不妊治療を少しだけした事がある私の場合
2週続けて芸能人の皆さんが、不妊治療について語る番組を見て懐かしく思い、自分もそんな気持ちだったなと思い出したりしました。
もうすでに、忘れてしまっていることも沢山ありますが、思い出しながら書いてみようと思います。
私が結婚したのは24歳と10ヶ月の時です。
24歳で結婚したいと思っていたので、まあギリギリセーフでした。
すぐに子供が欲しいと言う気持ちはなく、しばらくは2人で楽しく過ごそうと思っていました。
私は総合病院の医事課に勤務していました。結婚後もそのまま続けておりました。
普段は総合受付の長いカウンターの中で、受付をしたり、診療後のデータ入力などをしていましたが、各外来受付の人が休暇を取ったりする場合は、代わりでその外来の受付業務に入る日もありました。
その頃のわたしは、耳鼻咽喉科の受付、産婦人科の受付に臨時で入る事がありました。
ですから、産婦人科の看護師さんもドクターも他の人よりはまあ知ってる感じです。
自分が病気になった時や、具合の悪いところがある時は、朝、受診手続きをして、休憩時間や、業務が少し暇になったタイミングで診察に行けました。
『〇〇科、受診してきまーす』という感じでした。
ただ、産婦人科だけは受診しませんでした。
普段仕事を一緒にする人の前で、足を広げて内診とか、絶対嫌でした。
ですから結婚後、不正出血か何かで産婦人科に行かなくてはならない時があったのですが、家の近くの産婦人科に仕事のない土曜日の午前とかに行ったと思います。
そのクリニックで診察を受けた後、ドクターに『あなたは子宮が後屈なので、もし子どもを望むのであれば、おそらく出来にくいから早めに妊娠を考えたほうがいいかもしれないよ』と仰ったのです。
それが、きっかけでした。
そこから、必死にとまではならなかったですが、今は子供は作らないという考えは止め、ゆるーく妊娠できるかなあ?くらいの生活をしたと思います。
ところが、それから避妊していなくても半年妊娠しないのです。
あの先生の『妊娠しにくい』の言葉がなければここまで気にしなかったであろうけど、半年たって妊娠しないとさすがにちょっと気になり始めたのです。
大半の女性の子宮は『前屈』つまり、体の前側に子宮が倒れているということも知らなかったし、私の子宮が『後屈』であり、しかもそれは妊娠しにくいということも知らなかった。
生理が来るたびに『できないのかも』という気持ちが出てきたのです。
その不安はどんどん大きくなり、私は再び近所の産婦人科へ基礎体温表を持っていきました。
まず、漢方を処方されました。同時にタイミング法。そして生理が来て、ショックで落ち込む。
その次は、子宮卵管造影検査をしました。
もう、右か左どっちだったか忘れたけど(右だったかなぁ?)片方通っていないと診断されたと思います。
この検査が、恐怖を感じる程の痛みで
検査中我慢できず
『痛い!痛い』と大騒ぎしました。
目に見えない場所で起きる、今まで経験したことのない痛みでした。
卵管が通っていないと痛いそうです。
検査が終わって、痛かったねと看護師さんに言われた時、ぶわーっと涙が溢れ、泣いて泣いて涙が止まらず、落ち着くまでしばらく別室で寝させてもらいました。
それまで、内診台に上がる経験もほぼなかった私にとって、今回のように足を広げて検査を受け、あの格好で『痛い!痛い!』と大騒ぎして、取り乱した事が、本当に‥。
自分自身恥ずかしかったし、心が傷ついたのです。嫌だった。
その後何回か生理が来て、土曜しかこのクリニックに行けないんじゃダメだなと思い始め、すごくすごく覚悟がいったけど、自分の職場の産婦人科に不妊治療のため診察を受けることを決めました。
不妊治療するにあたって、日にちを指定される事がよくあります。勤めていたらその度に仕事を調整しなければなりません。
それが、ずっと続くのです。
この先の治療を受けるためには、覚悟して決めなければ無理だと思ったのです。
通っていたクリニックから造影検査の結果と紹介状をもらい、勤め先の産婦人科へ。
いつも自分がカルテを持って診察室、受付と忙しく歩き回るあの場所へ持っていった。
産婦人科の受付は同期の友達。受診するかもそれまでに何回も相談してきた。
顔見知りの先生 、看護師さん。
私は顔から火が出そうなほど恥ずかしくても、先生も看護師さんも普通に患者として接してくれました。
流石です。
前の病院で、片方の卵管が詰まっているという診断をうけていた私。まず通気検査をすることになった。
あの痛みをまた?とすごく怖かった。
しかも検査の時、内診台に寝て足を開いた私は、カーテンの向こうに沢山の研修医の足を見た。
がーん!
ああ、めっちゃ恥ずかしい。
でも、そんなこと言えない。
どうぞ!見てちょーだい。
しっかり見て学びたまえ。
ここは職場!
前みたいに大騒ぎして取り乱さないぞ!
痛くなかった。
ん?通ってるよ。と先生が言った。
検査で通る人もいるっていうしね。
両方の卵管がちゃんと通っている。
通った?ことがわかった。
前のクリニックとは違って、仕事中や仕事の休憩中に職場で診察、治療が受けられるのは本当に良かった。
受信後の会計伝票も自分で入力できるし、産婦人科で何の診察を受けてきたかはバレない。(調べようと思えばできるけど)
一度覚悟を決めれば内診台も嫌だけど慣れてきた。心を『無』にすることを習得した。
後に主人の検査もしなくてはならない日が来た。
フーナーテスト。
性交渉をして数時間のうちに診察を受けます。私の子宮頸管の中にある精子の検査をするのです。数や運動率などを調べます。
ああ、つらい。
わたしは、勤務先の病院まで高速道路を車で飛ばして1時間かけて通っていました。
毎朝、7時には家を出ていました。
早朝ですよ。早朝に目覚ましセットして、主人を起こし性交渉ですよ。
たしか、しばらく壁に足を上げていた気がする。そうするように先生に指導されたと思う。
私自身が検体を運ぶんですよ。
職場に‥‥。
そして、朝一診察です。
朝一番は、私が働く総合受付はめちゃくちゃ忙しいんです。そんな忙しい時間に診察に行けば、〇〇はどこ行った?となりますよね。
フーナーテストの事は知られたくなかったな。
でも、この頃の私は、なんで妊娠できないんだろうと、毎月毎月来てしまう生理のたびに落ち込み、妊娠したくて仕方なかった。
一生懸命だった。
出来にくいって言った、前のクリニックの先生の言葉が頭の中にずっとあった。
フーナー検査の結果、主人に問題はなかった。
そして、次は排卵誘発剤。
注射の名前も覚えていないけど、私は上腕に打ってもらっていました。通院して打つ感じです。
そうなると、土日の仕事が休みの日も打たなくてはならない日があり、そういう時は、救急外来で打ってもらうため、往復2時間かけて、休みの日に職場に行かなくてはなりませんでした。
当然、救急外来の受付も同僚です。
どんどん、不妊治療がバレていく訳です。
排卵誘発剤を使う前に、もしかしたら、双子や三つ子を妊娠する可能性もあるけど大丈夫ですか?と確認をされましたね。
『大丈夫』と多分全員言いますよね。
卵の大きさ、数をみてもらい
何日に性交渉してください。と指示があります。それを何ヶ月か繰り返しました。
そうして、わたしは妊娠することができました。妊娠した時、とても嬉しかった。
泣いた。
26歳でした。
出産したのは27歳。
若かったし、治療期間としてはとても短いと思います。
次のステップの人工授精、体外受精、顕微授精などをする事なく、この段階で妊娠しました。
そして、次男、三男は治療することもなく普通に自然妊娠して、出産しております。
妊娠するという事が、どれだけ神秘的ですごい事かわかっています。
赤ちゃんが欲しいのに欲しいのに、どうしても出来なくて、それでも欲しくて辛い日々を重ねている人たちが沢山いる。
家庭の中でも、仕事をしていても、ずーっと『妊娠』のことが頭から離れない日々を送り続ける。
不妊治療を始めても、ゴールは誰にもわからない。ゴールがあるのか、無いのか、どれくらいの期間でそこへ辿り着けるのかも。
期待して、どん底に落ちて泣いて泣いて
終わりが見えなくて、辛い
ゴールに辿り着く前に、もう、ここで終わろうという選択をしなければならない人もいるだろうと思う。
お金のことも、夫婦の間の会話も、周りからの言葉も、仕事も。
心が、つらい
ここで、私が励ましたり
頑張っている人に声をかけたりはできません。
なぜなら、私だけかもしれないけれど、治療中の私にはどんな励ましの言葉も響かなかったから。
辛いだけだったから。
いまは、不妊治療も一般的なものは保険適応になって、治療の種類も選択も、私の頃より良いものに変わっているのでしょう。
なんの参考にもならないかもしれませんが、私はこんな治療をうけました。
そして、こんな気持ちでした。
それだけ記しておきます。
また、何か思い出したりしたときには、追記していけたらと思います。