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医者と神様どちらに縋るか

最近私の住んでいる地域では、救急車🚑を見る事が急激に増えました。
去年のワクチン接種後に匹敵するほどであると感じます。
私は去年病気を患いましたが、今年は体調良く日々を過ごせています。
少し体調を崩す時もありますが、去年と比べても病院に通うこともなく処方されていた薬も全く飲んでいません。
その状態がもう何ヶ月も続いております。
本当に御言葉に出逢えたこと、神様に救われた事を感謝しております。

今年に入り、以前記事にした姉も無事退院し、仕事に復帰しました。祖母は先日面会した時は今までにないほど元気な姿で会話も弾むようにしておりました。
これほどまでに身の回りで病に倒れていますが誰一人命を落とすことなくその病気が治っている事を考えると祈りで治ると思うしかありません。

何が言いたいのかというと、上の兄弟姉妹の方が書いている通り医者に縋り付くのではなく、神様に縋ることが大切だということです。

⬇️⬇️さらに、御言葉でも万物を造り、人間を造った神様がその病を治せないはずがないと仰っております。
やはり、信仰による義がとても大切です。

2022年10月28日(金)

神様に対する信仰を持ち、祈った通りになると信じて祈ることが神様の前で善であり、義であることを強く認識しなさい。そして、自分の力でできることを祈るのではなく、自分の力では絶対に不可能なことを祈りなさい。そのような人が次々と不可能を可能にして大きく栄えていくのだ。

もっとも、病を患うことのないように真理を身につけることも非常に大切です。
何故なら、この世には無いはずの病気で金儲けをし
病気にさせる為にワクチンを推奨する悪人が蔓延っているからです。

⬆️⬆️
兄弟姉妹の方でわかりやすく情報をまとめられていたので共有させて頂きます🙇‍♂️
大切な人を守る為にも正しい知識を身につけて搾取する悪人に騙されないようにしなくてはいけません。
死は必ず誰にでも訪れるものですが、寿命ではなく存在しない病気の為に薬漬けにされたり、健康な人がワクチンにより命を落とす事は、あってはなりません。
それは立派な殺人です。

私の祖母も乳がんを患いました。
両親2人の父も癌で命を落としました。
正しく言えば抗がん剤で命を落としました。

ワクチンにより体調を崩されている方は山のようにおられると思います。
少なからずその中に癌と誤った診断を受けている人もおられると思います。
これらは紛れもなくワクチンの副作用によるものでしょう。

なかには状態によって絶望、落胆されている方もおられると思います。
⬇️⬇️しかし、神様は人間の小さな願いから大きな願いまで叶えると仰って下さっています。

2022年10月29日(土)

神様は厳しい掟に従わせるために私たちを呼んだのではなく、私たちの願いを叶えるために私たちを呼んで下さったのだ。そうでなければ、私たちは相変わらず奴隷であり、神様の恋人になったとは言えないのではないか。(私たちの小さな願いから大きな願いまで全てを神様に叶えてもらうために、神様の小さな願いから大きな願いまで全て叶える者となりなさい。)

私も自分の身に艱難苦難が襲った時、本当に必死に神様に縋りつき生きました。
裁きだと思いひたすら悔い改めました。
その時は本当に辛く心折れそうな事が何度もありました。正直何回かは心が折れました。
しかし、それでも不思議と信仰を失う事はありませんでした。

必死にもがく日々が続き、その中で悟ることも沢山ありました。いつしか、これは自分にとって必要な過程だと練達だと思うようになりました。

最初は逃げたい、もう諦めたいという思いでした。

しかし、やめたところで行くあてもなくどれも虚しいとわかっていたので求め続けました。

入院している祖母が2度、医者に峠だと呼び出されたこともありました。
1度目は、もう無理かもしれないと頭によぎりましたが、大丈夫だと言い聞かせていました。
2度目は、不思議と心怯まず家族が涙を流すなか大丈夫だと神様を信じ続けられました。

自分が病になったり、大切な人が命の危険に晒されるとここまで頑張れるのだと正直驚きました。

同時に、私のこれまでの信仰は偽善だと気付かされもしました。どこか他人事でここまでしっかり義の条件を立てていなかったからです。

明け方の祈りで、私の大切な人を守ってもらうからには神様の大切な人類を救う働きを同じ熱量で行わなければいけない事を悟りました。

信仰のない家族が悲しむ姿はとても見ていられません。助けてあげたいけど助けられない歯痒さがあります。
神様も同様、人類を救たくても肉がない為歯痒い思いをされているのだと感じました。

これまで自分を含め、何度も身の回りで神様が病を癒やされてきました。
本当に小さな祈りから大きな祈りまで叶えて下さるのが神様です。

もちろん大きな祈りは直ぐには叶いません。
また、祈りを叶うという信仰はもちろんの事、
自分自身ももがきが必要です。

病に罹ると信仰に触れていない時間があるとすぐ不安心配に陥ります。
だから絶えず祈り求めて24時間神様に縋り付くようになります。
諦めれば終わってしまう状況なら人は必死にボロボロになるほど頑張れます。

神様から発破をかけられる前からそれだけ必死に神様の為に生きなければなりませんが、
私はこれらの裁き、練達により、神様の求めておられる基準がほんの少し理解する事ができました。

今現在、病で苦しんでおられる方、
家族や大切な人が病気で悩んでおられる方、

ただ涙を流し不幸を嘆いていても状況は変わりません。私も最初は嘆き苦しみました。

10:36神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。 わたしの正しい者は信仰によって生きる。
もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。

嘆き苦しみながら、聖書を読んでいるとこの聖句が私の心に刺さりました。

不安心配で苦しい時は大丈夫だと思えるくらい義の条件を立てれば心は楽になります。
信仰がなければ信じられるまで何度も御言葉を聴きました。
上記で紹介した御言葉も何度も聴きました。

神様を求めるしかどうすることもできないという状況に神様は追い込まれます。

聖書の話はおとぎ話ではありません。

新約聖書でイエス様は人々の病を癒しました。

「あなたの信仰があなたを救った」

神様がどれだけ救たくても、人間が信じなくては救いようがありません。

信仰による義が本当に大切です。

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