思いやり
兵庫で起きた、伯父が実家に火を放ち甥を殺した事件。
もうずっと、家族間の痛ましい事件は多い。
その度に声が高くなる。
「なんてひどいことを。最低だ。子供じみている。」
そんなこと、やった本人は分かっている。
分かっているから逃げた。
分かっていても、そうなった。
そんなことが頭に浮かぶ私はやはり普通から遠いのだろうか。
自分名義の家に妹が家庭を作っている。
その家庭とはとても近い距離なのにとても遠く、もっと言えば険悪な関係性。
家主なら出て行ってくれと思うのは自然なこと。
伯父が仕事を無くしたことも独り身であることも、実家に戻ってきたことも心が弱いことも、全て妹には関係も責任も無い。
だからといって自分の家ではない場所に家庭を主張し続ける理由にもならない。
兄妹なのだから。家族なのだから。実家なのだから。
そう言えるのは思いやりがあってこそ。
この状況に、思いやりはあっただろうか。
離れていれば割り切り見なくて済む事も、近ければ嫌でも目に入る。
どんな場合も疲弊するのは心が弱っている側。
事件を起こしたことは100%伯父が悪く、許されることではない。
では事件を起こすに至った過程についてはどうか。
一緒くたにしては解けない確執。
解けなければ取り返しがつかなくなることもある。
大人のしがらみで命を消された二人の男の子には心からお悔やみを。