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あこがれの隣
今日はあこがれの人の写真を撮った。
憧れ、という書き方はなんだかしっくりこない。かといって友達と表現するには畏れ多い気がする。お日様をたくさん浴びた木はきらきらした緑葉が綺麗で、その緑葉は地面に優しい影を落としている。僕にとって彼女はその木みたいで、憧れというには親しみやすくて優しすぎる存在なのだ。というわけで、あこがれ、という表現に落ち着いたのである。
自分から誘ってポートレートを撮るのは久々だった。撮る前はずっと緊張していて、俺なんかが先輩の貴重な時間を奪っていいのか…これでいい写真撮れてなかったら失望されるんじゃねぇか…という具合でぐるぐるネガティブ思考をループしていた。時折、何かが降りてきて全てが完璧に思える瞬間があるのだが、文字通り瞬間なので次の瞬間からまたネガティブループが始まる。しかし行けるところまでネガティブを突き通したって、いざ撮り始めると、やっぱり楽しい。
少し歩いて行くと、先輩のお気に入りの鉄塔があった。鉄塔を見ていると先輩の顔が輝いたので、最初の写真はここで撮ろうと決めた。撮る時になんと言って声をかけるのが正解なのかはいまだによく分からない。可愛いとか軽く言ってしまうと商業的なポートレートっぽい雰囲気になりすぎちゃうんじゃないかとか色々考えて、結局静かにシャッターを切った。それからも色々な話をして、たくさん歩いて、時々写真を撮った。
写真を撮ることは僕にとってコミュニケーションの一環でもある。話してその人のことを知って、レンズを通して相手を見て、思いを込めてシャッターを切る。今日、僕はどんな気持ちを込められたのだろうか。言葉にできる気持ちもあれば、できない何かもある。写真のいいところは、その何かを言葉にしないまま閉じ込められることだ。込めた気持ちが相手に届く保証はないけれど、それでも、気持ちを伝えようとすることには意味があると信じている。
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