ぼくとそらの、地球探究記 ~第3夜 世界のシクミ~
第3夜 世界のシクミ
世界とは、3つの登場人物から始まる。
一つは、【可能性】
可能性とは、森羅万象すべての背景に流れる創造のエネルギーであり、すべてなるもの。
すべての源であり、すべての根源。
すべてなるもの、ソースエネルギー、大いなるもの、などと呼ばれることもある。
二つ目は、【認識】
役割担当は、可能性を認識することによって、ふよふよゆらいでいるだけの可能性に "カタチ" を与える。
例えるなら、クッキーの型や、にがり等の凝固剤。
認識=意識と置き換えることもある。
三つ目は、【現象】(創造物)
可能性が、認識されることによって、"カタチ"なきものから、"カタチ"あるものへと成ったモノ。
生み出されたもの。創造物。
この世界は、この3つの登場人物たちから始まる創造の物語である。
どれか一つがいればいい、在ればいい。
という事ではなく、
この3人の登場人物たちは、世界の創造に決して欠かすことのできない存在なんだ。
世界を創造するとき
大切なことはいろいろあるんだけど、
【自分が望む世界を創る】という点において
重要なのは、二つ目の【認識】だ。
世界の創造の仕組みを例えるなら、
昔、学校の授業などでよく使われていた
オーバーヘッドプロジェクター(OHP)を思い出すといい。
これね👇👇👇 とっても懐かしい(笑)
このOHPというプロジェクターは、
こんな👇フィルムに
スクリーンに映し出したいモノ(絵やグラフや文章等々……)
を自由に書き込んで、
それをプロジェクターの機械本体の上に乗せると、スクリーンにそのフィルムに書いたモノがそのまま映し出される。
ってゆうもの。
世界創造の仕組みに置き換えてみると、こんな感じ👇👇👇(図1)
現象/創造物
=私たちが体験している現実世界。
この図1☝を見てもらうと分かりやすいと思うんだけど、
スクリーンにどんな像が映るかは、フィルムに書き込まれたもの(認識)次第だってこと❗❗❗❗
フィルムにはヘビの絵が描かれているのに、私はうさぎが好きなのになんでうさぎが映らないの?!?!!と激昂しても、
それは、きみがヘビの絵をフィルムに書き込んだからだよね??
って、だけのはなし。
ただ、それだけのことなんだ。
今回は、ヘビとうさぎに例えたけれど
ぼくたちの日常ではこんなやり取りをよく見かけるよね。
幸せになりたいのに、なれない。とか
お金が欲しいのに、お金がない。とか
好きなことをやりたいのに、好きなことが分からない。とか………………
それは、きみが過去、
フィルム(認識)に
私は幸せになれない………
私にはお金がない………
私には好きなことがない………
という絵(認識)を描いたからだ。
ただ、それだけのこと。
きみという存在が、ダメだとか
存在価値のせいで起きていることでは
ないんだよ。
もしも、今きみの現実が
"望まないもの"
であるなら、
きみのフィルム=認識には、
どんなものが描かれているかな??
たとえ、"望まないもの"を
フィルムに描いてしまったとしても
フィルムは無限に、無条件にあるし
無限に、無条件に、
何度だって描き直せるからね。
まずは、
今の自分のフィルム(認識)に
どんな絵(認識)が描かれているのか??
今一度、みなおしてみてね(*> ᴗ •*)ゞ ੈ✩‧₊