ヘタレ師範 第17話「リベンジ」
第1話 「出会い」ヘ戻る
約束の稽古日の夜がきた。
前回と同じ人間が五郎の道場に一堂に会していた。
しかし、五郎だけは前回と同じではなかった。
彼の顔は形がすこし歪になっていた。
鼻筋に絆創膏が貼られている。二の腕にも数か所アザが見える。
まるでヤクザにでもヤキを入れられたような姿だった。
ジオンたちは違和感を感じたが、不思議なことにミヒたちは何の関心も心配もしてないようだった。
五郎も自分の顔は何も心配してないようで。
「あのすいません、今夜の再試合は直接コンタクトで。その代わり、正拳は禁止します。開手(カイシュ)のみで。それでどうでしょう?」
開手とは掌底(ショウテイ)ともいい、拳を握らず開いた手で攻防を行う方法である。(他に、手刀や貫手、バラ手なども開手のワザだ)
最近の空手家、特に公式戦に出る会派は、グローブを装着するので手刀以外、開手を正拳ほど使わない。開手は正拳ほどの破壊効果はない、と思ってる人も多い。
だからテッキが猛然と声を上げた
「不公平じゃないか! 俺たちにそんなハンデつけるなんて」
ガンカク「いくらなんでも身贔屓(ミビイキ)だろうぜ」
ミヤギがうんざりと
「お前ら、ドのつくシロウトだな」
テッキ「それって?ドシロウト?」
ガンカク「しつこいな、何度も何度も俺たちをシロウトあつかいしてるけどよ。
わかってんのか? お前たちは負けたんだぞ。
一度も勝ってないクセにマウントだけ取ろうってのか? 」
ミヒが肩をすくめて
「あなたがた、ゴカイしてる。正拳使えないのはわたしたちダケね。ドジヨウヤブリ(道場破り)さんたち、どんなワザでも自由ネ」
テッキ「え?」
ガンカク「何だと?」
テッキもガンカクも驚きを隠せなかった。
ミヤギ「今五郎ちゃんが説明したのは、俺たちだけのルールなの。
ミヒの言う通り、俺たちが今夜の試合で、フルコンと、開手で戦うことを五郎ちゃんが許可してくれたってワケ」
オバさん「五郎ちゃん、わたしたちの師範だから、わたしたちに指示は出すけど。
あんたたち部外者だろ? 部外者に指示やルールを押し付けるワケにはいかないじやないか」
確かにそうだが、ジオンは気に食わなかった。
「自分たちは正拳を使わないけど、そちらはご自由に」とミヒは言った。
ジオンが子供のころ、当時所属していた道場の先輩がいつも稽古をつけてくれた。
彼はジオンにいつもこう言った。
「さあ、どこからでも掛かってきなさい。大丈夫、こっちは反撃しないから」
よくある、『やさしい上から目線』ってやつだ。
でもそれは、上級者が下の人間に言う言葉だ。
負けたはずのミヒが、勝ったジオンに言える言葉じゃない。
でもジオンはそれより気に食わない事があった。
自分が『部外者』にされたことだ。
確かにジオンたち道場破りは部外者には違いない。
でも理屈はそうでも、何故かイライラする。
ジオンはそのイライラを爆発させた。
「ヘタレがヘンなハンデ付けやがって。確かにオレたちは部外者だ。部外者にはハンデも、ルールもいらないってんだな? じゃあどうなっても知らねえからな」
五朗は、鋭く睨みつけるジオンの視線を下を向いてかわしながら。
「すいません、でも、あの、ずーとそうされてきたんですよね?」
ガンカク「何だとてめえ、俺たちが何をしたってんだ?」
五郎「すいません。ですから、これまでの道場破りで、ハンデもルールも無視した試合をされて来たんですよね。寸止めにはフルコンでやっつけるみたいな」
ジオンたちは、返す言葉がなかった。だってすべて五郎の言う通りなのだから。
しかも五郎は、ジオンたちの道場破りのやり方を十分に知っていながら、そのようなハンデをつけたらしい。
ジオンは息が苦しくなった。
五郎は「道場破り組」ではなく、ミヤギたちにハンデをつけたのだ。
なのに
オバさん「やった。五郎ちゃん、ありがとうね」
オバサンは、まるで子どもみたい小躍りしてはしゃいだ。
が、次の瞬間、オバサンは、またポカンとしているテッキの前にパッと進み出た。
「おいちょんまげ頭?!」
小躍りしていたオバサンは、今や般若の形相になっていた。
テッキは度肝を抜かれ、自分のマンバンスタイルの結び目に手を触れた。
「ちょんまげって俺の事かよ?」
確かにテッキのツーブロックマンバンスタイルはちょんまげに似てないことはない。
テッキは自分がバカにされたと思い、急激に頭に血が上った。
「なんだババア! 舐めやがって。これは今風のスタイルなんだ、若者のな。ババアとは世代が違うんだ。世代がよ。
世代が違い過ぎる年寄りが何度戦ったって、俺達若者との実力差ってのは変わんないんだよ。またノサれたいのか?」
オバサンは、そんなテッキを無視して。
「かかってきな」
手のひらを上に向けて、ブルースリーよろしくクイックイッとテッキを挑発した。
テッキ「ババアのクセに、ふざけんじゃねえ!キエーッ!」
テッキは言いざま、オバサンの顔面目がけて上段回し蹴りを放った。
最初の試合のときはミドルキック(中段回し蹴り?)でオバさんを圧倒し、テコンドーキックを何発も撃ち込んで、彼女を倒したのだ。
「今度は一発で決めてやるぜ」
テッキのミドルキックにはそんな思いがこもっていた。
対して
「ヨッ」
どうやらオバさんの気合いらしい。
同時に彼女はただ、自然体から前屈に進んで順突き(おいづき)を普通に打ち込んだ。
これも、1回戦のときの攻撃方法と、ほとんど同じだった。ただ前回のように、オバさんがテッキの出鼻をくじくことはなかった。
しかし、タイミングが悪かった。テッキに
とって。
自然体から追い突き(順突き)で前屈に進むと少し背が低くなる。
テッキのハイキックはおばさんの頭上を越えて行った。
結果、オバさんは、テッキのフトコロに飛び込む形になった。
オバサンはテッキのみぞおちを狙ったのだが、回転するテッキの脇腹に彼女の掌底(ショウテイ)が。
バン!
「グッ、グェー!」
掌底で脇腹を突かれたテッキはカエルが潰されたような声を上げ、脇腹を抑えてのたうち回った。
オバサンのワザは、最初に戦ったときと全く同じだ。
しかし二つだけ違っていた。
一つ、最初の試合で、オバサンは寸止めで戦った。だからテッキには当たらなかった、いや当てなかったのだ。
しかし、今度はフルコンタクトである。
そして二つ目は五郎の指示でオバさんは正拳を開手ワザの掌底に代えたことだった。
掌底は、相撲の突っ張りのように、開いた手を突き出して攻撃するワザだ。
しかし正拳のような鋭さはない。手のひらはやわらかいので攻撃側も受け手もケガは少ない。
しかし、掌底は攻撃したときの接地面積が正拳より広いので当たったときの衝撃が大きい。
掌底は正拳より1インチほどリーチが短いが、ボクシンググローブで打ち込むような衝撃を相手に与えることができる。
ある空手家は、正拳をライフル銃、掌底を大砲に例(タト)えている。
「まぐれだ! 偶然じゃねえか!」
叫びながらガンカクが飛び出してきた。
最初の試合では、ガンカクはミヤギをタックルで転倒させ、そこを捕まえて、チョーク攻撃で気絶?させたのである。
そのミヤギが面倒くさそうに立ち上がりながら。
「やれやれ、歌舞伎オトコにもやってみせないとわからないんだな。わかったよ相手をして やるから‥‥」
出てくるミヤギをミヒが止めた。
「オジちゃん、今度ワタシやるよ。いいから休んでて。オジちゃんもう歳」
カッとなるミヤギ。
「ンだとう?! ミヒまで俺をジジイ扱いしゃがって。もう魚(サカナ)持って来てやんねえからな」
「ええ?」
ミヤギとオバさんはヤクザの足を洗った後、夫婦で「魚屋」をやっているのだ。ときどき売れ残ったサカナを五郎やミヒたちに分けてやったり、サバいてやったりしていた。
ミヒは慌てて。
「それ困る、ワタシおサシミ大好き、オジちゃんサバいてくれないと、ワタシ刺身食べられない。困る、困るヨ」
ミヤギ「それ見ろ」
ミヒ「でもだって、オジサン私より三倍トシヨリ、オジサン自分でそう言った」
ミヤギはぐうの音も出ない。
そんなミヤギの頭をオバサンが後ろからパシッ。
「何でい?」
「ミヒちゃんの言うとおりだよ、年寄りの出るマクじゃないよ」
「年寄りって? オメエとあんまり変わんねえだろうが。自分だってあのテコンドーと戦ったくせに」
「男と女は違うの。特にジジイはさ、お迎えが来やすいんだから」
「何だ縁起でもねえ」
オバサンがそう言ったのは、実は亭主のミヤギが心配だったからだ。
「(そりゃあのときは気絶したフリで何とかなったけど。あの怪物相手に今度はそんなごまかしも効かないじゃないか。
ったく、よけいな心配させるんだから)」
ミヤギにはそんなオバサンの気遣いは分からなかった。
彼はオバさんとミヒに恨(ウラ)めしそうに。
「あーあ、せっかくいいとこ見せようと思ったのによ」
ミヒ「シンパイしないで。わたし、オジちやんと同じワザだけで戦うから」
聞いていたガンカクは、ミヒの言葉の意味が分からなかった。
「(あのジジイ、俺がタックル攻撃したとき、ワザなんか使ったっけ?)」
ミヒはガンカクの前に立った。
大人と子供というより巨人と小人といった感じだ。
ガンカクはうんざりしてため息をついた。
「俺はなぁ、女と戦うのは嫌いなんだよ。でもまぁ女にもいろいろあるからなあ」
ガンカクはジオンを見た。
彼は3ヶ月前、夜の公園でジオンと戦い、三発目に、「サソリ蹴り」を脳天に喰らって倒されたのだ。
ジオンがそれを思い出したかどうかは分からない。
「ガン!よそ見してると、目ん玉潰されるよ」
ガンカクはギクリとミヒに視線を戻した。
そういえば、ミヒはジオンに目潰し攻撃を二度もカマしたのだ。
寸止めでなかったらそれこそジオンは眼球は潰されていたに違いない。
ガンカクが改めて見ると、ミヒは相変わらず浴衣姿で‥いや今夜は浴衣ではなく、あのとき浴衣の下に着けていたスポーツパンツと、同じ柄のT シャツだった。
「ヨロシクです」
二人が向かい合った。
ミヤギ「まるで美女と怪物じゃねえか。おい怪物!女と思って油断してると痛え目見るぞ!負けんじゃねえぞ」
彼はなぜか、自分を気絶させたガンカクにエールを送った。
ガンカク「ふざけんな!女だからって容赦しねえ。俺がプロレスラーだってことを忘れんな!」
ミヒはニッコリ。
「ジマンは、ワタシに勝ってからネ」
「Wow!」
ガンカクは奇声をあげて頭から飛び込んだ。
ミヤギのときと同じようにミヒにタックルを仕掛けたのだ。
ミヒもまた、ミヤギと同じように片足を下げ、飛び込んでくるガンカクの後頭部を『下段十字受け』で押さえようとした。ミヤギのようなパンチ攻撃はしなかった。
その瞬間、ミヒの身体がそのままフワリと浮いた?
いや実際は、十字受けを襟首に受けたガンカクが頭を持ち上げたのだ。
これは人間の本能的な反射である。人は他人に押されれば押し返し、引かれると引っぱり返す習性がある。
ミヒの十字受けで頭を押えられたガンカクが反射的に頭をもち上げたことでミヒの身体が浮き上がったのだ。
結果、ミヒの十字受けはガンカクの頭を抱え込むことになり、ミヒの下げた脚がヒザ蹴りになってガンカクの顔面に直撃した。
平安4段の形(型)の中に、敵の顔面を両手でつかみ下ろしながら、その顔面をヒザ蹴りを打ち込む技がある。
ミヒはそのワザを空中で行ったのだ。
すでに、ミヒに突進していたガンカクには、ミヒの動きを見切ることも避けることもできなかった。
「グワッ?!」
彼は顔面を両手で抑えてミヒを巻き込み激しく転倒した。
ガンカクの、顔を押さえた指の間から血が滴り落ちてきた。
ミヒはテッキやミヤギに助けられ、ガンカクの身体から抜け出すことができた。
彼女は立ち上がったとき、息を弾ませながらミヤギに。
「見たよネ?ワタシオジちゃんと同じワザで戦った。今度はフルコンね。だからおサカナお願いシマス」
ミヒはミヤギに向かって、親指を立て、ミヤギは両手の親指でそれを返した。
ガンカクは、立ち上がることさえできなかった。
顔面に、ヒザ蹴りをを喰らって出血したこともだが、何よりプロレスラーたる自分が、小娘に一撃で倒されたのがショックだったのだ。
ショックを受けたのがもう一人いた。
ジオンだった。
彼女がガンカクと戦ったときは、三回も攻撃してやっと倒したのだ。
しかしこの韓国娘は、たった一撃でガンカクを仕留めてしまった。今まで見たこともない不思議な動きで。ジオンは今まで、こんな戦い方を見た事はなかった。
しかし、いくらショックを受けたからってそんなことを認めるわけにはいかない理由がジオンにはあった。
「ざけんじゃねえ、こんな試合認めるわけにいくか!」
そしてタタッと五郎に詰め寄り
「第一、てめえは一度も戦ってねーじゃねーか。勝負しろ! このオレとサシで! おめえがオレに勝ったら認めてやるよ。おめえが師範だってことを。オレたちが負けたってことをよ」
五郎は下を向いたままだった。
ジオンがさらに何か言おうとしたとき
「ギャー!止めろ!お前たち何しやがる?」
悲鳴と大声はガンカクだった。
まだ起き上がることができない彼は、オバさんと、そして今戦ったばかりのミヒから手当を受けていた。
ガンカクはオバサンが持ってきた救急セットをはねのけた。
中身が床に散らばった。
「何でお前たちが俺の世話なんか焼くんだ?お前たちは敵だろうが?」
ミヒは散らばった救急セットのガーゼや包帯を拾い集めながら
「テキ?私たちそんなこと思ったことないヨ」
「痛え、よせ、止めろ!」
オバサンは、ガンカクの血まみれのカブキ顔を無理矢理拭きながら
「ちょっとまるで子供だねえ、ダダこねちゃってさあ。
道場破りだか何だか知らないけど、敵なんて思ってたら最初に『いらっしゃいませ』なんて歓迎するもんか」
ガンカクの目が点になった。
ミヒはガーゼを指の太さくらいにまるめながら。
「ゴロちゃん言ったよね、さっき。『勝ち負けにも、誰が強いとか弱いにも興味ない』って‥‥」
そう言いざま、丸めたガーゼをガンカクの鼻の穴にに突っ込んだ。
ガンカクは2度目の叫び声をあげた。
しかし、そのあとはガンカクはおとなしく治療を受けた。
「一体どうなってるんだ? あの夜は、俺たちが一方的に勝っていたはずなのに。今夜はこんな負け方するなんて?」
オバさん「だからァ、あの時ミヒちゃんが言ったじゃない。『あなたたちは、五郎ちゃん空手、何も知らない』ってさ」
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