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871ンスタライブ #051(一人喋り)

871ンスタライブ #051
2021年4月29日(木)

1人喋りでお届けした第51回。コミュニケーションにまつわる話から入り、気遣いはどこまでするべきか?、チーム内にやる気がない人がいる問題、ロックの定義とは?、中指を立てる表現はあり?なし?など、様々な話題が展開された1時間となりました。

主催:柳井貢(以下:871)

(871) こんばんは!
皆、祝日どうでしたか?ゴールデンウィークが始まりましたか?今日からなのかな?世の中的には。

「仕事でした」
「まだ仕事です。」

皆、忙しいね。僕もさっきまで打ち合わせにZOOMで参加してました。

「緊急事態宣言が出てバイト先の飲食店の客足も減っていたのですが、祝日ということもあって今日は賑わってました。」
賑わってたのね。コメントしづらいよね、それ。よかったっちゃ、よかったし。

「TALK&MUSEUM TOURの奈良、お邪魔します。」
ありがとうございます。

「VIVA LA ROCKに行く準備してました。」
気をつけましょうね。みんなね。皆で気をつけながら楽しみましょうね。

「私はゴールデンウィークないです。」
仕事かな?ずっと。

「保護者会にネットで参加してました。」

「緊急宣言が出たのでお店が閉まってしまいバイトがなくなっている状態です。」

「VIVA LA ROCK開催できてよかったです。」

「久しぶりのリアタイです。宜しくお願いします。」

「出歩いてる人が結構いるなぁと感じました。」


皆さん、ありがとうございます!

「長らく在宅勤務のパートナーは休日に関係なく仕事をしているので私もなんだか休んだ気がしません。」
なるほどね。うちの奥さんもそうなのかもしれないな。


50回終わりましたね。去年とか今年の正月の時点では、もうちょっと早くいくかなと思ったんですけど、3月あたりからペースがゆっくりになって。4月いっぱいかかっちゃいましたね。まぁこのペースで行くと、年内ぐらいで100回いけたらいいなぁとは思っています。誰を呼ぶのがいいんだろう?とか、何の話をするのがいいんだろう?とか、色々ぼんやり想像してたりするんですよね。誰に向けてこれを配信するかとか、自分の発信をしていくのかみたいなことは、まぁ悩んではないんですけど、色々な方向性があるなー、と思ってはいますね。

もうちょっとミュージシャン呼びたいなぁ。当初は呼ぶ予定だったし、最初の頃は結構担当のアーティストを呼んだりとかしてたから、メンバーとも話したいなーっていう気持ちもあります。あとは、音楽のお仕事をしたい人に対して、もう少し仕事に寄った感じの一、僕が音楽の仕事をしてる中で思ってる事を伝えたり、それが違う仕事をしてる人の役に立ったりしたらもいいなぁ、って思ったり。まあ、そういうことがあるならね。

今日はそんな中で、何を話そうかなって考えてたんですけど、意外となにか質問を募集したりすると、コミュニケーションとか会話とか、そういう部分で質問を頂くことも結構あるので、そういうことについて自分がどうだったかなぁって振り返ったりしてみようと思ってます。

どっかでチラッと話た気がするんですけど、それこそぴあの連載とかの最初の頃に言ったのかな。僕、小学校3年生と4年生で、合計して多分1年ちょいぐらいしか(学校に)行ってないんですよね。なんで行ってなかったのかちゃんとは覚えてないんですけど。で、中学一年生の頃かな?3ヶ月〜半年ぐらい「あれ?これはいわゆるいじめられてる類のやつかも」みたいな時期がちょっとあったりして。まぁ言っても、無視されるみたいな、シカトされて誰も喋ってくれないみたいなライトなやつでしたけど。で、僕サッカーやってたんですけど、サッカーでハブられるとパス貰えないっていう、そもそもゲームとして支障が出るみたいなこともあって。そういう問題をどうやって解決するのがいいのかなー、みたいなことは当時からよく考えてました。

今でも立ち返ること結構あるんですけど、やっぱなんだかんだ言ってそのムードみたいなこと?がすごい大事だなぁと思ってます。クラス、部活、サークル、バイト、何でも良いんですけど、自分が身を置く、取り巻く環境のムードってすごく重要だなと思っていて。僕、大阪の初芝高校っていう高校のサッカー部だったんですけど、ものすごい強い!ってわけじゃないんですけど、たまに上位食い込むみたいな感じだったんです。で、一度、新人戦っていう大会で、大阪で2位になったことがあって。高校1年生の三学期の頃かな?僕は試合出てないんですけど、ベスト16決めくらいの試合で強豪校を倒して準優勝まで行くんですけど、そういう何か事を起こしたりだとか、結果を出す時のチームが持ってる雰囲気って、やっぱ凄く「何かやれる気がする」みたいな状態にあるんですよね。打ち合わせしててもそうだし、練習しててもそうだし、企画を考えたり何かの準備をしてたり、一個の目標とか成し遂げたい結果に対して、関わってる人達がすごくポジティブな空気感で取り組んでいけるっていうのが、結果を出すことに対してすごく重要だなっていうのは常々感じています。そういうムードだったり雰囲気っていうのは、自然発生的な時もあるんですけど、ある程度はそこに参加する人達が意識的に生み出せるものでもあるなっていうふうに思っていて。そのムードを率先して作れたらいいなぁって意識しています。まだまだ全然試行錯誤中ですけどね。

例えば、コロナとかわかりやすいっすよね。誰が悪いわけじゃないけど、やろうとしてたことがやれなくなるとか、これまで普通にやってたことがやれなくなるとか、やめないといけなくなるとか。そういうことがあるときに、政府の事を文句言ったり、自治体のルールに文句言ったり、あとは「○○の業種はこうなのに、ここの業種はこうでー」とか。そういう愚痴めいたことって言いたくなるし、言いたくなる気持ちもものすごくわかるんですけど、そういうネガティブな発言とかワードって改善には繋がらないよね。

っていう中で、自分が影響できることと影響できないことをー…、例えば、僕1人が「来月にコロナが収まるように何かをしよう!」って言ったところで、僕1人の力じゃ何もできない。予定してるイベントができるか、できないか、は僕にはなんとも影響を及ぼすことができない。じゃあ仮に出来ないなら何をやろうか?とか、どういう風に考えていこうか?みたいな、自分のやれることとそうじゃないことを切り分けて、自分、もしくは自分たちにできることを如何にやれそうな空気感を発していくか。そういう空気感を発しようと思うと、周りの文句だったり愚痴だったりを自分が延々と言っていても、そういう空気感にはなっていかないだろうな、と思います。
そんなことは意識しています。

それは、最初に喋った過去の自分の経験の中で培われてきたものでもあるんだろうなぁと思います。中高とサッカーやってる中でもそう思ってたし、大学中から大阪のclub STOMPっていう小さいクラブで、途中から店長になって25歳までそこにいたんですけど、その店を切り盛りしてる中でもそんなことを思っていたし。

でもやっぱり20代は一回見失いかけてた時もあるかもしれない。自分をどうしても過大評価しちゃったり、プライドが勝っちゃったりする中で、ムードを優先するよりも、「自分はこう思う!」とか「それは間違ってると思う!」みたいな主張が勝っちゃって、自分が時にムードを壊してしまったりとか、ネガティブな空気感を作ってしまってた時もありそうだなぁ。っていうのは振り返ると思いますね。特に20代は。店やってる時は結構カリカリしてたなあと思う部分もあるし。バイトの子にブチギレてたりとかもしたしなぁ。当時は。

「自分が出来ることと出来ないことを分けるのも難しいところがありそうですね」
「そういう風に(ムードを良くするように)考えよう!」って捉えられていると、そんなに難しくない気がしますけどね。突き詰めると回りまわって出来ること、っていうのもあると思います。
例えば、政府の緊急事態宣言を出すか?出さないか?みたいなことに、今日、明日、明後日僕が直接的に関わることはできない。だけど、大きいストリームの中で"選挙に一票投じる"っていうことはできる。今やっぱり皆行政、政治に対して色々言いたい気持ちもあるし、言うのは全然いいと思うんですよ。言うことでムーブメントを作っていくこともすごく大事だし、主張することも大事だし。ただ、僕が一番心配してるのは、その結果、地方自治体も含めて、投票率が上がってこないことには行政変わらないということ。投票率上がるといいですけどね。上がるかなぁ、この感じのままで。どうだろうなぁって思ってます。もちろん文句言えばいいと思うしムーブメント作ってほしいなとも思うんですけど、選挙行かなきゃ意味ないよっていう。出来ることと出来ない事っていうのはそういう部分もありますね。直接的に自分に出来ることを正確に把握するのはすごい大事だなと思ってますけどね。

コミュニケーションの話に戻ります。
まず、自分が身を置く中でムードを作るっていうのはすごく大事だなぁと思ってます。で、それのちょっとしたきっかけ?みたいなこととして、自分の領域を決めすぎないっていうのも一つあるなと思ってます。

例えば、学生時代にクラスの中で掃除係とか給食係とか生き物係とか、そういう係があったとします。小学校、中学校は、"誰々がやるってことにしましょうね"っていうのを決めないと誰もやらないから(係を)決める。っていうのがあると思うんですけど、それは基本"やりたくない"っていうのがベースにあるので、なかなか難しいなと思うんですけど、その中で自分の信用度とか信頼度とかを上げていくのを考えた時に、掃除係じゃないのに掃除してるやつとか、もしくは掃除係に対して配慮があるとか。そういう人ってそのクラスだったりグループに対する良い影響を与える存在になるなぁと思っていて。

例えば僕の仕事の現場でも、それぞれ役割があるんですよ。音響さんとか楽器さんとか照明さんとか舞台監督さんとかライブ制作さんとか、メンバーもそのうちの1つですね。演者さん。で、例えばですけど、「俺は音響係だからとにかく良い音が作れて、良い音が出せていればそれでいいんだ」っていう考えの音響さんがいた時に、もちろんプロフェッショナルとして自分が担ってる役割を最高のクオリティで担保するっていう役割はもちろん大事なんです。それはすごく重要なんですけど、こうだったらよりいいよなーっていうので言うと、コンサートで、例えば音響のブースの真横でちょっと気分が悪くて倒れちゃったお客さんがいた場合に、「なんか倒れた人いるけどそれはまあ運営の仕事でしょう?」っていう音響さんの方がいいか、「あ、やばい。倒れた人がいるからちょっとスタッフ呼んであげなきゃ」って動ける、もしくはその意識が持ってる音響さんと、どっちがいいか?で言うと、圧倒的に後者がいいなと思うんですね。で、今の例え話でいうと「そりゃそうでしょ」ってみんな思えると思うんですけど、意外と自分の役割の領域を超えてトータルのことを見るとか、自分の守備範囲をどこまで広げられるか、っていうのは人によって結構差が出る部分だったりするんですよね。

要は、僕らのコンサートの仕事で言うと、じゃあその日のチケットの売れ枚数がどれぐらいで、どれぐらいお客さんが来るのか、とか。運営に支障が与えられないように自分のセクションはどうあるべきかとか。自分のセクション以外で何かトラブルがあった時に自分のセクションはどういうふうに協力ができるのかとか。そうやってトータルで、お客さんがなるべくストレスなく不安なくエンターテイメントを楽しめて、安全に会場を後にするまでを遂行できるか、っていうのがエンターテインメントを提供するサービスとして1番重要なことなので。そういう俯瞰視をすることができる人達っていうのは、ムードを作るっていうところに通じてくると思っています。なので自分もね、「マネージャーだからこれはする」とか「マネージャーだからこれはしない」とか、そういう考え方は基本的にしないように心がけています。

今では、そんなこともあったな〜、みたいな話ですけど、それこそ大きくない会場でダイバーが多くて、用意してるアルバイトさんだとちょっと足りなさそうだな、みたいになると、自分も率先して…まぁ自分が行く以外にもね、その他のセクションの人に「ちょっと手を貸して」って言ったり、っていうようなことも含めて気にするようにしたり、自分自身も意識していますよ、っていう感じです。

無理矢理、ブン!って話をくっつけちゃいますけど、アルバイトの人間関係が嫌だなーとか……あ、特にあれが辛いっすよね。自分は真面目にやりたいのに周りが不真面目、っていう。自分はこのバイトでお客さんと良い関係を築いて、自分の将来にとって良いプロセスになればいいなって思いながら働いているのに、他のアルバイトのバイト仲間がただただ時間が過ぎるのを待っている、やる気の感じられない仲間しかいないバイトの社会性みたいな。ああいうのはすごく大変だよね、辛いよね、と思うんですけど。そういう中でどういう設計をすればそのやる気ない人達がモチベーションを持つことができるか、もしくは、やる気ない人に辞めてもらう、っていうのもグループを形成する中で一個重要な考え方だったりもするので。とにかく自分の身を置く環境が良い結果に辿りつけるように、如何に自分が考えて立ち振る舞いができるのかっていうのは結構重要なポイントですよね。そういう考え方っていうのは、自分が楽しく生活するためにもすごい重要だなと思います。やる気ないバイト仲間とうまくやる必要は基本的にないんじゃないかな、って思うし。

ちょっと30分くらいワーッと話してしまいましたが、コミュニケーション、自分が身を置く環境、社会性みたいなことで何か思うことや質問もしあれば、コメントいただければ答えますよ。

基本的に悩みの大体が人間関係の悩みなんじゃないかなぁ、っていうのはありますよね。どうなんだろう。みんな。悩んでることって大体人間関係じゃね?っていう。表面的に人間関係のことじゃなさそうだったとしても、掘っていくと実はは人間関係だなー、みたいな。……人間関係って面白い言葉だな。変な言葉。犬関係とか猫関係って聞いたことないもんね。やっぱちょっと特殊ですよね。地球上に存在してる生物の中で。社会性を持って生存していくっていうのが動物としての人間の生存戦略なんで、関係を断つことが生物的にできないのが人間だなぁと思うんですけど。

あれ、若干あれかな。テーマが真面目過ぎてコメント入りずらいのかな。まあそれも1個の実験として僕は面白いなと思ってみてますけど。あの本当に、正直日本人の、なんて言うんですかね。ちょっと大人数になって「質問ある人!」とか「意見ある人!」っていう時に、手を挙げられない…民族性?まぁ民族性つっても、僕アメリカとか他の外国ちゃんと知らないから、海外でもそうなのかもしれないてすけど。学校でよくあるじゃないっすか。体育館とかで外部の講師の人が来てくれて、わーっと何かについて喋って、「じゃあ最後に質問とかある人いたら手を挙げて下さい!」…………シーン。みたいな。あの"シーン"の状態って、大人になっても全然あるんですよ。僕も気持ちわかる部分もあるし、真面目に聞いてなかったからちょっと聞くことすら思い浮かばない…みたいな。自分もそういう場面はあるし、まあ社会性としてああいう場面むちゃくちゃあるなぁと思ってて。あの時間がすごく苦手というか、無駄だなぁと思っちゃうんですよね。もったいないなぁって。だから、自分の仕事関連で言うと、情報を共有するだけで済む打ち合わせなのであれば別に人数多い方がいっぺんに情報を共有できるので人数多くても問題ないと思うんですけど、意見交換をする中で、何か企画を考えたりとか、プランを練ったりスケジュールを組んだりっていう打ち合わせに関しては、ある程度人数少なくしないと議論が活性化してないっていうのあるんですよね。

お、面白いコメントきました。これ、わかるというか…読みますね!
「同じ部署なのに、それぞれのチームリーダーが"自分のチームを守る!"っていう感じが強く出ていて、それぞれのチーム、もしくはチームリーダーがギスギスしているのが辛いなと思ってます。」
はい。耳が痛いです。
HIP LAND MUSICは、produce 1、produce 2、produce 3、produce 4ってマネージメントのセクションが4つあるんですけど、僕はそのうちのproduce 2のリーダー的ポジションをやってるんですけど。それこそ一般業種で言うと、マネジメントのセクションっていうのはどうしても営業部みたいなチームになるんすよ。だから営業一課、営業二課、営業三課、営業四課みたいなことなので、やっぱりその中で結果を出して、チームを守りたいとか、良い結果を出して会社に貢献して、自分ないし自分のチームのスタッフを守っていきたいっていう気持ちはすごく分かりますし、そういう気持ちが先立っちゃってる場面がたまにあるかもって思うので、今耳が痛いって言ったんですけど。

それは本当に良くない状態。自分もここ2〜4年ぐらい気をつけるようになってきてるんですけど、やっぱりそれもさっき言った、役割やセクションを限定しすぎないっていう中で、一個の会社として、もちろん一個の仕事を進めるためにこのチームのムードを良くしなきゃいけないっていうのはあるんですけど、経理部、総務部、人事部っていう色んな部署の人達、もしくは同じ部署の違う課の人達っていうのが、いかにコミュニケーションをうまくとって会社全体としていいムードで良い結果に導いていくのかっていうのは凄く重要なので。やっぱりチームリーダー同士がうまくコミュニケーションが取れてない状態って、そのチームに所属してるスタッフ一一このコメントをくれている方がそうだと思うんですけど一一にとっても良くない状態だし、それはなるべく改善するべき大きな問題ですね。

だから僕も意識してます。いかに横のリーダー同士でちゃんと刺激し合いながら、重要な情報を共有したり、お互いの得意・不得意があった時にちゃんと相談し合える関係性が持てるかどうか、みたいなことは、結構重要だなぁと思ってます。あとは、チームに属する人同士でのコミュニケーションを、なるべく自分が邪魔しないようにするっていう…今、続いてコメントを貰いましたね。

「スタッフとして何か出来ることはあるんでしょうか?」
これは、今そもそものもらったコメントの方が、そのチームに属するスタッフとして、何か出来ることがあるかどうか?っていう追加の質問をいただいたんですけど。
じゃあ、10人のチームが4つあったとして、その10人の中でのどのぐらいのポジションにいるのかによっても変わってくると思うんですけど、何個かやり方はあると思うんですよ。もし自分が2番手ぐらいにいたら、自分がリーダーと入れ替わっちゃうか、違う10人のチームを自分が作るかみたいな結構実行的なことができる可能性もあると思います。ただ、3番目、4番目、5番目とか、7〜9番目とか、っていう…まぁ別に順位なんて明確にはないと思いますけど、まだ先輩がいっぱいいるとか、まだ入って2〜3年っていう状態であれば、まずは「チームリーダー同士が喧嘩してるのってトータルで見た時に損することの方が多いよね」っていう自分の考え方を共有出来る人達を増やしていく。っていうのは一個重要なことだと思います。なんか「うちの会社ってさぁ、リーダー同士喧嘩してるからしょうがないよねー」で終わらないようにする、っていうことですね。だからどうしたらいいのか。じゃあ私たち横の関係でコミュニティを作っていこうよ、っていうこともありだと思うし、そういう考えがそれぞれのチーム内に伝染していくことで、それぞれ上のスタッフにそれを啓蒙していくっていうこともできるかもしれないし。もちろん会社やチームの規模にもよると思うんですけど。
リーダーっていうのはそれぞれ何か違う優れてる部分があるからリーダーをしているんだと思うんですけど、リーダー同士があまりにもギスギスしているんだとしたら、会社全体として組織マネジメントをすることに関して、リーダー達にウィークポイントがあるっていうことなので、そのウィークポイントをちゃんと何らかの形で指摘をしていくようにするっていうことですね。あとは具体例を通じて。「こういう場面で損してますよ」っていうのをちゃんと伝えていくことかなぁと思います。

でもね、もうほんと難しいことだし、僕も日々挑戦中の議題ではあるので。組織マネジメントっていうんすかね。リーダー同士でどういうコミュニケーション取るべきかとか、もっと手前で言うと、どういう組織図にするのかっていうのは結構重要な難しい問題なので、そこに所属する一スタッフとしてモヤモヤすることもたくさんあるとは思います。そこで一個重要なのは、さっき話してた「うちの会社ってこうだよね〜」みたいな、そういう類の愚痴に関しては言ってても進まないので。もちろん気の知れた仲間とね、自分の精神状態を安定させるためにそういう話をするっていうのも勿論良いと思うんですけど、状況を改善しようと思うのであれば、なるべくそういう発言よりも「こうした方がいいと思いますよ。こうした方が良いために自分はこういうことをやれますよ」もしくは「なんだったらもうやっときますね」みたいな。そういうスタンスで、会社だったりチームだったりグループだったりに貢献していくかっていうので、自分の信頼度が上がっていく、自分の影響力が増していく。それと共にやれることも増えていく。それの積み重ねで、自分のポジションも上がっていくので。ポジションを上げることが目的じゃなかったとしてもね。
僕なんかまさにそうっちゃそうなので。HIP LAND MUSICで偉くなりたい!みたいな事は一切思ってなかったですけど、仕事をしていく中で、自分の責任の範囲が広がっていって、気づいたら「あれ?何か自分のチームができちゃったどうしよう、みんなのことをとにかく大切にしたい!」みたいな、今そんな状態です。っていう感じで、できることが増えていったりするので、まずは出来ることからやってみるっていうのは、凄く良いんじゃないかなと思います。

はい。ちょっとコメントを遡りますね。
「仕事の話ですが、4月に異動になって色々気を遣って疲れます。必要な気遣いと過剰な気の遣いはどこで線引きされるものでしょうか。」
これね。難しい話ですよね。なんか具体的な例があると、「あーそれはしんどいけど、気遣ってた方がいいよね」っていうことと「あー、それは気にしなくてもいいんじゃないかな?」っていうことあると思うんですけど。今ある情報レベルで言うと…もう疲れるけど気遣っていこう。わかんないけど。気を遣えるっていうことが自分の周りの人にとっての、自分の評価になっていくので。ある程度キャラクターが共有されるまでは仰る通り結構疲れると思うんですけど、その疲れが誰かからの自分の評価としてストックされていくという風に思えば、その気遣いもその疲れも無駄じゃないって思えるような気もするので。まぁ、本当に内容によるので、もしご自身で「本当何でこんなことやんなきゃいけないんだろう?」と思うことに関しては、やらなくてもいいものもあると思います。それは自分の中である程度線引いて「こんなの気にしない!」っていう事は気にしないで良いと思います。ただ「これ微妙やな〜。でもまあ気遣ってあげた方が気持ちよく回るよね」みたいな、そういう気持ちの方が強いことに関しては気を遣っていきましょう。自分がそこで気遣いをできるっていうことは、自分の存在価値でもあるし評価にも繋がっていくし、その評価や信用が溜まっていくと、また自分が周りに対してやってあげられることが増えていくので。疲れますが、無理しすぎる一歩手前ぐらいまでは頑張ってみるといいかなって思います。

次のコメント。これ、なんだったらちょっと議論したいぐらいの気持ちなんですけど、言葉が短いので、全部これで汲み取るつもりになっちゃうとよくないと思うんですが、
「やる気ない人を辞めさせるって難しくないですか?」

これね。やる気ない人を辞めさせるって難しくないですか。どうなんでしょうね、って思ってます。僕は。僕の経験値上、多分やる気ない人の横でやる気をむっちゃ出すと、辞めていくんすよね、もしくは(やる気のない人が)やる気を出してくれるようになる。やる気ない人の立場に立つと隣でむっちゃやる気出されると鬱陶しいんですよ。やる気ないのを普通に設定しといて、自分のプライドを守ったり自分の正当性を担保したいから。「自分はこの時給800円をもらっている、でも間違ってないんだ」っていうことをキープしておきたいので、同じ時給でむっちゃ頑張ってる奴がいられると居心地が悪くなるんすよね。だからその居心地の悪さを解消しようと思うと、自分もやる気出すか、身を置く環境を変えるか、っていう2択になると。なので、やる気ない人を辞めさせようと思ったら、やる気をとにかく出せば良いっていうのが僕の経験則ですね。明日辞めさせるのは難しいと思うけど、一年あれば、やる気を出してくれるか、やめてくれるかどっちかになるような気がしてますね。実際そういう経験をしたことがあります。

まぁあとはね、そのやる気の出し方だったりとか、コミュニケーション取り方、発言の仕方で、ちょっとハレーション生まれたり摩擦が起こったりすることもあるので、その摩擦が原因となって辞めちゃうっていうパターンもある。それはあんまり美しくないというか、損する場面も出てくるので、だから実際、モチベーションがないのか、モチベーションはあるんだけどやり方がわかんないのか、コミュニケーションがうまく取れないのか、みたいなことの分別は別の話として必要だとは思うんですけど、やる気がないっていうのが明らかになっている場合に関しては、隣でやる気をめっちゃ出せば良い、っていう風に僕はちょっと思ってたりしますね。

さっきのチームリーダーの話のコメントいただいた方から「チームの中では、下の方にいる人間なので自分ができることからやってみます。ありがとうございます。」という締めくくりを頂きました。こちらこそありがとうございます。

で、ちょっと同じテーマで、やる気ない人の話ね。
「やる気ない人ほど辞めないので、やる気ある人の方が辞めたくなるし、諦めてしまう傾向があるように思います。」この問題ね。どっちもいいと思います。自分が辞めちゃうのも全然手だと思います。特にアルバイトだったりとかって…もう一個コメントありますが、

「それが残る人がいるんですよ。イベントだと中途半端にできないじゃないですか。船が沈没してしまう。しかし、なかなか本人が分かってない場合言えない。」
これね。やる気ない人達がいる中でやる気ある自分がいる時に、その社会の中で自分がやる気を出しきるのか、自分は違う組織に身を置くことにするのかっていうのは、全然どっちもありで。特に10代、20代、30代とかの自分の時間をどれだけ無駄にしないか。そこのコストのバランスを考えるっていうのが一個の選択をする上でいいんじゃないかなとは思います。その時期に、アルバイトでもいいし、社会でもいいんですけど、自分が仕事をしている中で一番得なきゃいけないものって、まず明確に得れる一個としてはお給料っていうのがありますよね。でも、20代のたかだか20万円とか30万円とかの月収って、そんなに重要じゃないんですよね。じゃあ初任給が手取り18万だったのが3年後に22万に上がりましたと。月4万円の増幅ってありがたいなって思うけど、その4万円を何に使うのって、ちょっと広い家に住み変えたりとか、ちょっといい自転車買ってみたり、ちょっと余裕のある生活になったり、風呂とトイレが別になったり、みたいな。そんな程度の変化があるかないかですよね。もちろん自分のモチベーションのために、目に見える給料をもらうっていうのは、すごい重要なことなんですけれども、それよりももっと重要なのは、20代だと設定した時に、30代、40代、50代の自分に必要な経験、役に立つ経験量を詰める仕事をしてるか否かっていうこと。そこで自分の能力が高まるっていうのは、自分の資産を作ってることになるんですよね。だから自分の資産、経験量がすごくたまる月収20万と、自分の経験値は全然たまんない月収30万。どっちの仕事を20代でする方が頭がいいかっていうともう完全に前者なんすよ。自分の経験値が貯まんない月収30万円なんか本当にもったいない。20代のうちにそこに時間を費やすのは。

そういう思考回路をベースとした上で、やる気がない人たちの社会に身を置いて経験を詰む方がいいのか、新しい場所に身を置き換えるのかっていうことを天秤にかけて、どっちが経験量が多いのかを踏まえて、自分が残るのか、自分が動いちゃうのかを考えるのがいいと思うんですよね。

(コメントで)船が沈没するっていう言い方に置き換えてるんですけど、長い人生で考えると、自分だけが無理をしなきゃ沈んじゃう船なんか沈めばいいんすよ。残念だけど。悲しいけど。多分その船、一生は乗ってられないんで。もちろん場面的にね、あと一ヶ月を経験することによってその船が沈まずに、このイベントが成功して自分に得られる経年量が一定量あるっていうのであれば、もちろんそれを全うするのもいいと思います。ただ、自分が今過ごしている時間が未来の自分にとっての投資にちゃんとなっているのかどうかっていうことを考えながら、自分が身を置き続けるのか、身を置き換えるのかとか、その身を置く中でどういう時間の過ごし方をするのかっていうのを判断していくのがいいんじゃないかなぁと思います。
答えになってるかなぁ。


はい。一個コメント遡ります。
「大学のグループワークで"誰もいないなら私がします"っていう感じでリーダーを引き受けちゃうことが多いです。あとになって自分で色々抱え込みすぎて「なんで引き受けたいんやろ」って後悔することが多々あります。人への仕事の振り方、自分の立ち回り方、自分のキャパの広げ方など、何かコツがあれば教えていただきたいです。」
今大学生ってことですよね。全然そのまんまでいいと思いますよ。もちろん、自分がこの作業をやれるのは分かっていて、これを作ることの経験量は持ってるから作り続けても自分の経験量は増えない、っていうものに関しては、いかに他の人にパスしていくか重要になると思います。今大学生だというのを前提に勝手に仮定しちゃうと、グループワークで何か資料を作ったり用意したりするのも、今の自分にとって100点、120点のクオリティーで出来る経験量があるのかどうか。っていうところで言うと、まだまだ積める経験値がある可能性があるなと思うんです。大学生っていうのを勝手に踏まえて喋ってます。ごめんなさい。

その上で、責任を請け負いすぎちゃうっていうのは全然悪いことじゃなくて、大変だと思うし、辛いと思うし、引き受けてくれない人に対するストレスだったり、愚痴めいたものを思い浮かべてしまうと思うんですけど、その今請け負ってる負荷が将来の自分の資産、経験量に必ず繋がるんで。うまく立ち回ろうとするよりも、いま持てる責任を全部引き受け続けるっていうのが、自分にとってすごく意味のあることのような気がします。ただ、もちろんそれが精神的に滅入っちゃう、体力的に体を壊しちゃう、みたいな線を越えそうになっているのであれば、それはセーブした方がいいとは思います。あと、頼まれたら断りづらいから引き受けちゃう、っていう類のことなんであれば、それはもちろんね、断るっていうコミュニケーション能力も経験量としてトライアルはした方がいいと思うんですけど、基本的に"誰もいないから私がします"っていう感じだとしても、自分の役割や責任を広げていって、それをやりくりする経験っていうのは将来の自分の役にたつと思うので、そのまんまでいいのかもしれないなぁ、とは思ったりしております。

「最近ロックの定義ってなんなんやろうって考えながら楽曲制作してる日々が続いています。」
ミュージシャンの方ですかね。ロックの定義。考えなくていいんじゃないっすかね?1個のフォーマットだったり、ジャンル分けみたいなことって、何かムーブメントを作ったりとか目標を立てたりとか、そういう時に役に立つものではあるんですよ。だけど、もし今曲を作っていて、アーティスト活動みたいなのか、作曲家めいたことを目標としているのであれば、一つ考えなきゃいけないのは、ロックっていう言葉だったりジャンルだったり、フォーマットの中に、お客さんがものすごくたくさんいる状態。の時の「おし、いっちょロックフィールドで勝負すっか」っていうのは悪くないなと思うんです、作戦として。ただ、今、必ずしもそうなのか?っていうと、そうじゃなくなっているので、マーケットをロックに絞るっていうのはあんまり得策じゃないなと思うんです。
ただ、自分が作るものは、自分の思っていたロックないしロック魂みたいなものがある!っていう風に信じているのであれば、自分がかっこいいと思うものがロックと呼ばれて再認識されるっていうところを目指して、楽曲制作をしたり活動をしてみるのがいいんじゃないかな、と思いますね。

まぁ、ロックは定義というかその呼ばれる対象がむちゃくちゃ広いんで。Nirvanaもロックだし、THE BLUE HEARTSもロックだし、My Hair is BadもロックだしX JAPANもロックだし…って考えるとね。そもそも、ロックの定義っていうものをしている人が沢山いるので。全世界共通のロックの定義なんかないっていうことなんですよね。言語で説明できる部分で言うと。精神性なもので言うと何某あるとは思いますけど。そういう感じで、コメントへのお答えとします。

「やる気がないのか、気づかないのかと思い、自分から率先して動いて促すように意識してます。」
やる気がない人に対してのアプローチの話ですね。いいと思います。気づかない人もいるもんね。

「気遣いをする時に、この気遣いは媚び売っているのかな?計算なのかな?と常に気になっちゃいます。悪いことをしている感覚になる時があるというか…。柳井さんはそこの捉え方はどうしてますか?質問下手ですみません。」
いや、わかりますよ。要は、その配慮が打算的だな、下心があるな、っていうのを自分で感じてしまって、下心のある気遣いっていうのはすべきか否かを悩んでしまう。っていうことだと思うんですけど…これもう、僕はねぇ、自分はですよ?あのー、誤解されないように言った方がいい気もするけど誤解されてもいいから分かりやすく言いますと、下心あって当然じゃんっていう感じです。インパクトを強くするために強めな言い方をしましたけど、下心っていうのは、ちょっとお金もらえるとかそういう話だったり、誰かに好かれるとかそういう話だけじゃなくて。自分の評価が高まるっていうのは別にずるいこととかではなくて。自分の評価が上がることで周りの人に貢献出来ることも増えるので、自分の評価が上がるっていうことは、下心としてあったとしても、それはもう当然だ、ぐらいの構えでいいと僕は思ってます。

なので、マネージャーって立場で言うとね、たまにあるのは、ミュージシャンだったりタレントさんだったり、自分がお仕事関わる対象の人?取引先だったとしても一一まあ僕は逆に気遣われることの方が多そうなので、そう思わせてしまっている皆様、本当に申し訳ないっていう感じなんですけど一一要は「こんなの自分でやってもらっていいですか?」みたいなことを、相手にしてあげる時。色んな気遣いの仕方があると思うんですよ。自分でやってもらっていいですか?って言うのも勿論一つの気遣いでもあるかもしれないし、そこをこっそり他人に分からないように進めてやってあげるみたいな、それも気遣いだと思うんですけど、それをすることによって自分への感謝量が増えるんであれば、その感謝量を増やせばいいじゃんって思ってます。それが自分のモチベーションにも繋がるし、その感謝量がストックされていって、自分の影響力が増えるんであれば、増やした影響力を元にまた他の人への気遣いができるような自分になるっていうことなので。媚も売ったらいいと思うし、計算もすればいいと思うし、下心全開でいいと思うんでそれをひっくるめて気遣いをどんどんするっていうのがいいんじゃないかなっていう風に僕は思っています。ちょっと極端な答えだったかもしれないですが。

「未来の自分にとっていいこと(必要な経験)が何かを考えることも必要でしょうか。」
自分が今やってることが、未来の自分にとって経験量が溜まってるわー!ってときに、その経験の種類を考える方がいいのかどうか?っていうことですね。うーん。思うことがあれば…とか、あとは技術的なことを習得したい場合とか。税理士になりたいとか、弁護士になりたい、みたいなことでいくと、勉強しなきゃいけないからその経験の内容は選ばざるを得ないと思いますけど、そういうものが明確にないのであれば…、なかなか経済が右肩下がり全開の日本において、サービス業だったりとか、第三次産業、要は第一次、第二次ではないお仕事で自分の生計を立てていく、もしくは自分の家族の生計を立てていくと考えた時に、必要な経験の種類っていうのは、おそらく、経営者の種類の脳ミソを持つための経験が多分ものすごく重要になってくるんじゃないかな、って思っています。僕は。ちょっと説明が少なすぎるかな。

昔ね、ちゃんとしたパソコンができる前の、ワープロが存在してた時代の話。ワープロっていわゆるパソコンでいうところのMicrosoft、Wordのみに特化した機械みたいな、とにかく文章を打つ機械みたいなのね。その時にタイピング早いっていう能力の検定、みたいなのがあって。文章を打つ機械でタカタカタカタカって早打ちができますよっていう技術を、40年前とかかな?35年前とか?は、一個の優れた能力だとして評価されていたと。だけどその類の技術っていうのは、やっぱ10年したら要らなくなることの方が多いんじゃないかなっていう気がするんですよね。他にも分かりやすい例えで言うと、切符切りの駅員さんの切符を切る技術みたいなのも、もう本当に一ミリもいらなくなっちゃった。っていうのもあると思うんですけど。そういう技術的なことに関しては古くなる、もしくは不要になっちゃうことが往々にして有り得るので、どっちかって言うと、お金・もの・人・情報っていうのを流通させて、サービスだったり需要のあるものを生み出して、人の役に立つっていうのを仕事だと定義したときに、俯瞰で物事を見て、ここにこれぐらいのリソース一一要は人間だったり予算だったり、ものを投資することでこれぐらいの価値を生み出せるな、それによってこれくらいの需要があってこれくらいの経済が回って、イコール何人分の給料を得ることができるな、みたいなことを想像する力っていうのが、仕事をしていく上でものすごく大事になっていくんじゃないかと僕は思っています。もし僕の考えを参考にされるのであれば、自分がそういう経験量を得られることに近い経験量なのか、そうじゃない経験量なのかっていうのを、一個の物差しとして持っておいてもいいのかもしれないなと思いました。ちょっと長くなっちゃいましたね。すみません。

「他の人がやらない仕事を引き受けていたら自分が潰れてしまったので、どこまで踏み込んで広げていけばいいか悩みます。」
そうですね。潰れちゃった、ないし、潰れちゃいそうっていう場合に関しては、どこまでっていうのを今ここでちょっと具体例ない中でお伝えするのは難しいですけど、やっぱり何某選んでそのバランス、自分が潰れない範囲内の割ける時間、割ける精神の中で、っていうのがいいかもしれないっすね。まあでも潰れないように頑張ってくのがいいなと思います。

ちょっといい時間になっちゃいましたね。


あー。ちょっと今日の話の内容と関係ないけど、いいテーマだなと思うので読みます。
「ライブ中でも写真でもですが、中指立てる行為をどう思いますか?私は気持ちよく思いませんが、いろんな方の意見を聞きたいです。またいつか機会がありましたらお願い致します。」
はい。あのー…。決められないなって思ってます。統一ルールないし、統一マナー、統一見解は。で、正しい・正しくないで言うと、気持ち悪いもしくは不快な気持ちになる人が一人以上いるのであれば、そういう表現はしない方がいいんじゃないか。っていう方が正しさはあると思います。その辺のバランスをね、僕は演者さんと話をしたりする立場だったりするので。話してるっていうのは僕が「こうしろ」って言うことではなくて、問題定義ですね。要は今いただいた質問と同じように「このあいだのあれってどうなんだろうね?人によってはこういう風に思う可能性のある行為、表現だよね」っていう議題として提供する。っていうことをよく、今のプレーヤーの人たちとする立場にあるんですけど、その時代・年齢・その身を置く社会性・自分がどれぐらい社会や世界に影響を与えたいのかのイメージ、みたいなことが判断材料になってきてるなと思っていて。

じゃあ僕自身、中指立てる行為をどう思うかって言うと、8割ぐらい気持ちよくないです。自分はね。ただ、まぁ2割ぐらいは、なにか言いたいことがあるんだろうな、みたいな感じかな。例えば、こうやってインターネットで全世界で色んなものが見れるように、情報流通の垣根がなくなった中で、どっかの地域で不快な思いをする習慣行動だった場合、その表現はどうなんだっていう議論ってあると思うんです。でも、例えば僕らが日常的に使ってる「こんにちは」っていうのが、どこかの国の言葉で、誰かを侮辱するような言葉で使われているものと語感がすごく似ていた場合、じゃあインターネット上で「こんにちは」っていうことを言うのは控えましょう、っていうことになるか否か。

もちろん中指立てるのは、それとは違う話なのは分かってますよ。一緒にはしない方がいいと思うんですけど「マザファッカー」とかもそうですよね。「まじ卍」とかもそうかもしれない。鉤十字をモチーフに使うのはどうなのかとか、色々議論あると思うんですけど、社会性を若い世代に啓蒙しきらなかった大人の責任もあると思うんですね。啓蒙し続けるべきことだったのであれば。ただ、やっぱどっちかいうと、今実際にパフォーマンスとして中指を立ててる人っていうのは、実際にそれにものすごくインパクト受ける人達のインパクト感、っていうよりかは、何にアンチテーゼを自分は示してるんだ、っていうアピール行為というか、もう言っちゃうと「こういうことに対して反対の姿勢です」みたいな「中指立てていきますよ、僕はそういうことに対して」っていう表現なんじゃないかな、と僕は思っているので。良いとも言わないですよ、僕は。全然いいんじゃない?とも思ってないし、絶対ダメだ!とも言うのもちょっと難しいよねっていうスタンスで、自分たちがパフォーマンスする相手を想像する中で、こういう理解をしてほしい、っていうのにある程度近い理解を得てもらえる表現なのであれば、必ずしもなしにするっていうのは違うのかなっていう風に僕は思っています。はい。

まあこういうの面白い議題ですよね。なかなか表だって喋ることが簡単ではない話なんですけど、そういう簡単じゃない話をあえて言葉にしていくっていうのは、もしかすると一個僕の役割としてもあるのかなぁと思ってるので、こういう話もなるべく触れていけたらなとも思っていますよ。

はい。今日は20分オーバーしちゃったなぁ。でも何か楽しかったです。自分の思考の整理にもなりました。今日51回目でしたが、またちょくちょくやりたいと思いますので、引き続きよろしくお願いします。

「最近子供とライブ映像を一緒に見ることが増えて、子供が(中指立てるのを)「あかんねんで!」というので、なんと言ったらいいか悩みます。」
なんであかんのかを一緒に考えて話してみたらいいんじゃないですかね。中指立てる=だめ、っていう情報の解像度で止まっちゃうと、そういうことに対する興味を掘り下げることの思考がそこで止まっちゃうんで「あかんねんで」って子供が言ってたら「まあそうだよねー。気持ちよくはないけど、でも、そういえば何でだめなんだっけ?」っていう会話を子供としてみるっていうのはどうでしょうか。「保育園なり学校なりで教えてもらった!」みたいなことなんであれば「じゃあもう少し掘り下げて一緒に考えてみようか」みたいなこともありなのかなーと思います。

「ありがとうございます。今度話す機会を設けたいと思います。」
是非とも是非とも。いいと思いますよ。なんかね、子どもと難しい話と思ってしまいがちな話をなるべく積極的にするっていうのは結構自分も子育てする中で大事だなぁと思っていますよ。それこそ、自分は結婚2回してるので、その中でやっぱり「どう話そうかなー?」みたいなこともありますけど、最終的には全部共有するっていうのがいいのかなって思ってて。情報を共有することで、じゃあ結婚ってなんなんだろう?とか、恋愛ってなんなんだろう?っていうのを考えてもらうきっかけになるといいのかなと思っていたりしています。今日まさに家の中でそんな話したんすけどね。お金の話とか仕事の話とかっていうのもなるべく誤魔化さずに話すようにしようかなって自分は思ってますけどね。子供に対しては。はい。

最後ちょっと子供の話になっちゃいましたが、寝よう。
では、おやすみなさい!
皆さん、ありがとうございました!

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