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私というひと〜自分史〜その33

【長文です。長文嫌いな方、興味がない方は読むのをお控えくださいね。】
【自分史なのでもちろん実話です。】

36 実家の悲劇

子供がお腹に宿る半年以上前。
大変なことがおきました。

ある日の深夜。携帯電話がなります。
「お父さんが苦しがっている」

その時、育ての父の年齢は70手前。
救急車を呼び、病院に運ばれたそうで。
その当時の転勤先は、その病院から車で1時間程度離れた場所。

「すぐ行くわ」
隣で寝ていた旦那さんを起こして、事情を説明。車を走らせました。その時、天気は大雨。

病院につくと、医師からの説明。
間質性肺炎を引き起こし、薬で眠らされICUにいる状態。助かる確率は半々。

母親は目を覚ますまで完全に病院に寝泊まり。

その間実家にいる犬の世話は1日1回私が様子を見に行き、餌をやり。
家と実家と病院を毎日往復する日々。

3日後ほど経ち育ての父Tは目を覚まし。
一命を取り留めました。

しかしそこからが大変でした。
すぐに退院できるわけではなく。

ちなみに、
今までここに書いてきた通り
実家は貧乏。お金はありません。
一時期家が仕送りしていましたが、それもできなくなり、結局生活保護を受けて生活している状態。

入院費用なんてありません。

運ばれたときに使用した特別な薬が高かったのか、かなり入院費用は高額に。退院するまで3ヶ月。

誰が出すか。
私しか支払う人はいませんでした。
建て替えるという形で支払い。

そこから、退院しても通院費用等もかかります。

退院前に心臓も弱くなっているとの事。
今度はカテーテル手術をしなければならないと近くの大きな都市の総合病院に転院。

そこの病院から車で2時間。
私の家からは車で1時間の場所。

実家の犬の様子を見ながら、トンボ帰りし総合病院に様子を見に行く日々。もちろん仕事もしながら。
なかなか大変でした。

1週間以上入院し、やっと退院。
すざましい日々はあっという間に過ぎ。

その過程があってからすぐに子供ができた事が発覚したのでバタバタしていました。

その後、またまた後を追うように問題発生。
それは次回お話します。