枇杷(びわ)の花咲くころに

 しばらく音信の途絶えていた友人から、疎遠のわびとも愚痴とも似つかわしい書簡を手にした。私はそれを部屋に持ち込み一人だけの時間を楽しみながら虚飾(きょしょく)のない文面を、何回となく読みかえし、友の顔を思い浮かべ思考しているうちに、その封筒の切手に眼がとまった。大きさは、普通切手の二倍ほどのもので、何かの記念に発行されたものかもしれない。

大正末期か昭和初期の時代を偲ばせる女性が、帯を愛でながら結んでいる姿を、鳥井言人画伯の筆によって描かれ、その色調は、熟慮されたであろう風雅な色合いをもち、画題は、「帯」となっていた。

その切手を見た時、何か郷愁めいたものを感じ、畳の上に身を横たえた私は、手にしていた書簡を自分の顔に被せ、長い歳月を遡及しながら幼い日々の追憶に浸っていた。

「父ちゃん、便利屋さんが来たよッ」店の前に停まった一台の馬車を見て、父に知らせる。別にしらせなくても、通りに面した店の間口は、全てがガラス戸であるため、誰が訪れたのか見透かされることはできたから、来客については、それを知った者(といっても私と弟の二人しかいない)が、声をあげてしらせることが我が家のしきたりでもあった。

体を捻らせ、斜めに半分だけ腰をかけていた馭者は、足先から軽妙に"トン"と飛び降り、手綱を電信柱に巻きつけ、飼葉の入った駄桶を馬の前に鈍い音を立ててドスンと下ろす。

腰を伸ばし、馬の平首に手をあてがい、"ぽんぽん"と、軽く叩いて長い道中の疲れを労い愛撫する。 そうした後に、防火用水の水を使って手を洗い、手拭いで背中から腰、足元の順に埃をはらい、律儀にも店に入ること前の身繕いをしている。

当時"便利屋さん"と呼ばれていた人達は、現代の宅配便のような託送業者の事で、街道筋の顧客の荷物や、書簡、貴重品を預かり、それぞれの依頼先に配達し、帰りには、注文を受けた品物を買い求め持ち帰るという、信頼と人情で結ばれた人達であり、父のところへも、お得意先からの呉服、反物を届けてくれる業者が、二軒くらい来ていた。

一軒は、北条方面からの便利屋さんで、馬車を使っての搬送であり、他の一軒は、三津方面から大型のリヤカーをひいてやってくる人達であった。

そのひは、北条からの便利屋さんで、身繕いをすませ、馬車の荷台の下側に造られた貴重品入れの抽斗(ひきだし)から、風呂敷包みを取り出し丁寧な扱いをしながら店に入る。北条からの便利屋さんが来てくれたとき、私には興味本位の楽しみがあった。

私は近所の悪友を呼び寄せ、飼葉を食べている馬の横手のところにしゃがみ込み、その大きな体と動きを近くで眺め、異様な下腹部の一部をみては、驚き、度肝を抜かれたものである。

飼葉を食べ終えた後は、駄桶の外回りに食べ粕を落とし、用水に首をのばし、歯を患った老人のように"ジュウジュウ"と、不快な音を立てて水を飲み、水面には、藁くずを浮かべてしまう。

無事に用件をすませた便利屋さんが帰ったあとは、道路の掃除と、用水の呑みたしが、私の出番を待っている。店の合間では、もちこまれたお客の品を中にして、父と母は、品定めをしている。

「これはなかなか立派なもんじゃのお」                  

「そうですねぇ…それでも私の帯の方がこれよりもいいですよっ」さも自慢気に、相槌をうっている。

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