五体不満足
「何不自由なく育ててやったのに!」
もう何十回と両親から言われた言葉。
物質的にはそうかもしれない。
それでも私は不自由しか感じることが出来ないまま育った。
母の立派な手料理は子供向けではなく、完食を強いられ私は吐いてしまう事があった。
母が買い与えるお洋服は余所行きのフランス人形の様なものばかりで、日常に着る服はあまり持っていなかった。
私の子供部屋は母の物置部屋の片隅で、ずっと2畳程の薄暗いスペースで宿題をした。
ある時母が言った。
「あんたなんか!五体満足で産んでやったのに!」
『五体不満足』という本がある。
その著者は手足が先天的に欠損しているのだけれど立派に人生を歩んでいるというもの。
母はそれを引き合いに突然私を詰り出した。
『こんな人でもこんな立派なのにあんたは・・・!』
直前に母と何かがあったわけではない。
唐突に、当たり屋のように詰り始める。
私は子供を産んでいないから母親の気持ちにはなれない。
それでも。
『五体満足で生まれてくれてよかった』という感情は理解できても
『五体満足で産んでやったのに』と責める気持ちは理解できない。
昔からそう。
母は闘病中の幼い私を責め続けた。
「健康に産んであげられなくてごめんね」
そんなことは一度も言われたことが無い。
「あんたのせいで私がどれほど大変だと思ってるのか」
そんな言葉で繰り返し何度も責められた。
母は父が稼いだお金と母の実父(祖父)の遺産で子供の世話をした。
金銭的に何不自由なく。
母の気が済むまで終わらない詰りを受けながら私は思う。
目に見える不満足と目に見えない不満足。
同じ不満足なら目に見える方が良かった。
五体とは、頭・両手・両足を指す。
頭が脳を指すのだとしたら。
虐待によって脳が変形している可能性がある私は五体不満足だ。
何不自由無く育ててやったと私に向かう母の詰りは、
何の苦労も責任も負わず子育てごっこをした母自身に向けるべきだと思う。