MSBP #愉しむ母
【MSBP=代理ミュンヒハウゼン症候群 】
なぜ?の答えを出そうとする私の頭によぎる言葉のひとつ。
私の病気が発覚したのは5歳頃。
当初原因不明で入退院を繰り返し、小学2年になるまで通学できなかった。
それとは別に、私は生まれて間もなく鼠径ヘルニアに罹った。
月齢児に多く見られる脱腸と呼ばれるもの。
その時のことを母は愉し気のような、得意気のような、そんなふうに何度も語った。
「あとちょっとで死ぬとこだったのよ。腸が半分以上外に出て、もうカチンカチンに固まってきてたんだから!」
何が嬉しいのか解らなかったけれど、母のその口調と活き活きとしたその顔が私の中に印象深く刻まれた。
私のお腹には2つの手術痕がある。
一つは鼠径ヘルニア。
もう一つは膀胱尿管逆流症。
鼠径ヘルニアで緊急手術が必要になるほどの例は多くなく、簡単に言うと異変に気づかず放置されていた時間が長かったということだと後から知った。
母の言葉を借りるならば私は「死にかけていた子」
その話を揚々する母は知っているけれど、
安堵や心配といった感情を表した母を、私は知らない。
これと併せて思い出されるのが、私自身の記憶にはない、幼い頃に滑り台から落ち顔面を強打したという話。
同様に語る母。
「すっごかったんだから。顔がお岩さんみたいに腫れあがって。あんなすごい顔だったのによく治ったものよね。」
幼子が滑り台から落ちるという状況は、母親にとって他人事なのだろうか。
そこにも安堵や心配はおろか罪悪感や後悔、自省といった感情は見えず、ただ愉しそうに件を反芻しているように見えた。
昔から度々、私は母をよくわからない気持ちで眺めていた。
そして5歳、そんな母と共に闘病が始まる。
お腹に大きな手術痕を残した病気だったけれど、私にとって辛かったのは病気そのものより、母の一挙一動だった。