私というひと〜自分史〜その34
【長文です。長文嫌いな方、興味がない方は読むのをお控えくださいね。】
【自分史なのでもちろん実話です。】
37 新たな生命と新たな試練
子供が産まれる時、とても難産でした。前日から陣痛が凄いのに子宮口は開かない。
最終的に車椅子で移動。出産する準備。
子宮口を開けるための機材の使用や注射を打たれ、ようやく産まれたのがその年の最高気温が打ち出された時。
快晴で猛暑の中産まれた我が子。
また、その産声が、産声ではない(笑)
並外れた大声。
病院長が「今まで何十年と子供をとりあげてきたけど、こんなに大きな声の子は初めてだ!」
と、言われる始末…。
まぁ、肺が丈夫ってことよね、と前向きに考えて。
その時病院から旦那にも連絡していたらしく、お互いの両親も来ていました。
廊下で泣きながら喜んだそうです。
しかし、私は難産でぐったり。
旦那は仕事が忙しく、ほとんど病院に来ることが出来ず。
慣れない子育てに奮闘しながら。
最初は母乳も出なかったのですが、マッサージのプロの助産師さんがいて「絶対出るよー!私がマッサージすればみんな出るのよ〜」って。
もう、神じゃん(笑)。
マッサージ痛かったけど、その後氷で冷やしたりして、それを繰り返すうちに出るように。
感動しました。
退院したあとは、家事と育児の両立。
私側の両親は育ての父の体のことを考えると泊りがけでお世話は不可能という答え。
今考えれば勝手な親だ…。と思いますが。
そこまで考える余裕もなく。
程なくして義理母が3日間程こちらに泊まって手伝うと。
すみませーん、お義母さん。
と、思っていたのですが。
義理母は重度の糖尿病。
なので来なくてもいいと思っていたのに。
正直育ての父の状態よりも体が悪いのに。
申し訳ない、と思いつつ。
そしたら、「ご飯とかは気を使わないでね〜。きゅうりしか食べられないのよ。」
へ?きゅうり?
バックからきゅうりを取り出してボリボリ食べるお義母さん。
それで3日間、大丈夫??
「だっこさせてー」とお義母さん。
抱っこするのはいいのですが、力がないから長時間は無理で。
数分でギブ。
何をする、手伝うと言うこともなく…。
結局全部自分でやり。お義母さんとお話もしなければならないので横にもなれず…。
正直地獄の3日間。
なかなか辛かったです。
その後の子育てはとても大変でした。
やはりそういう状態でも、旦那さんが仕事が忙しくて手伝いをしてくれない状態でも子育てはしなくてはいけません。正直母子家庭の様でした。
それでも、こんな状態でもちゃんと子供を立派に育てなくては。周りに何を言われるかわからない。凄く気負いしながら子育てをしていました。
次回に続きます。
長文読んでいただいてありがとうございました。