結局、なにが奴隷でないか考えてみた
地球で生きること自体が奴隷なのだから…
好きなことに夢中になってる時間そのものが自由。
臨場空間でしかありえないのよね。
わたしや母は狩りに燃えるの。ハンターね。
母は相場に向かう時。わたしは占い師として向き合う時。眠気も覚めて、うんざりする人生の憂いも忘れる時間。なんだけど、毎日やってるとダメなのね。
せめて1日あけるとあの机が恋しくなる。
今日はどんなひ?どんな人と出会う?スリリングな胸がときめく時間。
こうやって好きに起きて、コロコロ変わるマイブームのNetflix、シャーロックとかみて、好きなもの食べて(夕べのサイゼリアは大失敗、、)好きな場所にマモと行って、温泉にら入り、、
リフレッシュして占い師をやる。
これでいいんだ、って認められて、赦せるようになったのはスンのおかげ。。お兄ちゃんも。。
ほどよい刺激与えてくれる。
春夏秋冬、できれば熱帯の夏や凍える冬は遠慮願いたいけれど、通り過ぎた後の春や秋は愛おしさが増す。
この世界は、なにを成し遂げた、ではなく、なにを思って生きていたのか? が真実なのでは?