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1984なプリンの味

自分に都合のいいことしか見ない、いや、一見それが事実のように見えるが、すべては誰かに造られたもので、真実なんてものは何処にもないのかも知れない…アバタさんが絶妙なタイミングでアップしてくれていたので流石だなと感心した。数日前から何か書かなきゃと思いながらも手をくだせずにいたので、ちゃっかり便乗する。
ほんとうに、何でわざわざそんなことするんだろう、と理解不能なことが多い。日本人ではない政治家とか暴かれた事実をまったくスルーしてとりあげないマスメディアとか、それを糾弾するSNSなひとびとの矛盾やいまだにそんなことはまるで気にしていないひとたちがいたりとか。しかし、あふれかえる情報にさらされると、自分にとって好ましいものばかりに目をやる傾向がわたしにもある。偏向報道に憤りながら、なるべく冷静に反対の方向からも見てみるべきといいつつ、いつのまにか偏っている。二枚舌とまではいかないが、矛盾を断固粉砕するというところまではいかない。そんなことをしても無駄だとうっすら思ったりするフシもある…いいかげん、それではダメじゃないかね、というのがsoraさん別班を書きはじめた理由だから、時として自己矛盾にも真摯に向き合わなくてはいけない。

そう、自分の頭で考えて、宜しくないと思うことには加担しない。差し迫って、死を含む危機が自分の身に迫らなければいくらでもいえるが、何処までそうできるのだろうか。あるいは、自分はどうなってもかまわないとして、それが、子や家族や、平時には自分の身に替えてもと思われるようなひとが陥った危機ならどうか。きれいごとでは済まない。実際、わたしはそんな恐怖を味わったことがないから何とでもいえるし、正直、何が正解なのかも分からない。けっきょく、考えても堂々巡りにしかならない。歴史上の人物で、剛腕で豪胆といわれた石川五右衛門でさえ、煮えたぎる熱湯の中では愛する我が子を見殺しにしたというのだから…

まぁ、しかし、そうして、考えてみることからはじめるしかないし、それがいちばん大切なことは分かる。人間は考える葦といったのはパスカルで、葦のように弱い些細な存在でも、考えることは人間の特質であり最大の力だというような解釈が伝わっているが、わたし自身はその記述に対して、教科書で習った以上のことを調べも深く追求もしたことがない。そういうひとが大半だろうことは想像できる。わたしたちは、目の前の現実を誰もが同じように見たり聞いたりしていると思い込んでいるがそうではない(なかった)ことを突きつけられる場面にでくわした。今をどう過ごすかで人類の未来が左右されることだけは正しいと感じる。


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