「青春ごっこ」とは?-その2 フルカワユタカ
「青春ごっことはどういった意味ですか?」
-当記事は以下の続き-
すでに青春ごっこという言葉への模範回答は出せていたと思う。
なのでこれは僕のための蛇の足。
1.DOPING PANDA との出会い
僕には好きなモノがたくさんある。
そのうちの1つがフルカワユタカ率いる"DOPING PANDA"というバンドだ。
出会いは小学生。
当時タムロしていた友達の家、友達のお母さんは若くてオシャレな方だった。
DIVE INTO DISNEY
「ロックな人達がカバーしたディズニーソング集だよ。」
そう聞いて、買ってもらったばかりのMDプレイヤーでダビングした。
その中で光る、DOPING PANDA 彼らは僕の知っている"ロック"とはまた違う音楽だった。
そこからは彼らの音楽を聞こうにも…TSUTAYAには置いてない。
(当時の僕にタワレコという頭はなかった。)
ある日、ブックオフでPINK PaNK を見つけたときはオラクルと感じ、狂ったように聞き入った。
メジャーデビューを知った時は歓喜、1stもすぐ買った。
2.僕の青春 DOPING PANDA-
中高と、聞き続けた。
フェスではステージが超満員。
深夜の音楽番組(確か中川翔子がパーソナリティ…?不鮮明)でアイドルからの質問を不勉強と言わんばかりに一蹴している姿…
どれもがカッコ良かった。
僕の誇りで、間違いなく彼は「スター」だった。
※彼はよくスターと自称していた。
しかし、誰かとドーパンへの愛を語り合った覚えはない。
その頃の僕はうまく自身を発信できない。
初めての恋も同様。
想いも告げずに、「君も僕を好きであればいいのに」と祈り、始まりも終わりもしなかった。
当時の僕にはこのような記憶が多すぎる。
3.DOPING PANDAは踏み越えるべき青い記憶
高三の頃だったろうか、僕は彼らの音楽をあまり聞かなくなっていった。
切ないイントロがいいな、と思ったけど歌い出しからなんか謝ってる。
※断っておくとネガティヴばかりの曲ではない。
「Crazy」収録のアルバム
beautiful survivorも「イイ!」と思ったけど本人は気に食わないらしい。
本人に否定されながら聞くのも…なんだかな、だし、なにより「コイツなんで拗れてんだろ」と思って聞くのを辞めた。
※本人の発言を逐一チェックし、誰よりも拗れて聞かなくなった僕が言えたセリフではない。
10代の僕はDOPING PANDAを「否定するべき青臭い大人」として認定し、以後聞かなくなった。
数年経ち、いつのまにかDOPING PANDAは解散していた。
4.僕はDOPING PANDAを忘れて大人になった
2017年。その頃はDOPING PANDAどころか音楽シーンを追わなくなって久しい。
25歳の時だ。僕は会社を設立した。
自分の好きなモノを皆に広めるための、そんな会社だ。
「誰かが僕のことを好きであってほしい」
そう願うだけの僕はもう、いない。
この頃から、よく人に会うようになった。特に中高の同級生。
「立派な大人になったね」と、思われたかった。言って欲しかった。
ひとりよがりで、1つの事象に意味を求めたがる僕。
変われたはずの僕の本質は、中古のCDにカミサマを見出していた頃から、なんにも、変わっていない。
5.僕の青春は続く-フルカワユタカ
2018年、年明け。
ニコ生でフルカワユタカのLIVEを配信するというネットニュースを見た。
フルカワユタカって、あの?
僕にとっては過去の人だ。
僕は彼がソロ活動をしていることすら知らない。
怖いもの見たさで配信に参加してみた。
画面越しには、あの頃好きで、嫌いになった、フルカワユタカがいた。
サプライズも含め、とても感動的なLIVEだった。
それから僕はフルカワユタカを追って、掘って、聞き続けた。
6.フルカワユタカとDOPING PANDA
楽曲の詳しい紹介は誰かに任せて、少し今の彼に纏わる秀逸なwebコンテンツを紹介したい。
セゴリータ三世さんというYouTuberの動画。
この動画によってフルカワユタカという人物はバズったそうな。
彼を表現するのに、見当違いな人物と比較される、というところがいかにも、らしい。
「フルカワユタカはこう語った」
Barks内の、彼自身のコラム。
彼の考えすぎなところが見え隠れする。
そのおかげか、とてもしっくりわかりやすい。
また、YouTubeには特別編としてゲストを招いたwebラジオも存在する。
しかし気軽に聞くには、少し長い。
そしてYouTubeではDOPING PANDA時代のPVが公開中。
コメント欄でまさか…とつぶやかれ続けて2年。
なんと今年、DOPING PANDAとして復活を遂げた。
僕は彼のことがまた好きになっていた。
あの時と変わらない気持ちと、変わった心で。
彼はstill rock starだった、僕は痛みながら、空回りながらでもきっと「何者か」にはきっとなれたんだ。
7.青春ごっこ
僕のこの文章は、青春ごっこではない。
あくまで「モノ書きになりたい」「いつか実ればいい」と未来の自分に想いを馳せているものだ。
ライターさんごっこだ。
青春ごっこは違う、推古と反省、思考の連続だ。
彼が自身を省みて言うところの、マッドサイエンティストなあの日の自分。
対して僕には、人をそれなりに傷つけた、言い訳できない過去がある。
そのくせ、甘酸っぱくもない記憶にすがり、なにかが変わると期待している。
きっとあの時なにかを言えても、多分答えは変わらない。
僕はすでに大人だ。だからそれも、分かっている。
それでも今なら、言える。
今の自分が変身したくて、したくなくて、絶対になれないのは、あの日の自分だ。
青春ごっこは酸っぱくて、飲み下せないことの方が多い。
それでもあの日への未練や後悔では、決してない。
懐古とも異なる。
過去と今の自分すらを振り回す過剰な自意識と向き合う、これが青春ごっこだ。
DOPING PANDA 再結成、おめでとうございます。