お釈迦さまと蓮の花と泥の沼
きれいなことばかりではない世界
今回はちょっぴりまじめなお話を…
RIEは「無宗教」ですが一方で「宗教好き」という矛盾な人間です。
特に信仰心があつい環境で育ったわけでもないのですが、「宗教」のことで世界では争いがあるのが不思議だったのです。
どの宗教や信仰も「人が幸せになるための生き方」を説いているのに、少しの違いで相手の宗教や信仰を認められないのはなぜなのかと。
生きていると世の中って、ちょっぴり生きづらい。
噂くらいならいいけど悪口や批判や陰口、最近はなんでも誹謗中傷にひとくくり。
きれいなことばかりではないのが、過去も含めて生きている世界ですね。
汚いと見えることに学びという栄養がある
ふと思い出したのが、お釈迦さまのお話。
「ハスは泥(でい)より出でて、泥(でい)に染まらず」
「泥」は汚く見えるけれど、そこから美しい蓮の花が咲く。
泥だからこそ栄養があるのかもしれないと思うのです。
RIEは花が大好きです。
スマホのカメラロールは「花」と「食べ物」がいっぱい(笑)
切り花やアレンジも好きだけれど、一生懸命手をかけてあげても持つのは1カ月くらいが最長かなと思います。
でも庭の花は季節ごとに数か月咲き続けてくれます。
土=大地に根を張って自然の中で咲く花は、栄養を自力で吸収してるんだなと。
泥の沼も同じで、中が見えないから汚いと決めつけてしまうのかもしれない。
汚いというのは人間の勝手な見方で、泥だからこそ大地のように栄養が豊富なんだろな。
確かに泥の沼をよごれた世界に例えるのも分かるし、私自身も泥の沼はちょっとイメージは悪い気がします。
でも世の中のいろんな汚れに見えるもの、
つらいことや悲しいことや苦しいことが栄養になって美しい心の花が咲くのかもしれませんね。
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