生きてるって色々あるさ
たまには入院とかして休むんだと思う
でもないのよね
しないの入院とか
まぁお産の時は3人産んでるから3回したけど
それ以外に入院したことなくて
有難いなぁとおもうけど
倒れることもなくてね
どんだけ丈夫なんだよと
わたしの事を産んだ母親は身体が弱くてね
入院してること多かったから
よく見舞いに行ってたし
通院も付き添ってたな
様々な病院に入院してたな
個人病院2ヶ所
大きな病院
精神科病院
わたしが知ってる限りそれだけある
精神科病院に入院なんてなかなかないよね
(昔はキチガイ病院なんて言ってたよね)
わたしはなんともないけど
育った環境は不遇過ぎたよね
ほんとに酷いわよく生きてたな
(๑¯∇¯๑)ハハハ
しかしまぁ
合わんのですよ
学校という仕組みが
私もそうでしたが
まさか自分の子3人とも不登校児になるなんて
想定してませんでしたがね
仕方ないんすわ
学校という仕組みが古すぎるし
それが当たり前の日本過ぎまして
私
ランドセル買ってもらって喜ばなかった
それどころか
「なぜこの赤いの背負わされてる?」
「なぜ集団で集められるん?」
「学校とはなにぞや?」
と
行くもんなのは知ってた?
保育所時代も「なぜ皆で集まってる?」
そして隣の席の女が噛み付いてくるし
身体のデカい男は殴り掛かろうとしてくるし
どちらも威嚇して成敗したが...
(標準体型大幅に下回るチビの私なのに、まるで武士のような動きをしたので、保育所の先生はそれはそれは驚いたそうな)
(普段ほぼ喋らず無表情だったゆえ余計に驚かれたようだ)
(その当時から友達は空だけだったしなぁ)
人と接する機会を与えなくては
同級生と仲良くしてもらわねば
などという計らいだろう親たちに言われるがまま、近所の地主一族の小金持ちの子の家へ遊びに行かされるなど小学生になるとさせられたりしたのだが、私にはよく分からないまま時は過ぎていた。
そのうち家庭内の不穏が原因でそういった事もしなくなった。
学校...そうだなぁ
私が小学校の入学式を中耳炎で欠席した話
とか興味あるかい?
入学式の集合写真には仏頂面の父親だけ映っていて私は上の丸の中○で仏頂面をしているという、とてもユニークな入学式の経験をしたのだよ。なかなかないだろう?こんなこと。
その時から父親の私への当たりがキツくなったよね...勉強はしなかったし
(やり方教えろコラ!だったよね今に思えば)
まぁ今で言うところの学習障害とかそんなだろうな私は...
まぁ、最近医師から診断されてるから間違いないやつ。その当時(昭和55年とかよね)そんなもの無かったからねぇ...
1年生の時の担任の先生があれこれ守ってくださったから通えてたのだろうけど。
かなりフォローはされてたよね〜
多分いじめられてたけどいじめられてるって分かってなかったし
なんだかんだ高学年になった時とにかく家庭内が不穏すぎて、私も引きこもりの不登校児になったのだけれどその頃の不登校児って不良少年少女が主流だったのに私は今なら当たり前の引きこもり不登校児という時代を先取りした行動を取っていたのだよ。
(とはいえ、今のようにパソコンやインターネットなどない時代だからね)
(ただただ電波のこない山奥で聞こえにくいラジオを聞いたりテレビを見たり寝てるのがほとんどだったが)
あー
書くのめんどくさくなったからやめよー
とにかく学校という仕組みが変わらないとね
子供の不登校増えるの当たり前でしょうという話がしたかっただけですよ。
40年前と比べてもそうそう変わらんと言うのがね…授業内容じゃないよ。仕組みだよ。
こんなに書いても身バレしないのは
人との交流が無いからなのだ
身バレしてても連絡は来ないのだ
私の存在など誰にも残ってないからな
知ってる人が居ないからな
昔昔住んでたところをGoogleEarthで眺めていたらキラキラと黒いパネルが広がってましたからね〜
本気で帰る場所なんてないよ
わらう
私の過去は黒いパネルで消されましたとさ。
偉いこっちゃ。環境破壊されとる。