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20220122 自分が好きなものが何か、自分が撮影したものから気づく
休職してからの期間、カメラを持ち歩くことが基本的にはデフォルトになっている。
気に入ったものを電子的であったり、化学的であったり、手段はいろいろではあるけれど、収集している感じ。
「撮影する」という行為そのものが、その瞬間の光をコレクションしている感じがすごくある。
そうやって、撮り溜めたものが去年は1万枚を超えた。
今朝、クリニックのリハビリに出る前に、久々にゆっくりと家人と話をしていた時に、
「自分の好きなことをすると、やっぱり元気になれる」
みたいな話題になった。
家人は、これまでの人生の中で、いつもそのことを強く意識して生きてきたとも言っていた。
「でも、そういうこと苦手だよね」
と、家人は長い付き合いの中で、私の苦手としていることを気遣ってくれる。
「この1年間で、1万枚少し撮影したんだ。」
そんなことを言って、iPadのLightroomを起動して、撮影したものを見せた。
見せたのは、CanonのPower Shot SX160 ISで撮影したもの。
まあ、これがここのところ一番多く撮影しているカメラだったから。
最近の自分が「光を閉じ込める」ということが楽しいと言いながら、パラパラと画像を見せていく。
「どんな色が好き?」
そう聞かれたので、
「この写真や、この写真見たいな色合いが好きだなぁ」
などと説明してみる。
「好きなものを集めている感じでどんどん撮っている。」
そうやって見てもらっていると、家人は何か気づいたみたい。
「ああ、昔から空の青さが好きだよね。やっぱり青色が好きなんだね。写真のどこかに空が写っていることが多いね。」
そう言われると、空がどこかに写っていない画像を探す方が難しい。
そうか、自分はこれまで言葉にできるほどの意識まで上がっては来なかったレベルで、空を意識していたのか。
家人との付き合いはかれこれ四半世紀を越えたけれど、こうしたやりとりができることがとても嬉しい。
どうも、自分のことを人に見せるのは恥ずかしくて仕方ないのだけど、家人には少し恥ずかしいところはあるが、見せることができる。
やっぱり、信頼しているからだろう。
朝から、少し良い気分になった。