自傷行為の代わりに性行為をする人たちの話。

 久しぶりに文章を書くことにしたけれど、どう書いたら良いのかわからないので、ツイートのように出てきた言葉をそのまま書いていくことにします。自分で読み返すこともしません。

 2年ほど前に今回と全く同じタイトルでnoteを書いたことがありました。当時はオンライン授業で家に引きこもって、ずっと本を読んでいた時にふと思いついたことを書いたのですが、今思うと自分への警告だったのかもしれません。


 自傷行為をしてしまう人に対して歪んでいるという表現をされることが多いですが、私の場合生まれ持った性質の方が大きい気がします。今まで不健全な環境に身を置いたことはほとんどなく、両親や親戚からの愛もたくさんもらって、進学などでも自分の意思を貫けるような恵まれた環境で育ちました。
  大学2年生の秋、何を思ったか未だにわからないけれど、私は急に他人を使った自傷行為を始めました。それまでそのような兆候は一切なく、ある日突然行動した自分に今でもびっくりしています。でも後悔とかそういう感情は一切なく、あの日の行動から招いた今の結果に対して何の感情も湧いてこないのが一番不気味で、恐ろしく思います。そしてさらに歪んでしまったように感じます。


 その歪みを直さないまま他人と関わったことにより、ダメにした人間関係もありました。好きな人ができても付き合うことができないのなら、どのような意図であったとしても相手が求めてきた際に断る理由が私には持ち合わせていないのです。だって自分が傷つけるならそれでいいじゃんって思っちゃうから。どうせ普通に生きていても死にたくなるんだし、リスカしたくなるんだし、傷跡残らないからむしろいいじゃんって。
 傷つきたい時、そこに快楽は一切生まれません。バカだよね、ただでさえ女はリスクしかないのに。快楽も何もなく、残るのはただ他人に言えない関係性だけ。性行為をするメリットがない性別にも関わらずしてしまうのは、歪んだ承認欲求が邪魔をしているからだと最近気がつきました。


 承認欲求にも様々な種類がありますが、大きく分けて健全なものと不健全なものに分けられます。私は男性を目の前にした時、自分が女であることを認識することによって承認欲求を満たすことがあります。その延長線にあるのが性行為であり、地続きになっているからどこまで行っても変わらない気がします。でも、変わらない気がしているだけで明らかな線が引かれていて、私が最初から“女”であるからその線を飛び越えるハードルが低くなっているだけなんですよね。


 じゃあなぜ自分が女であることを認識して承認欲求を満たそうとするのか、自己肯定感が低いからです。生身の自分を表に出した時、他人に受け入れられるわけがないからです。バカにならないと相手にされないと思っているからです。それ好きな人以外に言っちゃいけないよ、みたいな発言をよくしてしまうけれど、そんな自分でもわかっている。でもバカを演じないと、バカにならないと表面だけでも誰も受け入れてくれない。その結果何も得られないし、自傷行為をして終わりになる。


 本当は恋人が欲しい。自分をさらけ出しても引かれない人に出会いたいだけなんです。芸術がどうとか、感情がどうとか、こういう訳のわからないnoteを書いても馬鹿にしない人に出会いたい。女である以前に一人の人間として人と関わりたい。思春期前後に歪んだ人間関係しか作れなかったツケが今まわってきてしまいました。真っ当な人間関係によって自分が傷つくことを恐れて、傷つかない方向へどんどん逃げていく癖を今すぐにでも直さないといつまで経っても現状から抜け出せないので、弱い自分から目を離さないようにして、いつか歪んだ承認欲求無しで彼氏を作ろうと思います。


 そこに快楽も愛もない行為に意味はありません。自分を傷つけ続ける理由は、どのような状況であっても存在しません。自分を大切にしなさいと言ってくれる人からの言葉、逃げることなく自分なりにしっかり向き合いなさい。そして付き合うことができないからと言って、好きな人で自傷行為をしてはいけません。同じ過ちを繰り返すな。


 忘れた頃に自分が読み返した時、全部守れていることを願ってこの話はこれで終わりにします。

 


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