優希とともにずっと【事件の涙】
8人が死亡、15人が重軽傷を負った池田小学校の事件から21年。この事件で長女を亡くした本郷由美子さんは、家族の死に直面した人たちを支援するため、グリーフケア施設を開設した。ライブラリー「ひこばえ」は、事件後、友人からの絵本などの贈り物に支えられたという自身の経験をもとに作られたものです。大切な人を亡くしたとき、どう向き合えばいいのか。どのようなサポートが必要なのか。本郷さんと「ひこばえ」を訪れる人たちとのやりとりを紹介します。
ナレーション:何故、娘は殺されなければならなかったのか?事件直後、本郷さんは自ら命を絶つことも考えました。
本郷さん:ただ、ただ悲しいだけ。なぜ?どうして?そういう感情しか私にはなくて。外の時間は流れているんですが、自分の中では本当に時間が止まってしまったような感じだった。
ナレーション:そんな中に知ったある事実。優希ちゃんは致命傷を負いながらも廊下を歩き、最期まで懸命に生きようとしていたのです。それから二十年。同じように大切な家族を失った人たちに出逢い、生きる意味を探し続けてきました。身寄りのない高齢者や家族を失った遺族に寄り添う日々を過ごしています。しかし、娘への想いはひと時も消えたことはありません。
本郷さんのブログより:“見たかった。花嫁衣裳に身を包み、幸せそうに微笑む娘。どんな大人になっていたのかな?”
本郷さん:やっぱり会いたいですし、娘の成長も見たいし、声はどんな風に変わっただろうかとか・・・正直言って悲しみがなくなることはないです。
ナレーション:命を奪われた娘のために自分はどう生きればいいのか。答えを探し続ける母親の日々をみつめました。
ナレーション:東京 台東区。かつて日雇い労働者が集まる街として知られていた地域。本郷さんは次女の高校進学の機に7年前から都内で暮らしています。今、仕事のひとつにしているのがホスピスでの寄り添いです。ここには身寄りがなく余命わずかな人たち、およそ20人が暮らしています。身の回りの世話や話し相手をする本郷さん。最期に寄り添うことも少なくありません。
本郷さん:必ず私が来たら行くところがあるんです。
ナレーション:こうした仕事を始めたのは事件後、ひとに支えられて生きて来たからだといいます。亡くなった入所者を弔う礼拝堂。人を支えることで自分も支えられている。そう語ります。
本郷さん:もう元に戻ることができないから生きている私はこのことを抱えながらどういうふうに生きていけばいいんだろう・・・
ナレーション:本郷さんは残された自分に何ができるのか、娘に語り続けていました。
本郷さん:(娘の写真をみながら)黄色が好きだっていうことで「黄色でコーディねーとしようね」と言って2人で買いに行った服なんですね。すごく気に入ってくれていつもこの服を着ていて。うれしそうにしている優希が私の中で一番この笑顔が心に残っている。
ナレーション:ゆきちゃんは花や歌うことが大好きな優しい女の子でした。一年生の時に書いた将来の夢は学校の先生。教育実習の先生に憧れていました。
大きくなったら
きょうせい(教育実習生)の
せんせいになりたい。
なぜかとゆうと
おもいでがたくさんできるし。
たのしいから。
ナレーション:しかし、これを書いた1年後、事件に巻き込まれました。あの日、男は刃物を持って学校に侵入しました。最初に襲ったのが優希ちゃんがいた2年南組。休み時間を過ごしていた5人の子どもたちを刺しました。
本郷さん:(優希ちゃんの道具箱を出して)こんなにボロボロになっていますけれども・・・
ナレーション:そのとき、優希ちゃんは友達と折り紙で遊んでいました。
本郷さん:そのときのままなんですけど、これが落ちていたんですね。(折り紙を出して)“くるくるごま”を作っていたらしくて。
ナレーション:さらに男は隣の2年西組で8人を刺し、2年東組、1年南組へ。およそ10分の間に23人を刺しました。男は動機について
「エリートでインテリな子をたくさん殺せば確実に死刑になると思った」
などと供述。全く関係のない優希ちゃんたち8人の命を奪ったのです。事件直後本郷さんは自らの命を絶つことを考えたと手記で綴っています。
まるで抜け殻のような状態
(中略)
感情がまったく麻痺してしまい
時間の感覚すら失ってしまった
「なぜ、優希が?」
「どうして、あの時間に?」
次から次へと押し寄せる
「なぜ?どうして?」の底なし地獄
毎日、気が狂いそうなほど
苦しんでいるのに、
実際には正気を保って
生き続けている自分という人間が
信じられなくなり、
自分自身を許せないと
感じるようになりました。
ナレーション:絶望の中で生きてきた本郷さん。自分と同じように心に傷を負った人たちとの対話を重ね、生きる意味を探し続けてきました。この日訪ねたのは原発事故で故郷を追われた80代の女性。その当時(2015年)避難生活を余儀なくされていました。
原発事故で避難した女性:夜中に目が覚めるとこれからどうなるのかと やっぱり思います。どんなことがあっても生きなくちゃいけない。
本郷さん:手を触らせていただいていいですか?
女性:え?
本郷さん:手を触らせていただいていいですか?(女性の手を包み込むように優しく握る)
女性:ありがとうございます。長生きしますから。
本郷さん:是非、そうしてください。(女性を優しく抱きしめながら)我慢しないでくださいね。
ナレーション:本郷さんは1週間の大半をこうした対話やホスピスの寄り添いなどにあてるようになりました。今の自分を支えているのは娘の壮絶な最期だといいます。当初、即死したと思われていた優希ちゃん。現場検証で全く違う事実がわかったのです。教室からこの廊下を出た優希ちゃん。出口に向かって懸命に歩いていました。その距離、本郷さんの歩幅で68歩。39メートルありました。
何度も凶器を
振りかざされたときの恐怖は
どれほどだったのでしょう?
生きたいという望み、
意識が薄れていくとき、
あの子の脳裏には
どんな思いが浮かんだのでしょう?
彼女の受けた苦しみ、
つらさ、悲しさ、絶望を、
親である私はどうしたら
わかってあげられるのか。
激しい自責の念と無力感
ナレーション:本郷さんは毎日のように廊下に通いました。娘は最期に何を思ったのか。床に触れたり、頬ずりをするなかである想いを抱くようになりました。
優希という名前は、
夢と希望をもちつづけてね、
何事も最後まであきらめないでね、
必ず夢はかなうから、
と思いをこめて名づけたことを
話して聞かせていました。
きっと、その言葉を思い出し
その言葉を信じて、
「ママ、パパ、助けて!
優希頑張る。
生きる希望をもって最後まで
あきらめないよ!」
そう思いながら
頑張ったのでしょう。
本郷さん:一生懸命本当に死力を尽くしてこの子(優希)が伝えようとしたことはそれだけではなくて。“生きることのすばらしさ”とか“尊さ”を一歩一歩に伝えてるなと私には感じてきて。
ナレーション:娘の最期が教えてくれたこと。少しでも前を向こうと考えている本郷さん。それでもあの日のこと、優希ちゃんの死を考え、押しつぶされそうになるといいます。
本郷さん:時々何度もこんな自分だけれどもこれでいいのかっていう問いがどうしてもついて回ってくる。どこに行ってしまったの?なんで死んじゃったの?正直言って悲しみがなくなることはないです。
ナレーション:10年ほど前に始めたSNS。ふとした光景を優希ちゃんに語りかけてきました。
美しいウェディングドレス
見たかった
花嫁衣裳身を包み
幸せそうに微笑む娘
思わず立ち止まる。
一瞬だけど笑顔の娘が見えたような
気がしてシャッターを切った。
一緒に過ごせた
7年3ヶ月と7日という毎日が記念日だったな
優希と会えなくなって20年になるんだね。
どんな大人になっていたのかな・・・。
本郷さん:会いたいですし、その成長も見たいし、声はどんなふうに変わっただろうかとか どんなしぐさをしているだろうか・・・そういう姿も見たいですよね。
ナレーション:事件から20年、優希ちゃんの同期生たちは社会に出てそれぞれの道を歩んでいます。その同期生たちもあの日と向き合い続けてきました。現在、大阪で予備校の講師をしている三田村直輝さん(仮名・27)。あの日、三田村さんがいたのは優希ちゃんの隣の2年西組。目の前で友達が次々と刺され、パニックになった三田村さん。逃げる間際に背中を刺され、怪我を負いました。
三田村さん:教室から出て行くときに刺されたんです。後で聴いたら包丁が刺さったベルトが真っ二つに分かれていて・・・お医者さん曰くそのベルトがなかったら多分致命傷になったでしょうと聞いたので。それこそ一回死にかけた。
ナレーション:優希ちゃんと幼馴染だった三田村さん。教壇に立ってから優希ちゃんの夢が先生だったことを知りました。三田村さんは一昨年の追悼式典で本郷さんに再会。そのとき、ある相談をしました。
三田村さん:形見というか当時使ってたものはありませんかと聞いて、お守りとしてもらいました。優希ちゃんの夢がかなうようにもみえるので。とにかく奇跡の連続で生かされたと思っているので何かしないといけない。
ナレーション:本郷さんが選んだのは優希ちゃんが最後に遊んでいた折り紙。三田村さんはそれを肌身離さず教壇に立っています。
三田村さん:胸の位置にくるのでそこから見える。実際教壇からの見える光景はすごいので、生徒たちが何十人も目を輝かせて聞いてくれてるその光景があの子(優希ちゃん)にも見えてるんじゃないかな。
事件の陰に涙がある
そしてそこには人間がいる
ナレーション:娘が最期に残したメッセージに応えたいと考え続けてきた本郷さん。去年11月、念願だったある施設の開設にこぎつけました。
本郷さん:こちらが絵本のお部屋になります。
ナレーション:絵本などが並んだこの部屋。訪れた人が感情を吐き出し、安らぐための場所です。事件や事故で家族を失った遺族と共に実現しました。きっかけは事件後、友人たちが届けてくれた絵本「いつでも会える」。ショックで文字も目にはいらない中、ふと手に取り、引きこまれたといいます。
主人公は犬のシロ。飼い主のみきちゃんを失くしました。最初は悲しみに打ちひしがれ何もできません。次第に思い出の中でいつでも会えることに気づき、悲しみと向き合っていきます。
本郷さん:僕はシロ そうかシロなのか。もしかしたら私は優希って言ってるかもしれない。そんなふうに思えて・・・。絵本って自分の気持ちと向き合うことができる。自分の内側と対話できるという経験をして・・・
ナレーション:心を解放し、穏やかなひとときを過ごします。
本郷さん:最初は本当に犯人を恨んだし憎んだし言葉にならない感情がでてきましたけれども・・・人を本気で心から憎むって見えているもの全てが同じように醜く見えてしまう。それがすごく苦しかったんですね。私は本当に苦しくて。そのときに自分の心までは奪われたくないと正直思いました。犯人を憎んだりいろんな感情を持っているときって娘も悲しい顔をしている。そういう姿しか見えなくて。命の大切さを伝えたいっていうことをメッセージを受けたのであれば、そちら(憎しみ)にエネルギーを注ぐのではなく、違う方向に変えていきたい。
ナレーション:この日、本郷さんにとって特別な人たちがやってきました。井上郁美さん・保孝さん夫妻です。事件の二年前、井上さん夫婦の車は飲酒運転のトラックに追突されました。長女の奏子(かなこ)ちゃんと次女の周子(ちかこ)ちゃん二人の娘が亡くなりました。同じように子どもを奪われた親として本郷さんを支えてくれた井上さん夫妻。交流を深めていきました。
井上郁美さん:一冊一冊 私も事故の後とか本屋さんとか図書館とか見る度にそのコーナーに行って 何かないかなって探して。一冊見つかるかどうか そういう感じ。それが集められているのはすごいなって。
本郷さん:ここまで何とかできましたって報告を1番したかったので。
ナレーション:井上さん夫妻は、家族を亡くした子どもたちを描いた絵本を何冊も手に取っていました。娘の命を繋ぐために自分に何ができるか考え続けてきた本郷さん。井上さん夫妻が書いてくれた感想を読み返していました。
自分の中の悲しみと心ゆくまで向き合える場があるということが分かるだけでも きっと多くの人が救われると思います。
本郷さん:優希と共にいる感じで私はもし本当に天国で会えるのであれば、
「ママ頑張ったね」って言ってくれるかもしれない。いろんな人に これだけ出会えて今ママは生きてるんだよって。
ナレーション:今年の優希ちゃんの誕生日、本郷さんはこう語りかけました。
優希、お誕生日おめでとう
「お空からママのところがいいって選んできたの」
なんて可愛いことを言ってくれた時の笑顔
今でもはっきりと覚えています。
私をお母さんに選んでくれてありがとうね。
本郷さん:(優希が)ひとりで頑張って歩いたところ 1歩1歩感じたいし
ほんとによく頑張ったね。あなたが伝えたこと お母さん ちゃんと受け止めたからね。