冒険→対話→思考
フロー(英: flow)とは、人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。 ゾーン、ピークエクスペリエンス、無我の境地、忘我状態とも呼ばれる。(wikipedia参照)
「フロー状態(スポーツの世界ではゾーンに入るとも言われる)への入り方」
「フロー状態は作れる!」
「集中力を高めて、質の高い生活をしよう!」
といった類のYouTubeの動画や、自己啓発本は溢れる程ある。
ただ、人間が皆、同じバックグラウンド、同じ思考回路、同じ環境に置かれていることはありえないのだから、「あなたがフローに入る方法は、ずばりこれです!」と断言するのは自分自身の他は誰もできないと思っている。思考を整理して、一々行動の根源を言語化していくと自分が調子いい時(フロー状態に入っている時)にどんな共通点があるのかが見えてくる。
他の価値観に触れ刺激を受けるのは、もちろん重要なことだ。が、せっかく受けた刺激をそのままにしておくのはもったいない。自分なりに噛み砕き、それを足掛かりに自分自身の過去に行き詰まった経験・思考に結びつけ、いい方向に導いていったり、現状の課題に応用していったりして初めて「フロー状態に入る方法」が実感できるのではないだろうか。
そして前述したこのプロセスこそ「僕がフロー状態に入る方法」なのだ。
冒険→対話→思考 このサイクルを止めないうちは、フロー状態に入る時間や回数を増やしていけることが分かった。
そのプロセスをここに記したいと思う。
冒険:直感を信じて、運命の波に身を委ね、思考が足を止めてしまう前に一歩を踏み出す
衝動は雷のように突然落ちてくるものだけれど、その根底には必ず衝動につながる経験がある。その人の一生はこの世に生を受けた瞬間から、途切れることなく続いているわけで、衝動のきっかけは蓄積され続けている。きっとそれは精神のどこかに、身体で感じた記憶と一緒に残ってる。
だからビビッとくる感覚に間違いはないと思うし、間違いにしたくない。その瞬間に心が動いたら、損得で考える暇も与えないくらいのスピードで一歩を踏み出す。
直感が動いた時だけは、やらなきゃいけないことよりもやりたいことを優先している。
もちろん現実は後から理想とのギャップ(得てしてお金と時間であることが多い)を取り立てに来るんだけどね。
対話:偶然の音楽に瞬間瞬間、全身全霊でセッションする
冒険に飛び込んだ中で、僕が常に大事にしていることは対話だ。会話や議論ではなく対話をしたい。
対話が、会話や議論などと言った言葉を交わす営みにおいて相異なる点は
「お互いのこれまでの経験から得てきた思考をぶつけ合い、新しい経験を紡ぐことで思考を広げること」であると思っている。
会話はいわばライブである。一方的な演奏は面白い、つまらないに関わらず、発表会の要素が大きくなってしまうからだ。
議論はいわばコンクールである。相手の出方を伺い、自分の経験という武器を駆使してさらなる高みへ行くのは、とても独りよがりだ。議論をしている間、永遠に勝負は続き、勝利であれ敗北であれ、どちらにせよ待っているのは孤独に他ならない。
対話はいわばジャズである。未知な要素に対して、一々向き合えているかどうか。他人とのセッション(対話)の中で、より良い音楽を奏でることができるか。
冒険の最中はいつもインプットとアウトプットの繰り返しだ。瞬間瞬間で言葉は過ぎ去り、止まってる暇はない。
思考:冒険の終わりは静寂に包まれる、立つ鳥跡を濁さずでベクトリはゆっくりと内に向けてゆく
冒険の始まりも、もちろん興奮するのだが、帰路の興奮はその比じゃない。
トリハダがプツプツと湧き立ち、溢れ出る笑顔が抑えられなくなるほどの興奮が、心の奥底からグウと確かな重さを持って込み上げてくる。
ここで気をつけなければいけないのが、その快感に甘んじないことだ。熱に浮かされない事だ。
思考を深める作業はただでさえ静けさが大事なのに、静かな作業なので、その温度差の違いによって進まないことが大半である。退屈だしね。
しかし、冒険・対話によって全身で感じた感覚を言語化する作業が一番重要なのはいうまでもないだろう。
実際に人間が成長するのは思考なしではあり得ない。次の冒険の準備期間、既知なものを広げ、未知なものに触れる面積を広げる作業なしでは、本当の意味での自分の中の器を深め、広げる事はできない。
誠実に向き合い、感謝を忘れず、また会える日を願い別れ。
過ぎ去った嵐が残していった静寂の中で、ゆっくりと自らと向き合う。
そして次の冒険、旅に備えて、日々を大切に過ごしていくのだ。
冒険:直感を信じて、運命の波に身を委ね、思考が足を止めてしまう前に一歩を踏み出す
対話:偶然の音楽に瞬間瞬間、全身全霊でセッションする
思考:冒険の終わりは静寂に包まれる、立つ鳥跡を濁さずでベクトリはゆっくりと内に向けてゆく
以上が現時点での、僕がフローに入る方法である。単に「自分のために書きました」だけでなく、誰かの何かのきっかけになればと思い、拙い文章ではありましたが(抽象度が高いしポエティックだからうっとおしいよね)まとめてみました。
これを書くきっかけも、冒険から始まっています。noteは中々下書きだけで終わってしまうけど、清書の重みはやっぱり大きいですね。ここにも向き合っていかなきゃなあ。
最後まで読んでくれた方、どうも有難うございました。
どこかで、ご縁があれば。また。
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