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ナチュラルスピリット2024年危機説を考察:書籍「よひとやむみな」、「コナンドイルは語る」から考える黙示録的情報について ―その2―

前回の記事「その1」からの続生きになります。

黙示録的概念をどう捉えるか

 人類史において、世界の思想や宗教には、黙示録的な世界観は常に存在し続けていました。例えばノストラダムス、2012年アセンション、ポピ族の預言など、数えればきりがありません。
 不安定な世の中で、あまりにも終末預言が出てきては外れるので、「予言は公表されることで外れる」という見解も生まれました。その発想から、予言者が予言を公表することで、世間の批判対象になるという人身御供になることで世界は救われている解釈もあります。
パンデミックの世の中では、このような終末的情報は今後、水面下で増加し、潜在的に人間の行動と心理に大きな影響を与えるでしょう。
これらをよくあるいつもの終末思想として捉えても、私たち人類は何も進歩しないような気がするので、本稿では「よひとやむみな」にしても、「コナンドイルは語る」もう少し考察を進めたいと思います。

黙示録的情報を見て社会と人が反応するパターン 

 この記事の最大の目的は、この二つの書籍を読んだ多くの人が、おそらく二つの反応パターンを意識に芽生えらせてしまうことを阻止したいがために書いています。
その二つとは、
1,「不安と脅威におびえる」:
当然の反応です。出来るだけ不安や恐怖、その大災害を緩和するための方法論も述べているのでしょうが、前提が大災害ありきであるために、読者は潜在的な強い恐怖を喚起されます。潜在的不安と恐怖は思考能力を低下させ、抑うつ状況を作り出し、免疫力を低下させます。また、より高次の自己よりも不安・恐怖に関連する偏桃体優位の思考からエゴが強まります。社会は混乱し、欺瞞にあふれる一要因になりえます。自身の生存本能ばかりが喚起され、霊的真理など扱える余裕などなくなるというわけです。結局このシナリオは、著者も意図していない状況です。

2,「宗教的躍動家に利用されること」:

 「騙さりゃすいナイーブな民衆は、操作と脅迫の格好の餌食となります。これまで何世紀にもわたって、数知れない霊媒師や予言者が低い霊的次元のドラマの中に埋没していきました。そして何度も、妄信者は「終末の時」に備えました。数えきれないほどのカルトや宗派が、繰り返し出現する世紀末伝説に夢中になり、感化されやすい人々の想像を駆り立て、虜にしてきました。すべての伝説は、人間の集合的な罪悪感や恐れ、霊的無知に加え、「選民」であるという希望的プライドや、自分は特別扱いをされるにふさわしい少人数であるという考えから生まれています。(『I<わたし>真実と主観性 デヴィット・R・ホーキンス著 ナチュラルスピリット刊』より)」 

 また、「ハルマゲドン・ソフトウェア」というものがあり、「地球の天変地異」「集団貧困」「経済の崩落」という意図的に危機を煽り恐怖心を刺激し、人と社会をコントロールするものもあるようです。
 私がかつて経験した宗教団体も似たような傾向があったようです。

 この二つの書籍がそうであるということではなく、この書籍の情報から、受け取り手の意識の状態により社会的にそのような現象が起こる可能性が無いとは言い切れないでしょう。
 
このような事柄の可能性を出来るだけ少なくできたらという思いから、記事を書いています。

「よひとやむみな」にしても、「コナンドイルは語る」における、「空観的観点の欠如」

 「よひとやむみな」にしても、「コナンドイルは語る」にしても共通するのは、黙示録的な世界観で、それらは「物語」であるということです。
ではどのような「物語」なのかと言うと、

「人類が物質至上主義に盲目的に陥る期間が長いため、宇宙がバランスを取るためにそのような黙示録、リセット、というような現象が起きる」

というものです。これは、この2冊の本に限らず多くの黙示録的予言に流れている考えです。

 「よひとやむみな」については、御霊を磨く、という行為において、そのシナリオが多少変更したり緩和するようなことが書かれています。         「コナンドイルは語る」についてのリセット・スタートについては、受け取る人が適切に情報を受け取り、これから起こる出来事に準備をしてください、というような感じです。

 そして、私が個人的に感じるのは、その両方ともに「非二元/ノンデュアリティ」「空」的な観点が、少ない印象を受けます。


空観思想について

空観思想は中国では「アートマンですら空である」という概念は破棄され存在しておらず、チベットでタイムマシンのように保存された大蔵経が発見されてから日本に伝わったのが、20世紀後半で、日本には釈迦のオリジナルの空観という発想はそれまで知らなかったという事実があります。

 空の思想は、私は「奇跡のコース」の非二元/ノンデュアリティ哲学と殆ど同じであるように感じます。つまり、黙示録的な世界観は、まだ来ていない未来の現象であって、それは過去のカルマ(業)が元になって引き起こされる可能性未来の中の一つの物語です。

 「物語(ストーリー)はすべて幻想である」というのが空観であり、非二元/ノンデュアリティの観点です。

 そして、すべては独立して存在していない(縁起/空)が、その中で、仮の役割をそれぞれの存在は持っているという思想が仮観です。仮観のみの宗教は「うちの教えが唯一絶対だ」と戦争を起こします。また、大きければ大き方がいい、高ければ高いほどいい、と際限なく求め続ける傾向があります。

 それは善悪の二元論に陥りやすく、アートマン的魂の輪廻観から生じるカーストや優性思想の可能性をはらみます。
 

 黙示録的物語は、「仮観」のみの思想ではないのか!?という可能性を十分に吟味する必要があります。
また、「空観」のみだけでも何も生まれません。理解が足りないと虚無的に陥ります。空観と仮観を上手にに運用する思想を中観と呼びます。

中観的な観点から黙示録的物語を再考する必要があるのではないのかということをこの二冊から感じます。

脳と心から見る

 前述したように、このような黙示録的な物語はいつの時代も存在しています。まるで人間が生得的に持っている、遺伝する物語のように。
 このような黙示録的物語は、霊界からの通信であっても、その通信している媒体は「脳と心」を持つ人間です。高次元の霊からのメッセージと言っても、結局人間が口伝か書記などで、メッセージを伝えます。つまり人間の「脳と心」に受信した一種の情報(物語)なのです。

 「私」という自我は生物学的起源から生じ、遺伝子にも浸透し、社会もそれを強化し、根強くプログラミングされています。この根底の習性は、原始的で動物的で、自己中心的です。また、不安と恐怖が言動の動機付けになっています。
 私たちは、受け継がれたそのような習性を、前頭前野で認識して、より適切な行動様に転換します。そうでなければ、過去からの受け継がれたエゴの導くままに、自己中心的で原始的な反射と反応を繰り返し、物質至上的で野蛮な社会を構成します。その結果は個人も社会も破滅的な様相をもたらします。
 人類の進歩は不安と恐怖をベースにした自我(エゴ)を上手く扱うことで、危うくもここまで進歩してきました。
 

つまり、生きるということは、受け継がれた過去のエゴが作り出す世界か、より自分を含めた生きとし生けるものの幸せの選択か、という葛藤とも表現できます。
 個人でも集団でも、人間は常に「不安と恐怖で視野狭窄になり、自分と他者をコントロールしようとする力」と、「自分と他者を愛し、解放し創造しようとする力」が常に拮抗し葛藤ています。
 つまり、「私たちの脳の一人一人にハルマゲドン(黙示録)が常に起こっている」ということです。

 その集団規模の現象を「よひとやむみな」や「コナンドイルは語る」のリセットスタートや、最後の審判のようなパラレルを、脳の集合意識のホログラフィーが作り出すということが考えられます。

これがこれまでの人類の意識の歴史でした。つまりハルマゲドン的な葛藤が常に個人の「脳と心」の内に内蔵され、世代間で連鎖し、それらが社会的、文化的、宗教的に表現されてきたということです。

 人類史はそのような「生存」を目的とした闘争や葛藤の物語だったのです。

しかし10数年前から、意識の研究によれば大規模な形でそのような「生存」を目的とした思考ではなく、「在ること」自体に価値を置く思考が人類史上初めて芽生えているという調査結果も出ています(スパイラルダイナミクス理論 やインテグラル理論のベック・コーアン・ウィルバーなどの研究者による)。

希望的な観測で言えば、世界的パンデミックの未曾有の時期に、最後の砦として出てきていたハルマゲドンの可能性パラレルなのかもしれません。

世界で20億人の飢餓、年間の潜在自殺者10万人。そのそも多くはリセットを望むかもしれない、と言う視点

 そもそも、日本では毎年2~3万人が自殺しますが、この数字は自殺と確かに認定されている人数で、実際は8万人以上いるとも言われています。また、60万人の引きこもりが社会的に存在し、潜在的に自死を考えている人々はかなり多いでしょう。
 現在の世界では20億人が飢餓的な状況だと言われます。独裁政権下の民衆や様々な教具で奴隷的な扱いをされている人間も多くいます。ひょっとすると、地球上でリセットスタートや黙示録的な状況を望んでいる人々は想像以上に多いのではと考えます。

 黙示録的世界観を提示され、ネガティブな情動を喚起されるということは、今現在幸せであるという証拠としても考えられるかもしれません。
 
 黙示録的物語を単に不安と恐怖で捉えるのではなく、思考実験として今自分が地球上でどのような人生を送っているのかと俯瞰して見直すという、貴重な機会にすることが出来ます。

 地球上の文明は、過去よりも穏やかに好転しているという情報も目にしますが、闇の部分をみればまだ地球上は、格差による命の選別が起きている状況です。それは一人一人が視野狭窄に陥っていることと、視野狭窄になってしまうような教育やシステムが併存しているからと言えます。


 とはいえ、チャリティや人道支援に走れということではありません。チャリティ活動は自身の意思と決意の結果としての現象にすぎません。世界中の人々と、地球上の生命と文字通り繋がっている中で、自分がやりがいをもって存在することが、ことのほか大きく影響を及ぼすものです。

自分がそのような意識の状態であるか、認識できる良い機会としても黙示録情報を活用できるのではと思います。

(※この続きは次回の「その3」に記したいと思います。次は具体的な対応などについても触れていきたいと思います。)

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