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「どうして写真を撮るの?」という問いは、「どうして生きているの?」という問いと同じ
昨日、とある写真家の方のYouTubeを見ていた。
テーマは「アナクロ」。
最新のフルサイズミラーレス一眼といったカメラ機器の話題から、その対極にあるようなアナクロの「フィルムカメラ風」が撮れるデジカメについて等の話があった。
その中で、
「自分が撮った写真が作品として生き残っていく際、今という時のものを撮るのには、その時のものでしか撮れない、つまり今の最先端のもので撮っておくという事が大切ではないか」
というような事を言っていた(正確ではないけれど、このような趣旨だった)と思う。
この話が、頭の中をグルグルと回っていた。
自分は、写真を仕事にしているわけでもない人間だけれども、カメラのシャッターをたくさん切っている。
フィルムだったり、デジカメだったり、iPhoneだったり、iPadだったり。
写真家でもない自分が撮った写真や画像というものは、表に出るものではない。
おそらく、死んでしまったら多分消えてしまうだけだろう。
一般の人が撮った写真というのは、おそらくほとんどがそうなのではないか。
ましてや、昔のように焼いた写真をアルバムに綴じていくというような事ではなく、ほとんどが電子デバイスの電気信号として残っているだけの世の中になっている。
自分の場合も、2007年以降はほとんどデジカメ。
iPhone以前の携帯電話で撮った画像などというものなどは、取り出すことさえ出来ない。
写真を撮ることに意味があるのだろうか?
「どうして写真を撮るの?」
そんな問いが自分の中に出てきた。
そしてその答えは
「どうして生きているの?」という問いと同じだという事。
今を生きている。
自分という人間が生きている。
それに意味なんてものを問うのは、なんだかおかしい。
生きている事と変わらない。
冒頭のYouTubeでの話題を提供してくれた人と、自分の考え方の違いというところで行くと、
「自分が今を生きている中での写真に、道具など関係ない。」
というのが、自分の考え方なんだなという事が見えた。