えええ( ꒪⌓꒪)…雨粒と涙…
(タイトルと内容はまるで関係ないです)
これ、気になって見たんだけどね
寂しいと思った時
助けて!と電話して時間奪えるような友達がいるかいないか…って言ってて
あぁ
それすらないし
なんなら90年代楽しかったけどその時すら
そんな電話できる相手いなかったわって知って
完全に終わってんなわたし 笑
って決着した
多分電話する相手は公人ばかりで
子供の学校の先生
子供の学校絡みの親(PTAや保護者会)
病院の医者
区役所の職員
講習会で知り合った人
くらいなので
ちょっと今困ってるんだけど助けてくれない?
って気軽に声かけられる人居ないから
逆に清々しい気持ちになった
(LINEでちょっと愚痴るくらいな人は数人いるけど、それは必ずしもオンタイムでやり取りとも限らないのであえて別物として捉えて書いてます)
困ったら放置するしかないけど最終的には
役所や弁護士的な公人に平日の稼働時間を上手いこと使ってやりくりするしかない代わりに
しがらみとかわざわざしなきゃいけない
余計な気遣いやお金の気兼ねしなくて済むよね
時間のやりくりだけという気楽さ
とかなってしまった
孤立感半端ないのは仕方ないけど
これも人として生きるひとつの方法だろうし
そうやって生きていく人がどんどん増えていくんだろうなって思う
それを否定しない社会にするためにはどうすればいいかみたいなのがこの先の課題なのかもしれないし、それを解決する方法はわたしのような人がなにか役に立てるんじゃないのかまで考えてみたけどそれは単なる思い上がりだなとすぐ反省したりして…
わたしは若新さんみたいに坊さんじゃないし
どちらかと言うと神道の知なので
その辺の認識の違いはあるだろうけど
辿りたどって着く先は同じなんだな
みたいな
孤独は悪いことじゃないし
孤独を否定する世の中さえ少し優しさを持ってくれたらいいんじゃないかな
話なんて聞いてくれんでも
こんなもの読んでもらえなくても
構わないのだろうし
実際読まれてない現状に
「そんなもんだよなぁ」って
割り切れてたりもするから
ええやん
電話する相手いなくてもなんとかなるやん
というのが結論だな…
今日そんなような話ばかり書いてるな
アメブロでも書いてたの思い出したので
なんとなく貼っとく
誰かと共に過ごす美徳みたいな事を推奨しがちな世間への当てつけみたいにも見えるかもしれないけど、実際はそんなもんなのだよと
何となく思って生きて行こうと思う
人である以上人として生きるしかないからね
これはわたしという人として生きる実験だから
さて
そんなことより
レポートを…(まだ何もできてない🥲)