私の家族に訪れた裁きと奇跡

2023年に入り、日本の裁きが急加速し世の中の人々とのギャップが流暢に表れるようになりました。

その影響は身近にも表れるようになり、私自身今年に入り2つの出来事を通じて、神様の恐ろしい裁きとその中で神様を信じるように導かれる深い愛を知ることができました。
今回はそれについて証をしていきたいと思います。

noteにも去年書いたように私は一時、呼吸困難の症状で入院していた時期がありました。
私は迫害を恐れて家族には信仰の話を深くしたことがありませんでした。聖書も隠れて読んでおり、
唯一、母にのみ少し神様の話をする程度でした。

周りからは1日1食や断食のせいで栄養不足が原因だと言われていましたが、私はそうは思わず病をきっかけに信仰もより強くなった為、寧ろ幸いだとすら感じていました。
その後、家族間のある事をきっかけに姉から激しく迫害を受けるようになりました。

私は以前まで家族と一緒には暮らしておらず、退院後から引っ越しし、家族と過ごす時間が増えた事が原因でした。

この迫害を恐れて、ひっそりと信仰生活を行なっていたのですが、どれだけ歩み寄っても攻撃される一方でとても苦しい思いをしました。

父と姉に伝導しなかったのも、聞き入れないどころか激しく非難し神様を悪く言われると感じていたからです。
唯一話をしていた母に伝導した理由は、私の幼い頃から母は毎日欠かさず、お風呂で湯船に浸かった際にお祈りをしていたので、伝導できるかもしれないと感じていたからです。

仏壇や神棚に手を合わせる人が多い中、偶像を拝まず祈り続けていた母はきっと神様が導いて下さると心に感じていました。

当時、私が病に倒れていた時はどれだけ神様の話をしても、私が病に侵されている姿を見て不幸だと誰も聞く耳を持たない状況でした。

しかし、今年に入り状況は一変し、
介護施設に入っている父方の祖母が老衰が近いと医者に宣告され、私を強く迫害していた姉は国が難病に指定している病にかかりました。

この2つの事は、不思議な事に何の根拠もなく私が母に預言していた事でした。
去年話しており、全く信じていなかった母もこれには驚きを隠せない状態でした。

私は、神様を信じていなかった事や迫害をした事に対して恨みなどなく、不幸が訪れた事に対して喜びの感情なども一切ありませんでした。

寧ろ、我が身に起こった事を目の当たりにして神様を信じてもらえるかもしれないという期待がありました。
それからというものは、必死に先ずは母を伝導しました。不思議な事に母に対して伝導している時は、聖書の例えや、御言葉が次々と頭に浮かび迷いなく話す事ができていました。
話していて力に溢れ、その度にこの時間がとても楽しいと感じるようになりました。

聖書の話をすると、母が昔、聖書を持っていたと言い出し、その時はとても驚きました。
学生の頃、友人にクリスチャンがいたそうです。
それからお祈りを毎日するようになったと話していました。

今となっては、母といる時間は何も気にする事なく信仰の時間を取れ、聖書や御言葉も堂々と読んだり聞くことができるようになりました。
このように導いて下さった神様には感謝しかありません。

もう一つが、介護施設に入っている祖母の話です。
アルツハイマーによる徘徊が酷く介護施設に入った祖母ですが、去年から衰えが早く、
元々お喋りな祖母でしたが、面会に行っても家族の名前はもちろん思い出せず、殆どものを喋らない状態でした。

今年に入ってからが1番調子が悪く、顔色が物凄く悪くて体のあちこちが痛いと言い、殆ど寝たきりの状態でした。

私は今年に入り、姉と祖母の病が完治すれば、どう考えても神様の力としか思えないだろうと考え、どうにか今回の裁きから信仰に導けるように祈っていました。

半信半疑な母に対しても病が完治すれば、どれだけ鈍感な家族でも神様がいるとしか思えないと思うから一緒に祈って頑張ろうと諭してきました。

聖書でも病を奇跡的に治す描写は幾度となく描かれており、今年に入り不幸が訪れ暗い雰囲気の漂う家族間の中で、私だけは希望に満ち溢れていました。

放っておかれている人の方が不幸だと思ったからです。寧ろ、どん底の家族が神様が起こす奇跡を通じて神を信じるように導いて下さると感じだからです。
この時、ようやく去年何故、私が病に倒れたのかが理解できるようになりました。

自分自身、祈って治ったからこそ、それを見ていた家族に対して自信を持って語る事ができました。

すると、次の月の面会の時、祖母の血色が驚くほど良くハキハキとものを喋り出しました。
嘘のような話で、これに関しては流石の父も愕然とした表情でした。

神様が起こしてくれた奇跡はこれにとどまらず、
祖母は、なんとその場に居合わせた全員の名前を口に出して言ったのです。
父の話す言葉も理解し、会話も成立していました。

以前までなら耳が殆ど聞こえず、首振りで返答する事が殆どでした。
そして、最後に私の目を見つめ、
「みんなを引っ張って行ってくれる子」と言いました。
これは、両親が私の名前に込められた意味です。

祖母は名付け親ではないので記憶にあって口に出したのかはわかりませんが、今の私の家族にはとても響くものがありました。
この日は、本当に喜びに満ち溢れ鳥肌が止まりませんでした。

神様が起こして下さったこれらの奇跡により、私の家族が神様がいると身をもって感じた事で、大きく前進する事ができました。

姉も来月頃に一度退院が決まる事ができました。
難病ですので、これからも治療が必須ですが、
命に別状は無く、頑張り次第で完治できると私は信じています。
それが信仰を持つキッカケになってくれれば幸いです。

その為にも、諦めずに伝導していきたいと思います。

以前の御言葉で、自分達では家族を守れないという言葉がとても響きました。

今は、神様を信じる事でしか、幸せに生きられない世の中となりました。それほどに今の日本を襲う裁きは恐ろしいものです。

神様を信じない世の中の人で、裁かれ苦しい思いをしている人々は大勢いると思います。
この先、更に増えていくと思います。

そのような人々に是非今回の証を読んで頂きたいです。
どれだけ厳しく裁かれたとしても、神様を顧みるならば暖かく迎え入れて下さる。
救いの道に導きたいという神様の深い愛があるのだという事を知って頂きたく心を込めて証しました。

最後まで読んで頂きありがとうございます。


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