心が動いたときに
自分の心が動いた、感動したときには文章で残しておくと、その時の気持ちを思い出す、と友達の投稿で読んだので、noteに残しておこう。
今回は嬉しいことではなくて、心にグサグサと刺さったこと。
失敗した
この間、「失敗した!」と思うことがあって。
「またやっちゃった」くらいにしか思ってなくて今度から気をつけよう。
と思ってたら、
「ぜひその失敗談を仲間にシェアして。これから繰り返さないためにも。」と言われて、それもそうだな、私の失敗が誰かのお役に立てるなら。
自分への戒めのためにもという気持ちで、お話させてもらった。
自分の行動を整理して話しをするなかで、本当にしゃべりすぎ、そして色々と全部出しすぎだな、と思いながら仲間に包み隠さずにシェアさせてもらった。
そこでのフィードバックというか、みんなからの感想で、
「自分がいいと思っていること、に対してマイナスのイメージをもたれたと感じると、それを払拭しようとついついしゃべりすぎてしまうのかも?」
と言われて気づく。そして、以前にもついしゃべって失敗したことも、同じクセでやってしまっていたことにも気づいて。
かなりグサグサと心が揺れ動いた。
しゃべりすぎ・・・
質問されたり、聞かれたら話すこと自体は会話のなかでは普通のこと。
でも、今回の目的からは、ずれてしまっていた。
ついしゃべってしまったことで、相手が自分で学ぶ機会、はじめての出会いの感動をつぶしてしまってる。
そしてさらにびっくりしたことがあった。
それは、「聞かれたから」「話しやすかったから」でしゃべることは、
相手に支配されていることになる。
と言われて、がーーーーん! グサグサ突き刺ささった。
支配ということばに反応した私。
支配されている、という言葉に窮屈な嫌な感じ、ざわざわ感がくっついてるから。
でも実は、自分は支配したい人なのかもしれない。。。
ということにも気づいて、色々とやばかった。
目的から考える
その場を楽しむ、という目的なら全然いい。
目的によって手段は変わる。
目的からズレていたことに気づいた出来事でした。そして、いつもあたりまえにそれをやってる。
囲碁で例えると
目的が変わってしまうのは、囲碁でもよくある話。
最後に陣地が多いほうが勝ち、というゲーム。
そして、途中の陣地は関係ないハズなのに、ついこの石取りたい!ここは私の陣地だから入って来ないで!などなど。
「最後に」という大事なところをすっかり忘れて、目の前の困ったことを対処してしまう。大事なことを忘れていたら、目的には到達できるはずが無い。
今回はかなりのショックと動揺でしたが、
”チャレンジしないと失敗もない”
”失敗がないと成長しない。成長の先に成功がある。”
ということで、がんばろ。。。
ここまで読んでいただきありがとうございます。