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鎮魂の灯り2004
とても寒い夜。
この時期になると、電飾を家のまえに飾っているところもちらほら見られるようになる。
こんな風習って一体いつくらいからなんだろう?
そして、この時期に電飾で通りを飾ると人が寄ってくるからと、全国あちこちで電飾の中の通り抜けイベントが行われるようになった。
しかし、元はと言えば、神戸ルミナリエなんじゃないだろうか。
1995年、地震があったりサリン事件があったりと、本当に世の中がどうなるんだろう?と、誰もが感じていたんじゃないだろうか。
自分は、そうだった。
そして、兵庫県南部地震によって起こった阪神・淡路大震災で、ボーッと生きていたところから叩き起こされたような気分になった。実際、目指すところは変わった。
それだけ大きな出来事だった。
街の姿が変わり、地震前の日常は2度と戻ってこない中、心の中にポッカリと大きな空虚なものがいろいろな人に会った時、ルミナリエの灯りは何がしら暖かさをもたらしたような気がする。
自分は、そんな感じがした。
1995年の年末に行われたルミナリエに出かけた時、あのたくさんの電飾を見るにつけ、多くの人の魂の輝きが光っていると擬人化して灯りを見た。
一つ一つの電球が、それこそ大きな姿を作って、それに触れた人の心さえも勇気づける。
そんな気がした。
自分は、勇気づけられた。
だから、ルミナリエにいくのは、自分の中では浮かれた気持ちもあったにせよ、芯のところでは儀式の要素が強かった。
鎮魂の祈りを捧げる、そんな空間という認識を持っていた。
しかし、神戸でも商売っけがものすごく鼻につくようになってからというもの、そしていろいろなところで真似をするところが出てきてから、夜の電飾の通り抜けには出かけなくなった。
しっかりとルミナリエのアーチの下を潜った最後の年が2004年。
10回目のルミナリエだった。
全て、Canon IXY Digital 200。
2004年12月10日