女性起業×動画クリエイターになるまでの道 vol.3

ここまでの私の

OL生活を経て、写真、動画が好き!から未経験で動画クリエイターになるまでの女性起業家としての成長期


を記していっています。


ふつーーーーのOLさんだって

地方にいたって

なんの資格もなくたって

未経験のことだって。


独立して生きていけるほど

(考えるとOL時代からは8倍くらいになってる!)


そしてお仕事の絶えない、

そんな動画クリエイターになることができました。



ここまできた道になにがあったのか?


今の私ができている素っていうんでしょうか。


コネクティング・ザ・ドット


というように、



今までつないできた「点」

ターニングポイントだったり、

”人”とのご縁について


今日も記していきますね^^


・・・・・・


就活でのご縁をつないで、人材派遣の営業マンとして入社… vol.1

へとへとになって転職を決意 …vol.2

転職活動をやってみる ←今ここです^^


※詳しくは、ぜひ

vol,1から読んでみていただきたいです✨



さあ今日は、いざ転職活動をはじめる!

っていうところ。


さて何があったか。


・・・・・


女性の営業マンは3年続かない


現実、半年でこのざまのワタシ。


これを3年続けて…

今より慣れたら…

けど、先輩や上司たちを見ていても想像できる未来は


なんだか暗かった。



このままじゃダメだ!!


と、転職への道を選んだ私。


正直、人材業界にいたため、
転職の大変さはそれまでにも嫌というほど見ていて。

また姉がずっと「派遣さん」をやってきていたことも

私に大きな影響をもたらしていた。



ちょっと姉の話を挟むと、


6こ上の姉は
「派遣さん」をやってきて、毎回切られていく様を

私はそれこそ大学生の頃から見てきた。


姉は、家族から見ても(家族やからこそ見えてるのかもしれないが) 

だいぶコミュ障やし、すぐヒステリー起こすし、

そしてなかなかのおデブやし。


けど、仕事はできるんじゃないかなぁと話を聞く限り思う。

パソコン関連は得意で、いわゆる「機械に強い」って人だ。



だけど、彼女の「働き方」は、正社員な働き方なんだよね、なんて

日々ヒステリックに母に愚痴る姉の話を聞いてると感じていた。


営業アシスタント、として働く姉は

・営業さんたちから降り注ぐ事務仕事を一気に抱えて残業の嵐

・上司の秘書的な役割もこなす。。割に部長や課長、他部署の

 権力闘争に巻き込まれるものの、強い側につけない



とか。上げだすとキリはなかったが、

「派遣さん」の立場ではどの役割も難しいと思える。


あくまでも個人的な見解ですが、

時給計算の彼女が残業するほどに、上からはにらまれただろうし…

「派遣さん」を使う部署に権力闘争に打ち勝てる上司はそうそういないでしょう…


そう当時は特に、

人材会社からの「派遣さん」を雇えるのはだいたいが大きな企業と

相場が決まっていて。


上記のポジションでしかいられない姉は

持って1年、ひどい時は3ヶ月そこそこで

切られていた。


日々格闘する姉、

格闘していたからこそ、彼女は日々ボロボロだった。

ストレスでさらに太っていった。



直接雇用をしてもらえないと

この肩身の狭さなんだな。。


なんて思えた。

本当に見ていて、辛かった。


・・・・・


そう、

・姉の働く「派遣さん」の扱われ方を見て

・自身の会社の派遣スタッフさんを見て


そんな辟易した想いを私は持つようになっていた。


なので転職するなら、

「絶対、正社員」

と、一つの指標は決まっていた。



だからこそ、

「会社を辞めてから」なんて思いは毛頭なかった。


履歴書を見る側、人事面接もやっていた側として

転職するにあたって、


離職期間を空けないというのも大事だ

と感じていた私は、


営業マンとして仕事を続けながら活動に取り組んだ。


そして、

次にどういう会社がいいか、考えた。


私が転職の時、意識していたのは2つ。


1.自信をもって紹介できる商品を扱いたい

人材業界を経験し、「人」が商品であることに本当に苦しんだ。

人は改善することはできないし、

変わろうとしないけど夢だけ大きい…そらできないよ。。って

人ばかりだったことも困ったポイントである。


商談に行っても

「とっても真面目ないい人なんです!」なんて。

即戦力・高いスキルを求める企業側へのアピールはそんなことしか

言えない。


もちろん大事な要素だけれども、

それだけで響くほど甘くないと痛感できた。


次に、

2.終わる仕事がしたい


新規獲得営業マンにとっては、ルーティンというか。

TODOリストが消えていかない、毎日同じリストが並ぶ・・

なんてのも、私にとっては

キツイと感じる要素だった。

営業マンでも経歴書づくりや事務作業はたんまりこなしてきたが

事務的な業務は

一つ一つ、終わったらマーカーで消していける。


私はこっちの取り組み方がしたい。


アシスタント側、事務職っていいなと考えた。



だったら、、と
業種・職種も変えたく
第二次新卒枠で、未経験でもOKな職場探しを模索し始めた。


2つの考えから、


業種:人材→メーカーや商品があるところ
職種:営業→事務   


ただ、自身も転職業界で見てきて

転職=”即戦略”が前提なわけで。


だからこそ
姉の状況よろしく、大手企業では正社員枠がない。


ベンチャーのメーカー等では

最終面接・内定はもらえても、企業側の希望条件が私には高く

(英語が使える事、経理も営業事務も1人で全般やってほしい、など)


… 転載活動を始めて2ヶ月。


なかなか次はここだ!という会社を決められずに
年を越すことになってしまった。



・・・・・

はい。

私の中で、「働き方改革」第1段、といった感じのこの頃。


強烈な印象の「姉」という存在を横目に、、

また働きながら、深夜での残業から帰宅後に履歴書を書いたり

募集記事を探したり、面接対策をしたり。


今の現実を変えたい!と、また朝になっては泣きながら通勤する


なんてことを続けていました。


実際に転職を決める「ターニングポイント」はすぐには訪れませんでしたが。

(ていっても今見ると、まだ2ヶ月やん。手感じですが)


私の中での心の整理、みたいな期間だったのかなと思えます。


まま、そうして少し疲れ果て・・

私は次の「点」へ向かうことに。


また続き、記して行きますね^^!


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