noteの世界で言の葉に色を添える
noteの文字は黒色だ。
他のブログのように、文字の色それ自体を変えることはできない。
大切な部分を赤文字にしたり、
可愛くピンク色にしたり、
ネタバレ部分だけをグレー色に変えたりすることはできない。
noteの文字は黒色だ。
それは徹底的に黒で塗りつぶされている。
強調する太文字も、まさにこの「太文字」も、黒色だ。
黒を黒で強調する。そこには黒しか生まれない。
だから。
だからこそ、言の葉に、色を添えよう。
あなたの色を、あなたの色で、表現しよう。
◆◆◆
私はわりと、言葉に敏感な人間だと思う。
「気持ち」と「きもち」と「キモチ」——。この表記の違いが気になってしまう。
「言葉」と「ことば」と「コトバ」——。この表記の違いが、意味の違いにも繋がっていると考えてしまう。
言葉が「チクチクする」「フワフワしている」「ズシっとくる」という感覚を持つことがある。
こんな感じで、実は、文字は「単なる記号」ではなく、色や感覚を備えたものなんじゃないかな。そう思うのだ。
小さい頃、私はある特定の言葉と色を結びつけて考えていた。
国語は赤。
算数は青。
理科は緑。
社会はオレンジ・・・。
なぜだろう?とずっと気になっていた。
その答えがわかったのは、ずっと後になってからだった。
答えは簡単だ。小学校の「時間割」(教室の壁に貼ってあるやつ)の色が、この色だったのだ。
だから、なぜか「算数」と聞くと青色をイメージするし、
「社会」と聞くと、瞬時にオレンジ色をイメージする。
こんな感じで、言葉には色がある、と考えることが、よくあるのだ。
今、あなたが読んでいるこの文章は、何色だろうか?
◆◆◆
noteの文字は黒色だ。でも、それは悪いことではない。
私はむしろ、それがメリットだと思っている。
もし、noteの文字の色を、自由に変えられたら。
文字の色のイメージを、「書く側」が決めることになる。
たとえば「ふんわり」という言葉を、私がピンク色で書いたとする。
すると、「読む側」は、「ふんわり」をピンク色で読まねばならない。
本当は、読んだその人にとっては、「ふんわり」は水色かもしれないのに。
だから。
だからこそ、noteの徹底的に黒に塗りつぶされたこの世界は、
読む側にとって優しい世界なのだ。
「ふんわり」を白色で感じても、青色で感じても。
「じっくり」を黄色で感じても、黒色で感じても。
どう感じても、それは「読む側」の自由であるし、
黒の世界には、その「自由」が担保されている。
どうでもいいと笑うかい?
そんな徹底的に黒色に塗りつぶされたこの世界で、
私は言の葉に色を添える。
自分だけの、自分の色を探しながら。
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