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20220918 結構な年齢になってしまった
昨日は、誕生日だった。
妻がいつもお世話になっているレストランを予約してくれていて、そこでささやかなお祝いをしてくれた。
いつもいつも、気をかけてくれていて感謝しかない。
妻と結婚して、19年。
来年で丸20年。
残念ながら、私の身体には子どもを作る機能がないことから、私たち夫婦には子どもが居ない。
なので、ずっと二人での生活をしてきた。
だからなのかもしれないが、昔からそのままのような気がしてなら無い。
それなりの時間を過ごしているが、しかしその時間が過ぎているという実感はあまりないのだ。
二人の関係はそんなに変わらない感じがある。
不思議なものだ。
だからかもしれないが、二人でいると年を取ったという感覚も乏しい。
二人でいる時間は、とても安心感がある。
家の中で違う部屋にいても存在感を感じる。
逆に、妻が出張などで留守の時などは、本当に落ち着かない。
自分の趣味は?と聞かれたら、「妻の観察」と言っても過言ではないところもある。
日々、発見があるから面白い。
そうやって、結婚する前からすると27年も一緒に居るのだから、すごいものだ。
もう、生まれてからの半分以上、一緒に居ることになる。
この数年は、苦しい思いをした。
それは、自分だけではない。
妻もまた、自分に頼ることが出来ずに、色々と抱え込んでいるところがある。
それは、見ていてひしひしと感じる。
一度目の休職をして復職後、しばらくしてから「ホントに気が休まることがなかった」とポロッとつぶやいたことがある。
そして、2回目の休職があったのだ。
その心労たるや、いかばかりのものだっただろうか。
子どもが居ないので、家族と呼べる二人のうち必ずどちらかが先に旅立つ。
自分が先に旅立つにしても、ものすごく心残りがあるだろう。
こんなことは考えたくはないが、妻が先に旅立つことになったとしたら、その喪失感はなんとも言いようがないだろう。
そんなことを年を取ってきたからか、二人で話すことも増えた。
しかし、そんなときに必ず出る結論は、
「今、生きているこの時間を、一緒に居る時間を大切にしよう」
となる。
人生の折り返し地点はおそらくとうに過ぎてしまった。
改めて、二人の時間を大切にしたいと思った誕生日だった。