価値は値段と比例しない
「どうせ○○だから」ということば、意外と使っている人が多いんじゃないかな、ということがあります。
クエスチョン
とても便利でみんな助かっている部分が多い存在。
それなのにふとした瞬間に「どうせ○○だから」と言われてしまう存在。
さて、なぁんだ
アンサー
答えは100均のこと。
他ではずっと高い値段で売られているものも、100円から数百円で購入することができます。
しかもとても工夫されていて便利だったり、まさかというレアなものまで扱ってくれています。
RIEも100均にはお世話になりっぱなしです。
近すぎると雑になる
そんなに身近でお財布にもやさしい100均ですが、ちょっとトラブルがあったりした時出てくることば。
「どうせ100均だから、仕方ない」「どうせ100均だから、壊れたら捨てればいい」
うーん。
ひとつひとつの道のり
ワンコイン、しかも100円で商品を提供するためには企業努力をとてもしていると思います。
マーケティングもどうしたら消費者に喜ばれるかも、どんなアイデアがいいだろうと一生懸命考えてくれている商品です。
製品にするまでだって、流通コストだっていろいろ考えられて届けられた100円商品。
たくさんの商品、ひとつひとつがいろいろな過程という道のりを通って、今手の中にあるんですよね。
決めつけていませんか?
みんなが100均の良さを知ったからこれだけ身近になったけれど、それが当たり前になると人はありがたみをちょっと忘れがちになります。
「どうせ○○だから」
これは100均商品だけではない気がします。
人に当てはめていることだってありませんか?
旅路の果ての出逢いに感謝
できるのなら、その良い点や助かる面、長所を見た方が楽しい。
「100円でこんなにステキなものが手に入った」
「100均があって、本当にありがたいな」
長い長い道のりの果てに、手に取った商品は値段以上の価値があるように思います。
感謝する気持ちでいれば、「どうせ」なんてことばで何かをおとしめる必要なんてなくなります。