深夜営業の古本屋で見つけた昭和の手紙
真夜中の古本屋は、時間が止まったような静けさに包まれている。埃っぽい空気の中、黄ばんだ本たちが並ぶ棚をゆっくりと歩く。深夜3時、この時間に開いている本屋など、この街で「夜光堂書店」だけだろう。
一通の手紙
奥の棚で見つけた昭和30年代の古い小説。パラパラとページをめくると、そこから一枚の便箋が滑り落ちた。几帳面な文字で書かれた手紙。宛名は「拝啓 木村様」。昭和39年8月15日の日付が記されている。
手紙の内容
「お元気でいらっしゃいますか。東京は相変わらず暑い日が続いております…」
そこには、一人の若い女性の想いが綴られていた。東京オリンピックの開催を目前に控えた昭和39年。高度経済成長期の熱気と、変わりゆく街への複雑な思いが、丁寧な文字の中に見え隠れする。
届かなかった想い
「私、来月から新しい仕事を始めることになりました。あの日お話しした夢を、少しずつ実現できそうです」
手紙の主は、デパートの案内係から編集者への転職を決意したらしい。その決断を、大切な誰かに報告したかったのだろう。しかし、この手紙は投函された形跡がない。
昭和の記憶
「街並みが日に日に変わっていきます。でも、あの喫茶店はまだ健在です。たまに寄ってみるのですが、今でもブレンドコーヒーの香りは変わりません」
彼女が言及する喫茶店は、もしかしたらこの近くにあった「マロニエ」だろうか。今はもうないが、昭和の終わりまで愛された店だったと聞く。
時を超えた共感
「変化を恐れてばかりいては、前に進めないと気づきました。あの日の木村様の言葉を、今でも胸に抱いています」
60年近く前に書かれた言葉なのに、今の自分にも強く響く。時代は違えど、新しい一歩を踏み出す勇気を必要とする心情は、今も変わらない。
深夜の発見
店主の古老に手紙のことを話すと、懐かしそうな表情を浮かべた。
「ああ、その本の前の持ち主は、確か編集者になった方でね。亡くなる前に大量の本を寄贈していかれたんですよ」
つまり、この手紙は送り主の元に戻っていたのだ。木村という人物に届けることなく、彼女の手元で大切に保管されていたのかもしれない。
時を越えた邂逅
深夜の古本屋で見つけた一通の手紙。それは単なる過去の遺物ではなく、ある女性の人生の転換点を記した貴重な証だった。夢を追いかける勇気、変化を受け入れる決意、そして誰かに伝えたい想い。
今夜、この手紙は私に、新しい一歩を踏み出す勇気をくれた。昭和から令和へ、時代は移り変わっても、人の心の機微は変わらないのかもしれない。
古本屋を出る頃には、東の空が白み始めていた。手紙は店主に預け、本の中に戻してもらった。きっと、また誰かが見つけることだろう。そして、その誰かにも、この手紙は新たな意味を持って届くはずだ。