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夫は私を、女性としてではなく、マイクロブタと同じレベルで「かわいい」と言う(アラフィフDINKs、マッチングアプリ婚1年後の日常つれづれ①)
マッチングアプリ(pairs)で夫と出会ってから3年半、結婚&同居して1年あまりが過ぎました。夫との暮らしがもう安定して「日常」になったので、結婚生活をちょこちょこ振り返ってみようと思います。
残念なことに、私は若い頃から「垢ぬけた人」になれたことが無い。きちんとした感じにすることはできる。お嬢様っぽいとか、清楚な感じ、とかは、若い頃はしばしば言われた。今でも、スーツとかきちんとした感じには、それなりにできる。でも、同性からみてまぶしいような「おしゃれ感」とは縁遠い。流行をちゃんと実行できたことも、ほぼほぼ、無い。
そして、外に行く時の服装はきちんとする一方で「部屋着」が壊滅的にイケていない。実家にいた頃も、母の日常着は(高齢者にもかかわらず)なんとなく垢ぬけていてカワイイのに、私の日常着はどうにもダサかった。
着心地が良いからと着続けている部屋着について、母から「お願いだからもうその古い服は買い替えて!」と言われてようやく服を捨てるレベルだ。
さすがに新婚さんになるのだから、もう少しマシにならないかと、結婚後、無印とユニクロで日常着を新しくした。結果、買ったばかりのユニクロと無印を着た、ゆるい服装のおばさん、ができあがった。悲しいが、見た目そんなもんである。
そもそも服を買う能力が低すぎて、イオンとかに入っているいろんな店から自分の洋服を買う、ということができない。多すぎて選べないのだ。なので、たまに意を決して会社帰りに百貨店に寄り、相性が良いと思っているお店に行って、店員さんに教わって何枚か洋服を買うしかできない。でもそんな感じだと、お出かけ用の洋服は手に入っても、「おしゃれな日常着」は手に入らない。
(どうしたら、垢ぬけた日常着を揃えられるのか、本当に教えて欲しい。言われるがままにネット通販をポチっとやりたい。。)
言い訳ばかりしているが、そういうわけで、アラフィフとはいえ大好きな夫と新婚生活を始めた私の日常着は、ユニクロの暖パンと、無印のフリースとかそんなやつであり、かわいいとも美しいともまったく縁遠い。
だが、夫の日常着も、私に負けず劣らず、ゆるい。
だいぶボロくなったTシャツと、トランクスでうろうろしているし、寒いと思うと、これまたおしゃれじゃないユニクロのスウェット上下をいつも着ている。
そもそも夫は、出会った時からさしておしゃれではない。若い頃は頑張った時期もあったそうなのだが、私が出会った40代半ばでは、いくつかノース・フェイスを持っているぐらいで、大半は、ユニクロと無印とワークマンで構成されている。夏場なんて、スティーブ・ジョブズかゼレンスキー大統領ですか?と問いたいくらい、無地のTシャツ数枚をひたすら着ている。
(とはいえ、夫は不潔感はない。臭いと思ったこともないし、デートの時はちゃんとヒゲも剃っている。夫に出会って、私はかつてよく女子会で言っていた「そんなに多くを望んでるわけじゃない。なんならユニクロ全身で構わなくて、奇抜なトレーナーとか着ないでくれればそれで十分」という基準に見事合致した人だなあと、妙に納得した。)
そういうわけで、私たち夫婦の日常着は、まったくもってイケていない。
でも、私たちはとても仲良しで幸せだ。夫はリビングにギターを置いて、隙あらばYouTubeを流してギターを弾いてごきげんだ。私たちはおしゃれではないので、音楽がかかってごきげんだと、一緒にナゾの踊りをおどったりはしゃいだりする。階下を気にしなくて良い住まいを選んで本当に良かった。
私たち夫婦は、村上春樹の『ノルウェイの森』の「春の熊」みたいに仲良しだと思う。若い頃に、ずっと憧れてたやつだ。
「春の熊くらい好きだよ」
「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。「それ何よ、春の熊って?」
「春の野原を君が一人で歩いているとね、向こうからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。『今日は、お嬢さん、ぼくと一緒に転がりっこしませんか』って言うんだ。そして君と子熊で抱き合ってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろ?」
夫に出会って3回目のデートの時に、車の中でぎゅうと抱き合ってみて、私が思ったのは「なんだか妙に安心して心地が良いな」だった。それまでの恋愛での初期のスキンシップは、もっと緊張して、幸せだけど不安なものだったけれども、夫とは最初から、ただぎゅうとくっついて、それこそ、子熊と抱き合ってころころ転がって遊んでいたいような心地良さだった。
だからもしかすると、最初から、私にとってのいつもの恋愛とはちょっと違ったのかもしれない。そのせいか、出会って3年以上が経って、「脳科学的には恋愛の賞味期限は3年」なんていう季節が過ぎても、私達は一緒にナゾの踊りをおどったり、抱き合ってころころしたりして、ただ幸せに暮らせている。
そして、夫はどうやら、私を「女性としての美しさ」では評価していない。たまにちゃんとお化粧をして余所行きにして、「ほら、ちゃんとお化粧したよ!」と自慢すると、夫は「どうしたの!今日かわいいね!パッチリしてる!なんでそんなにかわいいの!」と毎回言ってくれる(客観的にはお化粧をしたおばさん、であるにも関わらず)。夫は、ポジティブなことはテンプレだろうが何回でも言った方が良いということを、よく心得ているのだ。
そういうわけで、私がたまに化粧をすると喜んでくれるけれど、化粧をしていなくても、変わらず大事にしてくれる。私がヒドい部屋着で、ブローしていない髪の毛で、スッピンで変顔をしていても、その変顔をみて「かわいいなあ」と喜んでくれる(客観的にはとにかくヒドい状態であるにも関わらず)。
どうやら、夫の私への「かわいい」は、動物園のカピバラの入浴だとか、水槽で泳いでいるカバのお尻だとか、そういう様子を見て発する「かわいい」と一緒なのだ。私がYouTubeでマイクロブタのしらたまちゃんを見て、でっぷりと太ったしらたまちゃんが走って滑って転んだり、うつらうつらして眠ってしまったりするのを見て「かわいいなあ」というのと同じレベル感で、夫は私を「かわいい」と言っているのだと思う。
私はそんな、美的感覚がゆるめの夫と結婚して、本当に良かったと思う。マイクロブタのしらたまちゃんが、あくびをしたりヨダレを垂らしても、私は「かわいいなあ」と思うように、夫はゆるんだ私を見ても「かわいいなあ」と言ってくれるので、自宅での休息時間に、私は本当にのびのびとしていられる。
とはいえ、あまりゆるみ過ぎると、夫がある日、我に返ってしまったら困るので、お出かけする時ぐらいは、ちゃんとお化粧とかをしようとは思っている。
→マイクロブタのしらたまちゃん。とにかく、何もかもがかわいい…。