市駅前やお日切さん。

「あなたの子供が、私の頭の上から、小便をかけたので、本当に殺してやろうかと思ったぐらい腹が立ったが、小癪にも、お日切さんの前で、「南無妙法蓮華経」と、お題目を唱えながら小さな手を合わせ、拝んでいる姿を見ては、怒るわけにもいくまい。すこしこらしめたが心配せずに帰りなさい。熱も下がっているから!
と、お告げをいただいたお母さんが、急いで家に引き返してみると、わずか1時間ほどまえまでは、薬の効果もなく、青菜に塩の譬えのように、突然の高熱にグッタリしていたお前が、それこそ嘘のように元気になり、木箱に入れていた、パッチン、を持ち出し、近所の子と騒いでいるのを、見た時は本当に安堵したで。
お前はコマいときから、高歩きぎりしよったので、
お母さんは、心配しよったで。…エッ?
それあ小便をかけたのは、お前で、頭からかけられたのは、辻御崎さんよ。
辻御崎様というのは、町の曲がり角や、四っ角におられる道神様のことよ。
辻御崎様がおられたのは、弁天町と、花園町の角のところ辺りに、万徳寺 というお寺さんがあり、丁度四つ角の所は、佐伯とかいうお菓子屋さんがあったが、その街角に、辻御崎さまが、おられたとのことじゃった。
お告げは、東雲神社の北に、杉谷町や弓之町という淋しい町があり、そこに自動車練習場があったが、その練習所のすぐ、近くに、拝んでくれる人がおられてのーそこで、拝んでもらったんよ…。
家からちょっと西へ下がると、江戸町や萱町の踏切があるし、東の方には、お堀がある。南へ行ったら大勢の人が出とるお日切さんがあるしするもんじゃけん、
お前がおらんいうちゃあ、お掘りへ、落ちとんじゃなかろうか、電車にハネられたんじゃなかろうかと、近所の人が出てくれて探してくれたもんよ、罰あたりがッ。
このような話を母から聞かされ、それまで知っていた
お日切さん が、より以上に、強烈に、子供心に印象づけられ、土着民的郷土感と言うか
「わしの街のお日切さん」と愛着を感じるようになったのは、確か小学校に入学したころであった。
それにしても、日切地蔵尊の足もとで、宗派も何も知らぬまま「ナンミョーホーレンゲキョー」と、唱えたのは、信仰心の強かった母の行動に感化されていたために、礼拝しなければ、ならないところに行けば、自然のうちに両手を合わせ、お題目を唱えたのであろう。
人の世の裏表、森羅万象の全ての汚さを知り、信仰心というには、ほど遠い現在の私の合掌と比較してみると、諸宗の戒律や、権威によってかざりたてられた立前の合掌でなく、鼻垂れ小僧は、小僧なりに、純真な、本音の合掌であったため、辻神様も、許されたのであろう。

                     つづく

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