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スズメの五線譜

都会の田舎に住んでいるので、そこそこ自然に囲まれてはいる。この時期、わぁ、とびっくりするほどスズメが群れているし、コンクリートで護岸の小さな川には白鷺が佇んでいたりする。実は、白鷺の分類はないそうで、白い鷺たちの通称みたいなものらしい…先月、愛知の交通標識で、鴫(しぎ)の着いた地名を見て、そうか、田んぼで鳴くから鴫だったんだ(過去形)と納得した。いそしぎ♪に出てくる鳥だろう。米の収穫時期にはスズメは丸々している。鳶に狙われずに気ままに五線譜を描いていられたらいい。

わたしはTVも新聞も見ないので、師走になっても流行語、今年の漢字なんてのもすっかり縁遠くなってしまった。世の中には知っていると役にたつ情報とまんまとミスリードされかねないものと、どーでもいいものがある。年末年始の9連休に感染拡大が心配されるから打てなんて、まだやっているのかとバカバカしくなる。もちろん、本人の自由だから各人が決めればいいが、何だかなぁ…日本人の集団意識というのか、ある意味、性善説に基づく規範みたいなものは、すべてのひとがそこそこ一様の信念体系を共有しているのを背景にしていたが、もう成り立っていない、いや、すでに明治維新からやられっぱなしなのに、まったくそんなこととは考えもしないで3世代が過ぎてしまった。100年経てば、無意識のうちに操られるだろうから、どーしょうもないところまできてしまった感が強いが、もうね、全体という考え方はやめて、わたしは、という生き方をする方がいい。

しかし、ここでいうわたしは、は、個としてのわたしではなくて、主語のない、自然と一体化した、余計な恣意のない、天から(ふんだんに)与えられるものを享受するようなわたし。お金が多い方が安心、所有する方が偉いみたいな資本主義の〝時は金なり”とか〝働かざる者食うべからず”のような見えない意図によって刷り込まれてしまった条件は無視して捨て去って、悠々と生きていくのがいい。4年前だったか、コロナ禍の収入低迷で、今月の支払いどうする?という時期があった。前もってカード会社に電話したところ、担当者は「只今、コロナの、というお言葉がありましたので、上司に確認してまいります、このままお待ちいただけますか?」というではないか…そうして、今月末のお支払いはとりあえず3か月後の7月におまわしいたします。また、その時期になりまして必要があればお電話いただけますか、という。えぇー、天下のクレジット会社がそんなことをするのか?と意外さにキツネにつままれた。

自分の身が置かれた状況やひとさまがなしてくれた親切に感謝していると、悪いようにはならない、まして命をとられることはないのだ、と痛感した。老後2,000万円不足問題のように、わざわざ不安に感じながら生きる必要はない。無責任は困るが、できるだこのことしかできないしそれでいい。

昔、姥捨山って悲しい史実があった。棄てる方が断然辛いだろう。わたしには子も孫もいないから、進んで捨てられてもいい…いや、その前にスズメを捕まえようとするか、ま、そんなに易々と捕まらないだろうが、ギシギシや露草は食べられる!

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