おひろいパート2

二、三秒後、目の前を、通り抜けていく車の後ろから、ヒンヤリとする打ち水の感触の魅力に憑かれたかのように、草履や下駄履きのままっ、弧線を画きながら流れだしてくる水の簾に足を濡らし三人四人とついて行く。

 時折、散水車に対向して、荷馬車等が、とおりかかることもあったが、馬車の方が道を譲り散水車の車夫は水を撒き続ける。
 
町内に水を撒き終えるころともなると、町筋も少しばかりの涼しさが蘇り、何処からかともなくアゲハチョウが、打ち水を求めて飛んできて、吸い口を思いきり伸ばして水を吸い羽を休めている。
 そのなかで翡翠を思わせる鮮やかなブルーとグリーン、それに黒色の強いコントラストをもった羽を気忙しく動かせながら、ときおり「ツン」と澄ましたように、小粋な形をした羽をたたんでしまうアオスジアゲハの躍動は、分別もじゅうぶんでない子供の小さな心に対しても、近寄り難い気品を感じさせ、創造主が、人間に授けられたであろう"美に対する意識"というものを、自然のうちに植えつけていた。

 散水も終わり、夕暮れ近くになると、裏庭に盥が、出され、否応なく行水をさせられた。
行水の後、浴衣を着せられるが、糊の効いた浴衣は奴の法被のようで、私にとっては窮屈で、着心地の悪いものでしかなかった。

私のあとから、母が行水をしているわずかな隙をみては、せっかくつけてもらっていた天花粉を、手でこすり落とし、遊びのこした分を取り戻そうと表に走る。これも時間にすれば、束の間の事ですぐに父親に捕まってしまう。

 頭にげん骨が、入るまで遊びほうけ、行水をした体は汗ばんでしまい、結局は盥の中に立たされて水を頭から浴びせられ、その日の遊びが、仕舞いとなる。
そんなことは、日常茶飯事の事で、逃げたり、泣いたり、笑ったり、楽しい日々の流れでもあった。
つづく

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