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写真は「魔法」、撮影者は「魔法使い」

写真のことは好きですが、高尚なものだとは思ってない自分です。

誰だって撮れるし、カメラ性能が爆上がりしてる昨今では構図が〜光が〜と言っても数うちゃ当たるわけで、特別なことでもなんでもないと思えています。特にAIが進出してきた現在は、公私共に写真が本物である必要性を考えさせられます。

そんな写真最強!最高!と思っていない自分ですが、1つだけ素敵だなと思っていることがあります。写真は「時」を止めるということ。

人生100年時代なんて言われていますが、人間は年月と共に老化・成長していきます。年輪がある人物、それはそれで素敵な歴史を経たイマがあるので素敵なことなんですが、若い時、小さい時、現役バリバリの時、歳終えた時、それぞれの時間が宝物のはずです。

それを「記録」できるという”魔法”のことを写真というのかなと最近は思うようになってきました。

スマートフォンでもデジカメでもお母さんでもお父さんでもおじいちゃんでも、その「時」を切り取った人は誰しもが魔法使い。そんな風に考えると少し写真のことが高尚なものに感じるようになってきました。

最近では、本職のカメラマンさんも法人仕事が少なくなってきたという話も聞きます。スマートフォンの普及でカメラ=スマフォの図式も一般家庭にはできています。そんな中カメラメーカーさんが頑張ってカメラを作っているのは1人の写真好きとしては感謝ですが、いつの日かこの魔法の部分だけが残っていくのかなと少し寂しい気持ちになります。

必ずしも残さないといけないわけではないイマですが、写真は死んでも残ります。歳がいっても若い頃のイマが残ります。知識やスキルなんて二の次で結局”記録”するという写真の源流が一番楽しくて大切なんでしょうね。


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