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20210528 自分の写真をメタ認知することと、カメラのフォーマットの話
いつも、YouTubeでチェックしている写真系の動画がある。
伴貞良さんのチャンネル。
今日、この動画を見て、ものすごく勉強になったところがある。
自分は、写真は趣味として楽しんでいるのは間違いない。
仕事の記録として撮影することもあるが、記録という目的以上にシャッターを切って撮影しているところはある。
日常を定点観測として撮影することもあったり、街の様子の変化を「街角採集」として撮っていきたいというところが、自分の欲求として少しずつ最近は明確化してきている。
ただし、今撮影しているものに関して、なんとなくしか撮影していない。なんとなくでしか撮影できていない。
使っているカメラのフォーマットも色々。
さらには、フィルムやオールドデジタルカメラで遊んでいるところもある。
ここのところは、カメラを使うことの喜びという趣味全開という感じでもある。中身よりも道具というところか。
しかし、そうしたところに関して、少しモヤモヤしているところもあった。
ところが、今日この動画を見て、すこし霧が晴れたような感じを受けた。
それは「ディレクター目線」で、自分の撮影した写真を見ること。
伴さんが動画の中で話していることで、ものすごくガツンときたところだ。
伴さんも話をしているけれど、撮影したものをTwitterなどでいいねを欲しいわけで写真を撮っているわけではない。
ここのnoteに載せて、これもいいねをもらいたい訳で写真を撮っているわけではない。
しかし、自分の撮影しているものをなんとなくテーマとしてまとめて行く感じでまとめていく場合、ディレクター目線というのが全くなかった。
これも、メタ認知に関することなんだろうけれど。
メタ認知ということを気にして、ディレクター目線で自分の撮影した写真を見直してみた。
テーマとしては「街角採集」なんだけど、さらに少し深掘りするとすると、「この空間に居たいなぁ」や「この空間が愛しいなぁ」、「この風景を見続けたいな」と思う瞬間が写っていると、自分の場合は「良い写真」と感じる様なことに気付いた。
そうすると、これまで縦位置の写真を結構撮ってきたのだけれど、そうした写真に違和感を感じ、横位置の広がり感に落ち着きを感じた。
iPhoneの写真が落ち着かないのは、もしかしたらそうしたところもあるのかもしれない。
iPhoneでも横位置で撮影したものは、それほど違和感がないものもある。
カメラのフォーマットについて、動画では色々な話が出てきているけれど、自分の場合はそれほどたくさんのフォーマットのカメラを持っているわけではないので、わからないところがある。
しかし、撮影していく中で、そうしたものも見えてくるのかなというヒントが動画の中にあった。
noteに写真をアップする場合、おそらく見返すことで、写真の腕というところと、自分のディレクターとしての目線がどれだけ成長しているのかを見ることが出来るのだろう。
これは、Twitterでは出来ない。
なぜなら、あの文字数で自分の考えていることを言語化するのは無理だから。
自分をメタ認知して行くのに、このnoteというフォーマットは優れているような気がしてきた。
オリンパスペンEE2
コニカBigMini S
京セラサムライ
Nikon D40X
ヤシカ FX-3 Super 2000
Canon EOS Kiss X5
一つ目線を持つことで、カメラやフォーマットは違えど自分の中の統一感というのがあるような気がしてきた。
写真という表現の中で、こうした発見があったのは、ちょっとうれしい。