ETV特集 「新型コロナ こぼれ落ちた命 ~訪問看護師たちが見た“自宅療養”」:前編
自宅で入院待機となった新型コロナウイルス陽性者。第4波の神戸で彼らを訪問した看護師たちがいた。当初は介護サービスが止まった高齢者などへの生活支援が中心だったが、次第に命にかかわる重い症状の人への対応が増えた。血中酸素飽和度が低下してもなかなか医療に繋がれない。家庭内感染で自身も発熱しながら衰弱する親を看護…。訪問看護師たちと本人や家族が当時の経験と今も残る傷痕について証言する。
【初回放送日: 2021年10月16日】
ナレーション:命の危機に瀕した時、私たちは必ず医療に繋がれる世界に生きてきました。しかし、その当たり前が突然ゆらぎました。首都圏を中心に自宅療養者が急増した今年夏の第5波。病床が逼迫する中、入院待機者が急増。容体が悪化する人が相次ぎました。しかし、こういう事態はこれ以前にも起きていました。今年3月~の第4波で深刻な病床の逼迫に見舞われた神戸。閉ざされた自宅で孤独な闘いを強いられた人たちが大勢いました。
息子を亡くした母親:呼吸が浅いんですよ。浅い呼吸しかできなくて・・・発作とかもおこしてたので、すがりついてでも病院にさんざん電話しても入院ができなくて。
ナレーション:自宅で療養する人への医療が整わないなか、急遽かけつけた訪問看護師たちがいました。
訪問看護師:私は30年看護師してるけど、とてもこの状況は信じられないし、あまりにも遅い医療介入だし、非常に重症であると思いながらもご本人とご両親が本当に待ってらっしゃった・・・。命を助ける者が来たというおもいだったと思います。遅くなってごめんなさいねと声をかけても見るからに呼吸があらくてしんどそうだったので・・・
ナレーション:救急搬送が必要な人をすぐに病院へ運べない事態が起きていました。
親を亡くした娘:今の平和な日本で点滴の一本も入れてもらえない。病院に運んでもらえない現実の方がすごく怖かったし、それが私たちの住む今の日本なんだと思いましたね。
ナレーション:看護師はSNSで発信し続けました。こんなこと誰が知っているのか、どう発信すればいいのか。今ここに居合わせている私でさえ、信じたくなさの気持ちが反発しているくらいなのに。それぞれの自宅で何が起きていたのでしょうか。
ナレーション:人口およそ150万の兵庫県神戸市。今年3月~6月までの第4波では1日最大で2282人が自宅療養・自宅待機を強いられました。訪問看護師の藤田愛さんです。かつては病院に勤務していましたが、高齢者が住み慣れた自宅で過ごせるようにと17年前、訪問看護ステーションを立ち上げました。第4波では55人のコロナ陽性者をのべ300回以上訪問。何度も無力感に襲われたといいます。
藤田愛さんのFacebookより
敗戦中の従軍看護師はこんな気持ちだったのだろうかとか、毎日ぽきぽき心が折れてゆく。
急変を見つけても入院もないなら私のやっていることに意味があるのか。
藤田:あの・・・声に、言葉に出さないといられないんですよ。というか言葉にするしか自分にはなかった。言葉にして外に出さないと、あまりにも自分に起きていることが衝撃的すぎて。
ナレーション:藤田さんが陽性者を訪問するきっかけとなったのは、第4波が始まる少し前の2月に神戸市が始めた訪問事業でした。それは介護が必要な高齢者が感染し、介護サービスを受けられなかった代わりに訪問看護師が生活支援をするというものでした。当初、事業に協力すると表明したのは市内の200以上ある訪問看護ステーションのうちの2つ。神戸市西区で訪問看護ステーションを経営する龍田章一(たつた)さんも看護師と一緒に訪問を始めました。第4波ではほとんどの高齢者がワクチン未接種。それぞれの自宅では厳しい闘いが繰り広げられていました。
集合住宅で暮らす70代の阿部さん夫婦。認知症で週2日ディサービスに通っていた夫の敏雄さんが陽性となり、妻雅子さんが夫を看病。そして恐れていたことが起きました。家庭内感染をし、雅子さんも陽性となったのです。
龍田:敏雄さんは立つことが難しかったので、雅子さんがなんとか起こして(トイレに)行ったりはしてましたけど・・・やっぱり食事を敏雄さんは食べられない状態。雅子さんが敏雄さんに食べさすのもしんどい状態。雅子さんが倒れてしまう。そして雅子さんが倒れてしまうと、敏雄さんは生活ができないので。
安部雅子(仮名):熱があった状態で感覚が麻痺している状態で・・・ただ、食べさせないといけないのとトイレの世話をしないといけないのと。水分は取らないといけないと言われていたので・・・保健所さんに「もう限界なんですけど」ってどうしても苦しくて電話しましたけど、聞いてくださるだけで。「大変ですね」「気をつけてくださいね」と言うだけで何もなかったので。
ナレーション:夫婦は自宅から一歩も出られず、生活もままならなくなっていました。お風呂場にはペットボトルや生ごみが浴槽一杯に溜まっていきました。
龍田:お風呂場に既にゴミが溜まっていたので、このゴミをどうにかしないといけないなと。訪問とは別でごみ捨てだけの為に行くこともありました。
ナレーション:次第に雅子さんは食事がとれなくなっていきました。それでも夫婦は入院は叶いませんでした。
龍田:敏雄さんと雅子さんを分けるという選択肢を入れていかないと、この夫婦は二人とも倒れる。
ナレーション:龍田さんは先に療養期間が終わった敏雄さんを回復期に受け入れる病院に入院させます。雅子さんを療養に専念できるようにしたのです。
安部雅子(仮名):夫は安心だっていうそれだけで、今度は自分だけのことですので。動けるようになってから、自分で杖つきながらペットボトルとか缶とか捨てに行ったときは良かった~と思いましたね。
ナレーション:龍田さんはこの夫婦の元をのべ34回訪問。その後、二人とも回復することができました。
藤田さんたちの訪問先が当初の枠組みを大きく超えて変化したのは3月末~4月。関西でこれまでにない感染拡大が始まっていました。4月上旬、感染者の9割が変異ウィルスに置き換わっていました。
藤田:当初は生活支援でしたけど、あっという間に命をどうするかという状況に変わって・・・生活から命まで幅が広がるように変わっていった。坂道を転がるような勢いで状況が変わっていきました。
ナレーション:病院への入院調整に追われた神戸市保健所です。入院調整中の自宅待機者は3月までは300人を下回っていましたが、4月中旬には1000人を超えるようになっていました。生活支援の枠組みを超えた訪問看護の依頼。藤田さんが訪れた5人家族の木村さん一家。40代の聡さんは陽性が確認される前から1週間にわたって高熱が続き、病院にかかっていました。新型コロナを疑い、妻と子どもたちは一階で過ごし、聡さんは2階の部屋で療養しました。
木村聡士(仮名):1週間全く熱が下がらないのでPCRしましょうかという話で。次の日に陽性と出た。
ナレーション:陽性を確認した後、夫婦が直面したのは医療から完全に切り離されると言う現実でした。それまで聡士さんは1週間通院していました。新型コロナは法律で定められた特別な感染症。陽性が判明した途端、聡士さんは保健所の管理下に入り、これまで治療を受けていた病院との関係が断たれてしまいました。肺炎と診断されていましたが、その治療が受けられず自宅待機。保健所から血中飽和度を計るパルスオキシメーターが届き、毎日数値を報告することになりました。
妻:その時点で肺炎を治療してくれた先生ではなくて保健所の指示を仰いでくださいってことだったんですけど、薬もいただけず薬屋さんに行ってくださいっていう感じだったので・・・肺炎なのにカロナール(解熱剤)しかのんでいない。
ナレーション:自宅で過ごすしかないなか、聡士さんの症状は悪化していきました。
聡士(仮名):何食べても、飲んでもしょっぱくて、気持ちが悪くて。トイレで吐いてたって感じでしたね。
妻:トイレで吐いてるのが一階にもきこえてくるわけですよ。下痢もだったので脱水が始まってるなと・・・。
ナレーション:パルスオキシメーターの数値は厚労省の手引きで酸素投与が必要とされる93%以下になることが増えていきました。
妻:パルスオキシメーターの数値も90や92とかだったので怖くなって救急車を呼んだんですけど搬送できるかわからないけど救急出動を要請されますか?と言われて・・・それでも来てみてもらいたいと思って救急隊員の方に来てもらって93、4を行き来してて・・・救急隊員の人も「うぅぅ・・・ん・・・」と言ったけど保健所から「ダメです。搬送先がないです」と言われて・・・その時が一番恐怖を感じました。保健所に全部が握られてるんだなって。怒りもこみあげてきてますし、次に向けてこうしましょうという指示もないし、本当にこの1年間なんの準備をしてたのって。保健所に看護師さんを呼んで主人を見てくださいよ!って詰め寄ったし、それもできないって言われて、私はそういう立場の人間じゃないんでって言われたし。
ナレーション:藤田さんの訪問看護ステーションに保健所から依頼があったのは救急車の不搬送の翌日(発症12日目)。聡士さんは明らかに医療介入か必要な状態でした。
藤田:あまりにグッタリしすぎて酸素の値が動くと90%をきると。こんな方が家にいていいのかと。この命を落としたくないと。
ナレーション:自宅での治療を始めるには医師の指示が必要です。しかしこの頃 往診する医師は限られていて、神戸市はその仕組みまでは整えられていませんでした。藤田さんは知り合いの医師に頼み、保健所に連絡。その医師の元、治療を始めます。
藤田:できた治療がもう体の中の水分が残っていないので、1日1000ml~1500mlの点滴ですぐ酸素を入れていただいて、3リットルのステロイドの治療。非常に治療に対しての反応が良くて、ご本人の治る力といいますか。凄いお元気になって・・・
妻:そのときはそのときで必死だったので、思い返せばなんですけど生きてて良かったというのが一番ですね。
ナレーション:1日でまわれるのは1000人の自宅待機者に対し数人。それは4月21日の夕方、80代の女性を訪ねた時のことでした。
藤田:ノックしてみるんですけど応答がなくて・・・ちょっと足が悪いってきいてたから玄関に出てくるまでゆっくりなのかなって思って。またノックして待って・・・。だけど30分近く待っていたのであれ?って思いまして、ドアの所にポストが付いてたので耳をあててどんな音がするかな?って思ったらテレビが大音量でついていたので・・・お電話したりしてみたんですけどそのあたりから何か起きてるかもと思いました。
ナレーション:女性のケアマネージャーに連絡し、救急隊員が到着しました。中に入ろうとしたそのとき・・・
藤田:入ったらダメです!っていう物々しい雰囲気だったので、あっ、亡くなってるんだなとわかりました。
ナレーション:女性はひとり自宅で亡くなっていました。
藤田:その場に座り込んで、ショックすぎてなにも考えられなかったですね。真っ白な感じ。
ナレーション:その死を受け入れる間もなく保健師からまた電話が入りました。症状が悪化している自宅待機者がいて訪問できる医師や看護師を探しているというのです。
藤田:高熱、肺炎併発で血中酸素も下がって、息が苦しい。もう、すぐに入院になると思うんだけどその間、繋いでくれる人がいないかというご相談の連絡だったんです。その保健師さんのなんとしても助けたいっていう想いがわかったので・・・「なんなら私が行きましょうか?」とお返事をしてしまった。
藤田愛さんのFacebookより
有料道路を乗り継いでいく初めての土地
到着が21:00になった。家のドアを開ける時に心が定まる。
できることをする。
ナレーション:防護服に身を包んだ父親に迎えられ通された二階の部屋で中村優也さん(仮名)は待っていました。
藤田:遅くなってごめんなさいね、って声をかけて。しんどいですよね、ってお声をかけても見るからにしんどそうなので・・・息が苦しそうで。顔が苦しい表情になって。あまりにも遅い医療介入だし、重症であると。
ナレーション:エンジニアとして働いていた優也さん。35歳。糖尿病の持病があり、すでに危機的な状況でした。このとき発症9日目。それまで何があったのか母ゆりかさんは日記に記していました。優也さんは最初、微熱と腹痛があり近くのかかりつけ医に受診していました。
母・ゆりか(仮名):そちらに行ったら悪い病気ではないだろうと言われたらしくって、そこで胃腸の薬をもらってきたみたいで・・・それを飲んだら少し調子が良くなったって言って。
ナレーション:その後も熱が続き、発症6日目コロナ陽性が判明します。糖尿病もあることから入院を希望しましたが、この頃感染者数は毎日記録を更新。病床に空きはないと告げられました。
母・ゆりか(仮名):ちょっと本人もまさか?!って感じでね、保健所の方からは連絡がくるっていってるから待っとかなあかんでって言って・・・それを待つしかなくて。本人は凄く熱が上がってきて、40℃近くになってて凄くしんどそうだから・・・でもお薬もなにもないし。夕方は主人から保健所に電話したんですよ。
父・洋一(仮名):指にはさむパルスオキシメーターをポストに入れておきますからって。
母・ゆりか(仮名):ただそれだけだったんでね。全然なにもなくてね。
ナレーション:その後も症状は改善しませんでした。保健所から指定された病院に受診すると肺炎になっていることが判明しました。しかし受け入れ先はまだみつからず、再び自宅に戻されました。
母・ゆりか(仮名):おかゆをあげても二口、三口で食べられへんっていう感じで。だからほとんど食事もしてない状態だったんです。本人が「お母さん、しんどいし食べられへんけど肉が食いたい」って言うんです。だからその言葉がすごく・・・(涙で言葉に詰まる)
ナレーション:さらに翌日、酸素飽和度が88%になり救急車を要請。救急車はきましたが受け入れ先がみつからず搬送できませんでした。
母・ゆりか(仮名):毎日保健所からは電話がかかってきますからね。本人が呼吸も苦しそうでしんどいんです。できるだけ早く入院させてくださいって、お願いしますって言ったんですけど・・・
ナレーション:この日、保健所が依頼した医師がようやく自宅を訪問し、酸素投与を開始。藤田さんが訪ねたのも同じ日の夜でした。
藤田:最初点滴をするんですけど、この点滴で少し楽になりますってご本人にお話したら頷かれて・・・
母・ゆりか(仮名):もしかしたら点滴は1時間くらいかかるんですけど、ずっとついていただいてね。
藤田:お母さんも感染されていて・・・私にうつしちゃいけないと思ってくれて。息子はこのままでは死にますって。ご本人は何回も失神してらっしゃったので・・・病院の廊下の片隅でいいんですって。どうか入院させてやってもらえないかって。お母さんも体調が悪くて咳しながら。深く頭をさげられるんですけど、どうしようもできない。私は30年看護師をしてるけど、とてもこの状況は信じられないし、ご本人やご両親が思うように即入院が必要だと私も思うという・・・私は味方なんだということをお伝えするのと、ちゃんとこの状況を伝えて入院調整は保健所なのでそちらにしっかりお伝えしたと言いました。
母・ゆりか(仮名):凄く切なそうに帰るんですよ、藤田さんがね。藤田さんが帰られた後に凄く寂しくなって・・・この子どうしようと思って。その日の22時40分に保健所から電話がかかってきて、入院する病院が決まりましたって。それでもう天にものぼるような気持ちでね。良かった!!って思って。
藤田:家を出て10分か15分くらいしてから保健師さんからお電話いただいて、藤田さん、救急搬送になりましたって。本当に喜んでおられて・・・もしよろしければどちらの病院に搬送になったかおききしてよろしいですか?って。そうしたら重症病床があって一番命が助かるには近い病院への搬送ということなので、あぁ良かったなぁって。
ナレーション:優也さんは入院後、母親と携帯でのやり取りを続けました。しかし症状はなかなか改善せず、このやり取りを最後に優也さんは35歳でかえらぬ人となりました。藤田さんはSNSに綴りました。
介入が遅れた、悪化の要因が大きい状況にある人は効果より悪化の力に負ける。焼け石に水にもならず、焼け石に雫。くそーくそーと心の中で握りこぶしを壁にぶつける。明日生きて会えるだろうか、それでも待つのか入院。でも入院できただけ運がいいというのか、重症化してからやっと順番が回ってきて、今、入院治療中の方数名。5月1日時点で入院調整中1700人以上、入院の順番が回ってくるということは誰かがこぼれたということで、あの人よいこの人の方が早く入院してほしかったのに、ふと思いかけてやめた。危ない、神様気分で命のトリアージするところだ。
藤田:自分のやってる行為が意味があるのかと思うし、握り締めても握り締めても指の隙間から命がこぼれていく。
【後編へ続く】