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言い出したらキリがない次々出てくる不平不満の連続に呆れ...

途方に暮れる
と言うけれど
暮れて日付も変わってしまった
もう10月だって?

┐(´д`)┌ヤレヤレ...

そして、こんな曲を聞いて過去を振り返っちゃダメだと思いとどまれなかった反省タイム?

これを、30年前から聞いてて感じる事が変わらないというのはどういうことなのか?という
そこまで悟っていたのかまだ悟りきれてないのかどちらなのかと自分に問うわけだが何も変わっていないと言うのが正しそうだ。というか、そこに戻っているようだということらしい。
横道に逸れていたものが正しい道に戻りつつあるのかもしれないと...

どのみち
戻るのだと
原点に

歌っていたのだから
あの頃は
今はまるで歌ってないから
おかしくなってるんだと

歌の色々を専門知識なしに
聴いて真似してとにかく歌ってた
それだけだったけど
それが楽しかったというか
安心感だったなぁ
生きてる感じがしてたのかも
メロディと言葉の並びと
そっとそっとそして力強く歌う
思いを馳せながら景色を浮かべながら
どこまでもどこまでも響く声で


神に届く波長
というのがある
それを探していたのかもしれないし
それを無意識に使っていたのかもしれない
今は昔ほどその界隈との繋がりを感じられなくなっているような

特に何かを信じて祈るでもなく
名のある神に念じるでもなく
ただそこにある空なる場に向けて
ただひたすらに歌う事だけを
それだけが頼りだったような
こんな風に言葉を並べては
歌を歌い
空に投げる
"そら"というより"くう"と言う方が良いかもしれない

あの頃は道具をいくつも使わないと音楽も聴けないような時代だったからね
今みたいにこんなサブスクリプションとか配信でデータだけで音楽を聴くなど、有り得なかったのだから
歌の歌詞は紙に書かれていた
それを見ながら覚えた
今は聞き流してばかり
歌詞表示のある楽曲ならば見ながら聴くことも出来るが、そうとばかりは限らない。

あ、タイトルと全く関係ないこと書いてたね

こういうことなんだよ
実は

これを見て
聴き始めたら
こんなこと書き始めてた
あの頃も同じように
チャゲアスの曲を聴きながら
何か書いてたけど
それはこないだ上演された
ミュージカル刀剣乱舞 参騎出陣 にでてきた馬琴そのものでなんて事ない
やはり今とそう変わりない事をずっと書いてた
思った事を全て紙に書き出し
いつか見てろコノヤロウと
自分を奮起させるでは無いけれど
なんか落ち着かせるというか
いまはここで書いてるだけという
やってる事変わんねーってのがオチで
わたしは馬琴のようにすごい何かが書けるでもないまま半世紀の年月を生きてきてしまったので...
反省する暇があるならこうして何か書いてしまうしかないという

後悔と言うより
そうするしかなかったんだと言い訳しても許される世界に早くなったらいいのに...ね。

ゆりかもめの始点で終点で
このぶった切りのレール
すごい驚きとともに
これ、この先にレールがあったのなら
どこへつながっていたのだろう?と
想像したりした。

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