僕と病気の父と生きてきた1万ちょいの日々の思い出を記録しておきたい人。その②
こんにちは、SORAです。
前回からの続きを更新していきますが、やはり日本語や文法的に
おかしい部分も出でくるかも知れませんがご了承ください。
(色々有りすぎて混乱してるけど書くことで多少、落ち着きました)
一気に押し寄せる様々な手続き地獄!
介護、透析、治療と一言で言ってもその中身は様々。
うちの父の場合は65歳未満だったので色々と手続きが必要で
そんな事を素人である家族は勿論、本人も知る由はありません。
そこで病院側から病院にいる福祉士の方を紹介して貰い
その方に申請すべきもの、取るべきものを教えてもらいながら
役所と病院を往復しながら少しずつ手続きしていきました。
手続きが必要なもの
① 高額医療制度
② 更生医療
③ 障がい者手帳
④ 障害年金
⑤ 介護保険
⑥ 介護認定
⑦ 車の税金
① 高額医療制度
①の高額医療制度は病院にもよりますがマイナンバーがあれば
受付でカードを端末にいれるだけで申請可能です。
マイナンバーがない場合は書類で申請して約2周間ほどで完了します。
収入によって段階は違いますが医療費の金額がだいぶ違うので
これは申請できる人はしておいた方が良いです。
② 更生医療
②は申請すると治療にかかる薬や透析の金額が一部返還されます。
病院や薬局は申請したもののみになりますが。
前は書面で毎回書類が送られてきてそれを病院に提出して
申請などをお願いしていましたが今は書類提出がなくなりました。
③ 障がい者手帳
③は透析になると問答無用で腎臓3級という障害者になります。
申請するとしばらくして障がい者手帳が発行されますが
カードタイプと手帳タイプが選べます。
これを申請する事で沢山のサービスを受けられるようになるのですが
透析の場合は送迎なしだと一番大きいのは交通費の支給でしょうか。
タクシー、ガソリン、バスの中から1つ選べて年間で3万円分が支給され
例えばタクシーチケットで貰っていた人がガソリンに途中で変えるとか
そういうのも対応しているようですが残額から計算し直して支給されるので
ある程度、利用済みだと満額が復活することは有りえませんが。
正直、週3日の送り迎えなので金額的には全く足りないですが
貰えるだけ有り難いなぁと思っています。
前は一々書類で申請していましたが、去年辺りから更新書類が届いたら
それを持って受け取るだけになったので楽にはなりました。
④ 障害年金
④が実はこの中で一番大変でした。
年金事務所に出向いて障害年金の説明を受けて申請書類を貰います。
そこに病気になってから今までの治療や生活についてを5年毎に分けて
すべて書き出してから申請しなければならないのですが
その為に情報を病院から貰わなければなりません。
ここ最近病気が発覚して、の人なら楽でしょう。
ですが父の様にそもそも大元の糖尿病自体が数十年単位で
昔から罹っていた場合に病院側に資料が無かったりします。
何せ、資料の保存期間は殆どが5年ですから。
また医師が移動していたり、分からなくなっている場合もあります。
父の場合、病院側に昔から会社の健康診断も治療も任せており
古すぎる資料はなかったものの、医師の手書きのメモが
たまたま残っていたのでそれを元に当時の診療内容などを
出して貰えたので助かりました。
プロの方に書き出しを頼む方法もありますが料金お高め。
でも書き間違いとか申請ミスが無くなるのでいいのかも?
でも我が家は自力でやるしか無い!と思って
各病院から資料を集めて治療から仕事の事も
父に思い出しをさせる作業が始まりました。
これはただ書いて申請すれば良いっていう書類ではなくて
この書類を見て審査する医師の方がいて通すかどうかを
決めているというのですからドキドキです。
大学ノートの切れ端の糖尿病の疑いって所から
最近の透析開始までを辿るのが地味にシンドかったです。
そして父、僕が小1くらいの時から病気してるんですね…
⑤ 介護保険
介護に関する色んな道具を借りるのに必要な手続きです。
これは必要に応じて、業者さんと相談して申請します。
例えば我が家の場合は今はシャワーいすや電動ベッド、
杖やベッド用テーブルに各種手すりを申請していますが
介護度によって負担割合が変わります。
必要に応じて、なので申請しない方もいるかも知れません。
⑥ 介護認定
これが祖父の時に壁になった介護認定です。
要介護度が申請した後できた職員さん次第で変わってしまうし
何より昔より更に厳しくなっていて難しいと看護師さんも
福祉士さんも言っていたが本当に厳しくなっていた。
改めて申請してみて、父が一通り出来ることで要介護度が上がらず
今回から付いたケアマネさんが仕方ないですねぇとは言っていたものの
本当にこれは昔からだけど難しいなぁと。
あと市と区で判断違うのも統一してくれないかい?
おむつ代が何気にのしかかって来ますが、父には使えませんでした。
⑦ 車の税金
本人の名義の車の場合は申請しておくと税金が減ったり
免除になったりするので申請しておくと良いと聞いて
日々、透析や通院の送迎に使っているので申請しました。
ここまでで一ヶ月以上余裕で掛かってしまっているのですが
祖父母の時とは全く違っていて知らないことばかりだったので
今回、福祉士さんが付いてくれて心強かったです。
退院させたい病院VSリハビリ次第な医師VS空きのない透析ルーム
手術も無事に終わり、父も動けるようになり自分で一通り出来るとなると
病院側は退院させたい訳です、病床がコロナ禍で足りてないですから。
でもその為には週3回の透析ルームを決める必要がある。
透析ルームには送迎付きと自力で通うものがあるのですが
そもそも透析ルームに空きがない!!
それだけ透析患者がものすごく多いということでもあるのですが
そこに父のように送迎して欲しいとなると更に難しく。
特に我が家のある地域は道が狭くて送迎が難しいとのことで
デイサービスでも小型のワゴン車で来るような場所…
退院までに決めなきゃならないので福祉士さんも必死で探してくれて
家から少しだけ遠くなりますが…と言いつつ見つけてくれました!
ただし送迎なし、時間は病院が来て欲しい時間と言う。
朝になったり昼間になったりと時間の移動がありますが
受け入れてくれただけで有り難いもんです。
あとはリハビリ。
どこまで出来るようにしたいのか?を聞かれたけれど
介護確定でアルツハイマーと難聴がある今は選べない。
なので最低限の自宅生活を目標にリハビリ開始。
これにて退院へ向けた戦いが始まったのでした。
ちょっとだけ。
さて、ここまでを読んでお気付きになられた人もいるかと思いますが
僕はいわゆる介護用人間として今はほぼ選択的ニートになりました。
理由は徘徊癖のある人が祖父母に父と増えてしまったからもありますし
普段の食事や薬、各種役所や病院との窓口になってしまったので
(他の家族より治療などで通っていた為に病院に慣れていて
説明を聞いたりするのが苦手な家族の代理をしていたから)
自然とそういう役割になってしまいました。
バイトとかも一応した事はあるのですがほぼ24時間徘徊癖と
付き合っていくには難しく、犠牲と言ったらアレですが
介護専門として家に居て欲しいとお願いされたからです。
こうせざるおえない家も我が家だけではないと思います。
ヤングケアラーもそうですが家を介護される患者だけに
しておけない事情もあることを知って欲しいです。
本能は理性を超える、脳がボケても力はあるので
どうしても放置出来ないんです。
放置したらベッドから落ちて骨折してしまったり
頭を打って何度か入院騒ぎになってますので。
その未来がヤバいことは自覚してます。
介護の知識は増えていくけど、それは家族に対してなので
資格もないし、他の症例に使えるかも疑問です。
ですがずっと一緒に居た家族です。
父には少しでも長く生きて欲しかった。
それだけです。
夏休みの約束をしたけどそこまで生きられるか判りません。
今もかなりギリギリで生きています。
透析患者に出来る治療があまりないからってのもありますが。
皆さんに言われます、父若いよねって。
でも年齢なんて関係ないほどに病気というのは恐ろしいです。
どんなに定期的に検査していても気付かなければ意味はなく、
ガンというのは一度進行してしまうと早いです。
検査しても体調が悪いと感じたらセカンドオピニオンなり
別の病院を探してみるなりしてみてもいいかと思います。
現在、我が家では父と父の兄ががんサバイバーです。
あの時、メインで介護してた伯母ももうじき透析になりそう。
父方の祖父母は亡くなりましたが母方の祖母が
骨折からの痴呆で介護必須になりました。
まだ僕には兄弟がいるから暮らせてますが、
一人っ子やお子さんの居ない人は大変だと思います。
ケアマネさんが付くまでも色々有りましたし。
ケアマネさんにも沢山の顧客が居て一人に時間をかけられません。
透析でガン末期で緩和ケア中でアルツハイマーを預かってくれる
そんな施設なんてほぼ有りませんから自宅で介護するしか無いのです。
こんな人達も中にはいるんだと少しでも知っていただけたら
こんな暮らしの自分でも何かのお役に立てるのなら…
そんな思いと、今までの記憶として書き始めました。
思い出したら追加で何か書くかも知れません。
僕からもいつか消えてしまうかも知れない記憶を遺すために。