「HSPの僕が見る世界」えんとつ町のプペル②
みなさん、こんにちは、看護師・グリーフ専門士の空と申します。
このチャンネルは
毎日一人で「辛い」「苦しい」と悩んでいる人、仕事が嫌い・向いてないと思っている社会人や学生などに向けて
僕の人生を救ってくれた言葉や、自分の経験、10年以上勉強してきた心理学とカウンセリングの知識を自分なりの言葉で伝えていき、
聞いてくれた人たちが、、明日、少しでも心穏やかに過ごせること、いつでも助けを求められる場所があると知ってもらうことを目的としたチャンネルです
今回は5回目の「hspの僕が見ている世界」です
ではでは昨日に引き続き宣言通り映画えんとつ町のプペルの感想・考察です
今日はごみ人間プペルが生まれたゴミ山、ごみの意味について話します。
ごみ人間のプペルはハロウィンの日に町のはずれにあるゴミ山、みんなが
生活しるところから流れてくる川?水路?のようなものが流れ着いた先にあるゴミ捨て場のようなところで生まれます。この映画の中の描写で、まだ少し直せば使えるような服を捨ててしまう、勿体ない…という場面があります。つまりこの世界はまだ使えるようなものも、少しダメになった、穴が開いた程度での不要なものと扱うような文化があることを表しているんだと思います。こういったものが飽和状態で、少しでも「違和感」「異物」「異端」と感じるものを「不要」と扱ってしまう社会をここでも描いていると思います。また、このゴミを西野さんは、ネットやメディアで今溢れてしまっている「誹謗中傷」を表しているのかもしれないとも感じました。
もう一つ、このゴミはストレートに、モノがあふれているせいで、モノを大事にしない、今の社会も意味してるのだと思います。
でも、ここからが僕にとっては大切な考察になります。
このゴミが集まって生まれたプペル、実はみんなが捨ててしまった大切なもの、捨てられてしまった夢や思いが形になったもの、誹謗中傷の奥にある本当の想い、「誰かにとっての大切な何か」があつまった人。現実世界ではマイノリティや個性的な人と表現されている人たちは、きっとその「大切な何かを折れずに持ち続けている人」なんだと思います。きっと西野さんにとってこの映画で伝えたい、最大のテーマがここにあるのかなと…開始5分くらいの序盤のゴミ山から生まれるシーンに詰めているのが天才的だと思いました。
それでは最後まで聞いていただき、ありがとうございました。
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