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スピリチュアリズム:宗教の核心・ケンウィルバーより

スピリチュアリズムは宗教の核心

世間一般では、スピリチュアル、スピリチュアリズムとは、心霊現象、引き寄せの法則、など本屋の精神世界コーナーに置かれている本を思い浮かべると思いますが、それはスピリチュアリズムの本の一部でしかありません。

「スピリチュアリズムは宗教の根幹である」という表現は、元来は、「シルバーバーチの霊訓」「モーゼスの霊訓」「ベールの彼方の生活」などの約100年前の三大霊訓と言われている文献から表現されてきたように思います。

これらは霊界通信という表現形式で書かれています。霊界通信というものは、どうしたって一般社会での信用性、客観性の担保が低いのは否めません。

しかしながら、スピリチュアリズムの核心については、霊界通信という、一般的には眉唾物の分野ではなく、学問領域においても研究され続けてきました。

宗派によれば、本来釈迦は生まれ変わりというアートマンの存在を否定し、死後の世界については無記ということで、『語るだけ無駄だ』という立場であるとしています。

この立場は、ノンデュアリティ・非二元の立場と同じと考えます。

ではノンデュアリティ・非二元の立場で、全ては幻想で学校、会社、家庭、国家で起こる問題は全ては幻想とまとめても身も蓋もありません。

円融三諦(えんにゅうさんだい)

全ては幻想でありながら、目の前の現象は仮の役割が与えられられ、我々はその一見矛盾するなかで真剣に生きることが、円融三諦といいます。

仏教の言葉で、空、仮、中の三つの真理がそれぞれの立場を保ちながらも、互いに溶け合っている状態が同時に成り立っていること。
「円融」はお互いに融合しているが、それぞれ立場を保ちつつ妨げになっていないこと。
「三諦」は空、仮、中の三つの真理のこと。
天台宗が説く三つの真理のことで、全てのものには実体が存在しないという「空」と、全てのものは因縁によって存在するという「仮」と、それら二つを超越して存在しているという「中」のことをいう。

私はその代表的な理論家がケン・ウィルバーだと思います。

ケン・ウィルバー

Wikipedia:「現代アメリカのニューエイジの思想家、トランスパーソナル心理学の論客、哲学者。アメリカ合衆国、オクラホマ州生まれ。心理学の範疇を超えたアメリカを代表する哲学者で、インテグラル思想の提唱者である。」
『2000年のアメリカ合州国大統領選挙期間中、アルバート・ゴア民主党候補の愛読する著者としてケン・ウィルバーがニューヨーク・タイムズ紙に紹介された際、「ディーパック・チョプラを師と仰ぐアメリカを代表する思想家」と記述されたそうです。しかしその数日後、チョプラからニューヨーク・タイムズ紙に手紙が届き、次のような訂正依頼をしたそうです――「彼が私を師と仰ぐのではなく、私がケン・ウィルバーを師と仰いでいるのです。」
ディーパック・チョプラといえば、ホリスティック・オルタナティブ医療等の著作からスピリチュアル関係の著作まで出版され、CNN等のインタビューを受けるなど、一般によく知られています。ホリスティック・オルタナティブ医療やスピリチュアル関係の執筆にしても、極端に走らないバランス感覚がメインストリームから受け入れられている理由なのでしょう。また、彼の最近の著作に見られるホラーキカルな捉え方は、そうしたバランス感覚とともにウィルバーからの影響が散見されます。
このようにウィルバーから大きな影響を受けている現代の思想家は非常に多いようです。』

学生の時にケン・ウィルバーの著作に出会いましたが、その壮大な視野と理論構築感に圧倒されました。

彼の著作は様々ありますが、その中の「万物の理論」から様々な宗教の本質が同じものであるということを紹介したいと思います。

この書籍「万物の理論」からヒントを得て、

以下の過去記事を中心に、キリスト教、仏教、ヴェーダを基本とするヒンズー教、そして神道などの核心は同じ本質であるという記事を書きました。

これらは僕が急に思いついたわけではなく、一応根拠に基づいたゆえでの考察です。

ヒューストン・スミス「存在の大いなる連鎖」

以下の図は、ヒューストン・スミスの「忘れられた真理―世界宗教への普遍的展望」からの引用です。

ウィルバーによると、

『ヒューストン・スミスはほぼ間違いなく世界の主教に関する現在のもっとも偉大な権威であり、「忘れられた真理」は、世界中の偉大な叡智の伝統が分かち持っている本質的な類似性に関する概括である。』

と言います。

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以下図4-2は、スミスの導きで作られたもので、そのいくつかの事例を示しています。

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図4-1、図4-2はどちらも、四つのレベルしかないが、殆どの伝統には、より豊富でより詳細な地図もあるといいます。

以下図4-3では、ウィルバーがこれらの図と、さらに他の伝統的な宗教、学問を抽象化し、図式化したものです。

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スピリチュアル能力が高いと、他の能力が高いように錯覚する

ウィルバーの理論は、巨大で、それを紹介するにはとても情報量が多いので不可能なのですが、その中でも私がとても重要な見解を最後に紹介します。

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この図は、発達の不均等、非単調的な性質を示しています。

『このモデルは、例えば、スピリチュアルな指導者を含むある人々は、ある能力(瞑想的な覚醒や輝かしい知性)を高度に発達させているかもしれないが、性心理や人間関係といった他の流れでは発達の貧弱さ(あるいは病理性をさえ)を現わすことがあるという事実に注目に値する光を当てている。「万物の理論 ケン・ウィルバー著p93より』

スピリチュアルの門をたたく時や、スピリチュアルの助言をもらいたいと思う時は、十中八九その人は心身ともに落ち込んでおり、冷静な判断力がしづらい状況になっています。

そうでなければスピリチュアルの助言を得ようと一般の人は思わないことが多いでしょう。

そうなると、スピリチュアル以外の分野の助言も、スピリチュアル家に頼んでしまいます。

例えば家族関係の問題、具体的な経済の指南、病気の治療法など…

スピリチュアルの能力にたけている人は、直感力が優れているので、有益な情報を提供する場合もあります。

しかし、これが続くと、進路、経済、結婚相手、就職先、株式・・・様々な能力でスピリチュアルの人を頼ってしまい、スピリチュアル能力のある人も、良かれと思い助言を続けます。

頼られて、喜ばれると、嬉しくない人間はいません。

そうなると、その能力者は絶大な権力を持つことになります。

スピリチュアルエゴが育ちます。

これが世に言うカルト洗脳問題の根幹であり、巨視的な視点で言えば、宗教と政治が離れられない裏の事情でもあります。

スピ能力者は、気がつかない間にエゴが肥大し、いつの間にか病理的な水準の状態にまで落ちってしまいます。

それに頼る人も、後に引き返せないことから共依存の関係が生まれます。

そうなると、強引なやり方で信者をつなぎとめておかねばならなくなります。

これは別に宗教やスピリチュアルの世界に限ったことではありません。

同じ心理的メカニズムが家庭や職場、学校で働いています。

その現象化する場所と関係性によって、虐待、DV,パワハラ、いじめ、という名前が変わっているだけです。

働いているエネルギー関係はどれも一緒で、自分以外に解決策があるという最初の認識から始まっています。

つまり、別に色々なスピリチュアル能力が関与しなくとも、自分自身が主人公で、その忘れた力を思い出すきっかけとして、

ヒーラーやチャネラー、教師や師と関係性を持つなら、それはスピリチュアリズムの一端を担っていることになります。


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