「無理だやめとけ」というド正論に耳を傾けている時間はない。勘違いでも良い。
私には友達と呼べる人が2人います。私が2023年11月末日に解雇宣告を受けたとき、この2人にそのことを報告しました。2人とも笑って聞いていました。このような時に笑って話を聞いてくれる友人は本当に貴重です。
私と一緒になって深刻になられたとしても、物事が好転するわけではないので。
2人には、私が"もう就職しないで一人で稼いでいこう"と考えていることを伝えました。一方の友人は、「良いんじゃないか。やるだけやってみてダメならその時また考えたら」と悠長なことを言っていましたが、もう一方の友人は「無理だやめとけ、はやく就職した方が良い」、「就職していない期間が長いと再就職に不利になる」、と両極端なこと言いました。
私は後者が正論だと思いました。ド正論だと思いました。
大体の人達が後者と同じことを言うでしょう。
世の中にWebライターとして生計をたてられているという方が、一体どのくらいいるのかわかりません。おそらく少数派であることには違いがないはずです。なぜなら私は「職業Webライター」という方に出会ったことがありません。
「無理だやめとけ」という一方の友人
私がWebライターとして生きていくことに懐疑的な考えを持っている友人は、建設会社の社長をしております。私と同じ年齢です。
彼は幼少期から、人よりも数字に非常に強く、いろいろな物事を数値化して見ることに長けていました。暗算などをやらせるとピカイチです。彼は人生の様々な場面で計算高く生きているように思います。建設会社の社長とは申しましても、その会社には経理として入社し、創業者である前社長にその能力を見初められて会社を譲り受けたわけなのです。いわゆる「有能」です。
この有能な友達が言うのだから、「無理だやめとけ」はド正論に違いない、と私は思ったわけです。
ただありがたいもので、無職になって落ち込んでいる私を心配してか、定期的に電話をよこしてくれる2人の友人には感謝しかありません。
後日私が、失業手当を退社後の早期に受け取れること、そしてその額がそれまでの月給の8割であること、そして給付期間が約5カ月に及び、必要最低限の生活費は雇用保険の制度で守られることを伝えると、「それなら頑張れ」と言ってもらうことが出来ました。
つまり彼は、心底私の生活と命のことを思った「無理だやめとけ」だったのだと私は理解しました。
背中を押してくれたもう一方の友人
一方「良いんじゃないか。やるだけやってみてダメならその時また考えたら」という友人はというと、こちらの彼は焼き肉店の店長だった経験を生かして5年前に札幌に焼き肉屋さんを開業しております。経営の波はもちろんあるものの現在も元気に営業中です。
彼も個人事業主ということで、そういえば彼も社長さんです。性格的には頭で考えるよりも感情を優先して動くタイプで、"どうなるかわからないけどとりあえずやってみよう"という思考の持ち主なのです。
数少ない2人の友人ですが、改めてこう書いてみるとまさに両極端な性格であると思います。
こんな性格の彼ですので、私が退職後、Webライターとして生きていくということに対してはもちろん賛成はしてくれました。おそらく彼はあまり深くは考えていない気がしますが、理由はどうあれこんな彼の言葉は私の背中を押してくれました。
反対意見に耳を傾けている時間はない。勘違いでも良い。
きっと、『私がWebライターとして、満足に生計を立てられるかどうか』というアンケートを取ったとしたら、九割は”無理”という結果になるでしょう。私の有能な友達もそう言っていたし。だからと言って私は、反対するたくさんの意見に耳を傾けて、Webライターになることをあきらめるのか。
やってもいないのに。誰かが無理って言ったら無理か。
それらに耳を傾けているほど時間に余裕は無い。
これまでの人生で幾度となく聞き流してきた、先人たちのありがたい言葉が次々に脳裏に浮かびます。
あきらめたらそこで試合終了
笑いたきゃ笑え
好きでもない仕事で成功できるほど世の中甘くない
迷っている暇があったら手を動かせ
私は十分な決意を持ち合わせているので、あとは行動、実践あるのみです。成功できるというのは勘違いかもしれませんが、成功できるならそれでも良いです。
成功者の初期は大体勘違いから始まっていると勝手ながら思っています。
そう思うとやる気が漲ってきます。実践あるのみ。