイメージトレーニングは、個人的な解釈では練習を積み上げてきた自分自身を信じるというマクロなトレーニングだが、今ここで言うイメージの力とは現実的な作用のあるミクロな『技術』である。
■伸び続けるという意識
昔、武術のデモンストレーションで流行ったパフォーマンスがある。
被験者に右手をまっすぐ前に伸ばしてもらう。
この時、なにをされても曲げないように伝える。
次に術者がその手を肩に置き、肘の辺りに両手を引っ掛けて軽く体重を掛ける。
当然、被験者の腕は耐えきれずに下に曲がる。
構造上曲がる側に力を掛けたのだから、曲がるのは当然だ。
いかに耐えようとも堪えきれるものでは無い。
今度は伸ばした右腕から消防車の放水の様に勢いよく水が吹き出している様子をイメージしてもらう。
その状態のまま、術者は同じように肘に体重を掛ける。
するとどうだろう。
先程よりも曲がらずに耐えられるのだ。
もちろん、構造の問題があるので過剰な重さを掛けると曲がってしまうのだが、格段に耐えやすくなる。
これはイメージが発揮する力の体験テストとしてよく行われていた。
このデモンストレーションは、「イメージという力の存在証明」が目的なのだが、いつの間にか武術パフォーマンスとして独り歩きしてしまいだした。
その結果は言わずもがなである。
目的を履き違えたのだから仕方ないが。
閑話休題。
この『伸び続けるイメージ』。
これはとある武術での要となる要素である。
■淀みの無い力
上記のデモンストレーションは、イメージの力の一例と書いた。
これの利点は力の始点が他者から認識できなくなる事である。
続けて利点を挙げると、体本来の骨格構造による力が出るということ。
なぜイメージの力を使うと骨格構造の力が使えるようになるのかと言う理由だが、言い方の順序としては逆で、「骨格構造の力を使うならイメージで行うのが良い」が正しい。
それはなぜなのか。
多くの人は、自らの緊張や内臓・筋肉の疲労による硬化(いわゆるコリなど)よって可動域が制限されている。
過度の緊張で力んでいる為、どれくらいの荷重が掛かっているのか掴めず、力を出す時は部分的な筋力に頼るため、力学エネルギーのロスが大きい。
イメージによる動作になると、必要な部分のみの操作で、必要な威力が出ることを練習の過程で経験していく為、不必要な部分の操作を行わないようになる。
その結果、力まない身体操作を行う為、縛りの原因となる過緊張やコリも解消され、可動域が本来の範囲になる。
上記の結果、体内で流れを阻害されていた血流などの体液が再び流れ出し、硬化していた内臓も働きを取り戻して正常化される。
全身に力みが無く、感覚を阻害するものが無くなるので、自身に掛かっている荷重を的確に判断することができ、また、荷重に対して適切な量の圧力を骨格操作で出力できるようになる。
パワーのメインが筋力ではなく、骨格構造になる。
腕周りで言えば、筋力では腕を力んで使うので、肩が持ち上がり体感の骨格構造から浮き上がる。
その為、攻撃を受け止めた時に浮いた部分を筋力で固めねばならず、結果衝撃を受けきれない。
イメージになると、力まないので肩や肩甲骨が落ち、体幹の骨格構造に組み込まれる。
攻撃を受け止めても骨格全体で受けるので、腕の力のみで受け止めるよりも楽に止めることができる。
攻撃をする時も、力むと腕を振り回したり、または肩を浮かし肘を上げて突き出すようになる。
骨格構造で行うと、骨格全体で連動して打ち出すので動き全体は小さく、それに反して連動した総計なので、圧力・力学エネルギーは大きくなる。
筋力と骨格。
固めた時にどっちが衝撃を止めることができるか、また、ぶつけた時にどちらが相手に与えるダメージが大きいのか。
それは、粘土と鋼くらいの違いがあるというと、わかりやすくなるだろうか。
■とある武術家の身体構造
武術家の体は骨格構造で連動して動く。
なので、見た目が勢いが無いように見えても、触れるととんでもない勢いがある。
突き1つ打っても、体が連動した結果なので簡単には止められない。
例えるなら巨大な津波みたいなものだと言えばいいだろうか。
外からは見えないけど最終的に出た拳は、とんでもない高さから雪崩落ちてくる津波の先端だけが見えているにすぎない。
打った側から言うと、筋力で踏み込んで突き出した突きではなく、噴射したジェットエンジンのような推進力に押されて拳を伸ばした状態なのだ。
自身ではなんらパワーを振るった感覚はない。
そのくせ当たると相手が軽く吹き飛んでいく。
これはとある武術での一例だが、キチンと構造に乗るとこの様になる。
■アバターに力学エネルギーという概念と作用を加える
では、この武術家の骨格構造の仕組みをアバターに組み込むとどうなるのか。
VR、というか、ITの世界では物理演算という言葉がある。
これは「物理現象をコンピュータでシミュレーションする」事を指す。
当初はミサイルやロケットの弾道計算に用いられていた。
今では大気や海水の流れをシミュレートしたりと物理法則を仮想的に演算することで、様々な開発や研究に役立てている。
この物理演算は、一例としてはゲームで用いたりしている。
例えばゲーム内のオブジェクト(物体)が吹っ飛んだ時にリアルに落下する様子を表現をする時に用いられたり、フライトシミュレータでも使われていたりしている。
これをアバターに用いればどうなるのか。
ゲーム制作に詳しくない人間が言うには出過ぎた発言になるかもしれないが、それでもあえて想像したことを言うならば、アバターに骨格を導入し、その骨格に掛かる荷重を演算すれば、そのアバターの動きひとつひとつが「重さ」のある動きになる。
「重さ」を持ったアバターがオブジェクトを叩けば、その荷重がオブジェクトに掛かり、弾んだり動いたりする様子が物理演算によって表現される。
これは「叩かれた動きを表現するプログラム」で表された動きではなく、「実際に現実ではどう作用するのか」を計算して再現されているのである。
では、とある武術の動作を、骨格を導入されたアバターが行えばどの様に演算されるのか。
それは、武術の力学を余すことなく再現できるのではないか。
筋力硬直の要素を「0(ゼロ)」とした、100%純粋な骨格動作により発生した力学エネルギーを実現できるのではないか。
(現実では最初に筋力が必要だが、ここでは省略させていただく)
あのジェットエンジンに押された様な感覚も、相手の「重さ」につながった感覚も、物理演算というアシストを得て、より簡単に再現できるのではないか。
そうなれば森の中を跳ね回る時の圧縮して弾くゴムまりのような身体感覚も、分厚いゴムの様な筋肉に叩き込んだ愛剣に伝わる弾力も、禁忌の魔法を行使した際に体を駆け回る魔力の反動も再現できるだろう。
(もちろん現状の市販PCよりもさらにハイスペックなPCが必要になることは間違いない。
また、身体感覚を感じるためのデバイスも必要である。
そうした現実的な演算の軽量化・身体感覚化の問題は、専門家に譲ることとする)
■「ソードアート・オンライン」の極意『システム・アシスト』
〜達人の動きを無理なく再現するシステム誘導型モーションアシスト〜
唐突だが、ここで参考にしたい作品を紹介させていただこう。
「ソードアート・オンライン(以下、SAOと表記)」という作品をご存知の方は多いと思う。
すごくざっくり説明すると、デスゲームと化した電脳ゲームの世界に囚われた主人公達が、仲間達と協力し脱出する物語だ。
こう書くと最近の物語としては多々あるタイプだが、小説から始まってアニメ映画ゲームとクロス・ミックスメディアし、結果大勢のファンを惹き付ける巨大コンテンツとなった。
SAOが持つ大きな特徴として、最初に「フルダイブ」が挙げられる。
・「フルダイブ」
SAOは「フルダイブ」という全感覚没入技術でゲーム世界に"ダイブ"してる。
この「フルダイブ」は人間の五感のみならず、体性感覚という皮膚感覚や内蔵感覚、深部感覚をも再現する技術だ。
つまり、ゲーム内で食べたり飲んだりすると、実際に食べ物を噛む感覚、飲み込む感覚、お腹が温まって体が緩む感覚までも再現できるという事なのだ。
もちろん、体を動かせばその通りに動くし、歩けばSAOの「フルダイブ・ワールド(全感覚没入世界)」をどこまでも行ける。
・「ソードスキル」
次に挙げられるのは「ソードスキル」だろう。
これは「魔法」が無いSAOの世界で、唯一システムで設定されているスキルだ。
アバターが「ソードスキル」が発動する起動の構えを取ると、ゲームシステムが達人の剣技を自動的に再現してくれるシステムだ。
これを使用すれば、誰でも「剣の達人」になれる。
この「スキル」は多岐に渡り、「魔法」以外ならほとんどなんでもあるのではと思うほどレパートリーは広い。
先ほど「ソードスキル」は起動の構えを取ると、ゲームシステムが自動的に達人の剣技を再現してくれると書いた。
このゲームシステムが技術を再現してくれることを、SAOの用語で「システム・アシスト」と呼んでいる。
・「システム・アシスト」
「システム・アシスト」とは、特定の技術を円滑に行えるように支援してくれるシステムだ。
これの利点は、プレイヤー本人では修得していない技術を、システムがアバターを通して実行してくれるという点だ。
この利点は大きい。
「システム・アシスト」は体ごと技のモーション(動き)を自動的に行ってくれる。
技のモーションが終わる時は、敵を葬った後だ。
ここまでSAOの特徴を列挙してきたが、最後の「システム・アシスト」が今回取り上げたい要素である。
フルダイブだからこそ語りたい内容が無理なく語れるのではあるが、この「システム・アシスト」は達人が行う絶技をアバターに再現させる事ができる。
つまり、達人の身体運用を体を通してプレイヤーが体験できるシステムなのである。
瞬間的に溜め込まれるバネ、弾かれて踏み出す足、ジェットエンジンに乗っているかのように前に押し出される腰、驚異的な勢いにもかかわらず姿勢を崩さず保たれる身体バランス、勢いの全てが剣に乗り敵に叩き込まれる衝撃・・・これら全てをプレイヤーは体で味わうのだ。
大事な事は、「達人の身体運用をプレイヤーが体験的に学ぶ事ができる」という事である。
学んだ感覚は、フルダイブから抜けた後の現実でも活かすことができる。
もちろん、達人になるまでのトレーニングをしていないリアルの体ではすぐに再現する事はできない。
できないが、体験した感覚を求めて繰り返し繰り返し動作を反復していくことで、じょじょに再現し、近づく事ができる。
あなたは、あの感覚を追い求めて、何度も何度も、『再現』を繰り返すだろう。
これは究極のイメージトレーニングである。
イメージトレーニングは数あれど、多くは最高時の自分を再現したり、ざっくり「こんな状態」をイメージするまでであろう。
「他者である達人の身体操作」の経験を自分のイメージに置ける方法は、おそらくこの「システム・アシスト」以外にはまずない。
そして、この身体操作感覚で行うイメージトレーニングは、リアルの体で必要な部分のみを的確に再現する。
余分な力みを発生させない「脱力」、骨格動作を行うための「イメージ」、体の骨格が的確に組み合い、発生した圧力と力学エネルギーが「全身を伝播していく実感」、そして実際に身体が駆動し躍動する「現実感」。
武術において伝承したい事が、一番苦労するこの部分が、これほどのリアリティを持って正確に伝える事ができるようになる。
この『フルダイブ・システムアシスト』なら。
■共有される「達人感覚」
このフルダイブの「達人感覚」はデータなので、インストールすればすぐにマイアバターで体験できる。
1つの「達人感覚」を、ネット上なら何万人もが体験できる。
現実では長期間に渡って少しずつ出来上がっていく感覚を、ネットなら一瞬で体験できる。
これはなんと驚異的な事だろうか。
また、「達人感覚」の種類は武術に限らず、考えられる全てのジャンルに存在する。
例えば、「達人感覚/操縦(バイク)」や「達人感覚/料理(イタリア風)」「達人感覚/整体(指圧)」「達人感覚/スポーツ(サッカー)」「達人感覚/舞踏(バレエ)」などが考えられるが、これはほんの一例である。
こうして考えていくと、アバターに学びたい身体感覚をインストールしてプレイヤーが体験するという過程は、新たな学習方法になる可能性を秘めている。
先程の例の続きで、以下のような達人感覚があればどうだろうか。
例:「達人感覚/体育(跳び箱)」「達人感覚/家庭科(裁縫)」
これは限定的すぎる達人感覚だが、学校で(部分的に)大活躍間違いなしである。
技術には知識、特に経験による知識が必要なので、感覚だけ学んでもなかなか生かせない部分もある。
その部分は実践してみることでどんどん達人感覚と合致していくし、合致していけば行くほどそのジャンルにのめり込んでく様になる。
その体験は、まるで「知っていた/経験した」ことがある様に感じられるかもしれない。
■能力がシェアされる世界
今回紹介した観点は実現した世界の共有能力を大きく引き上げる可能性を持っている。
今回の内容では身体感覚までだが、もしこれが知識やセンスまでの共有を可能にできたなら、誰もが様々な能力を、自在に格段の速度で修得してしまったら、個人の能力という格差は意味消失してしまうのではないか。
もし、世界がそこまで辿り着いたなら。
そうなった時、改めてなにが能力と言われるのか、問われ直すのかもしれない。
20180607 仙龍雲 空人