旧優生保護法訴訟の最高裁判決について思うこと
西澤です。
昨日、旧優生保護法訴訟の最高裁判決が出て、
結果は原告側の勝訴となり、
当時の旧優生保護法は違法であると結論づけられた形になりました。
私は中退したものの一応法学部学生だったので、
学歴こそ半端者ですがこういうニュースには関心があります。
また、こういった賛否の出るトピックに関しては
意識的に目を向けてしまいます。
なぜなら、僕の考えとして、『正解』は人によって違うし、
様々なグラデーションの中で自分の意見を持つことが大事だと思っているからです。
今日はこの話題について、
現実的な部分や国民感情にプラスして
個人的な意見を述べさせていただければと思います。
中にはシビアな意見も含まれるので、
優生保護思想や障がいの有無に関するトピックで
気分の害される方はページを閉じていただいた方が良いかもしれません。
優生保護について、当時と現在のギャップ
優生保護とは簡単に言うと
「優秀な子孫を残す・維持する」
逆に言えば
「優秀でない子孫は断ち切る」
という考え方になります。
そして今回の旧優生保護法訴訟の問題となっているのは、
当時、旧優生保護法に基づいて強制的に中絶をされた女性がいたということです。
(当時把握してるだけでも2万5千人以上いたとされる)
こういう表現だけでも結構シビアだなと思われるのですが、
当時は現代のような『個性を大事にする』
という考え方が浸透しておらず、
どちらかといえば『個性よりも集団』
「周りに迷惑をかけない」ことを大事にされてきた価値観でした。
30代の私は、子どもの頃は
まだまだそういう風習があったので理解できますが、
今の10〜20代の子たちはあまり馴染みがないかもしれません。
優生保護思想に関する賛否
現在の価値観からすると、
「優勢保護なんてとんでもない」
という意見が大半のように見えますが、
実は現実問題そんな単純ではなく、
賛否両方あります。
まず割とイメージしやすい優生保護思想を否定する立場で言えば
・知能指数や障がいの有無によって中絶を強要されることは許されない。
・そもそも差別が良くない。
・どんな人も『個性』を尊重するべきだ。憲法にもそう書いてる!
って感じですね。
そして、優生保護思想に賛成する意見ももちろんあります。
・障がいは遺伝するものもある。リスクを分かっていながら子を産むのは、その子どもにとっても不幸なことじゃないか?
・社会的弱者同士で生まれた子どもの面倒が見れないとなった時、その面倒は誰が見るのか?
という感じです。
当事者にならないと分かりにくいこともある。
優生保護思想による賛否は、
実際のところその当事者にならないと分かりにくいことも多いです。
実際、優生保護思想に割と賛成している方々は、そういったリアリティを体験していることもあるでしょう。
例えば、私はある就労支援事業所のコンサルとして業務をしているのですが、実際問題として、障がい者に関わる機会のあるコミュニティと、障がい者の存在を忘れがちな都会オフィスで働くギャップは中に入ってみないとなかなか分かりません。
全国的には就労支援事務所の多い地域が存在します。
そして、そういうエリアで就労されている利用者の方々は
様々な背景を持っていることが多いです。
これは一例ですが、
・親も障がいを持っており、利用者も数字の計算などが苦手で就労。
・両親に障がいあり。利用者自身に障がいは見当たらなかったが、父親によるDVにより大人になって統合失調を発症。
など、話を聞いてみるとそういう背景があり、置かれた状況の中で就労支援を選択した方も多いです。
もちろん、そうだからと言って優生保護が認められて良い理由にもなりません。
今回の訴訟の結果について
そして今回の訴訟の結果についてですが、
まず結論から言うと僕は原告側の勝利で良かったなと思います。
ポイントとしては
①当時の現状に照らし合わせたとしても、旧優生保護法は問題があると思っている。
②優生保護思想の濫用(らんよう)が懸念される。
③法律は、過去を認めながらアプデすることが難しい性質がある。
の3点だと思います。
①当時の現状に照らし合わせたとしても、旧優生保護法は問題があると思っている。
まず、当時どれだけ『個性よりも集団』『人様に迷惑をかけない』という思想が先行していたとしても、やはり旧優生保護法には問題があるんじゃないかと思います。
まず法律的に基づいていたとは言え、強制的に不妊手術をするという手法もあまりに動物的かなと思います。
(言い方がどうしても悪くなるのでそこは勘弁してほしいのですが)仮に手術という物理的な強制不妊を行わなくても、一定の生活基準を満たす&今後のリスクについて十分なカウンセリングを受け、一定の理解力があるなどレベルを設けて実質的に子孫を作らせないという方法だってあります。
②優生保護思想の濫用(らんよう)が懸念される。
そもそも優生保護思想による明確な基準は存在しません。
基本的には医師の判断によるかもしれませんが、当時から親や近隣の方々の判断で強制不妊を強いられる人々がいました。
これはある意味、単なる障がいや社会的弱者のみならず『自分にとって都合の悪い人物を排除する』という目的で優生保護思想を濫用することにも繋がりかねません。
実際、第二次世界大戦下においてユダヤ人迫害(いわゆるホロコースト)が行われました。この悲惨な歴史を招いた元々の理由も、ナチスによる優生思想によるものです。
ゲルマン人が優秀で、他の人種は劣り、そしてユダヤ人はドイツを陥れているという政治的策略にこの優生思想が使われたのです。
今から約80年前の話ですが、旧優生保護法が施行されていた当時においてはホロコーストはもっと記憶に新しい問題であり、そういう意味でも優生思想に基づく法律とその手段に関して、当時の状況においても『待った』をかける声があっても良かったのではないか?と思いたいです。
③法律は、過去を認めながらアプデすることが難しい性質がある。
最後のポイントは個人的な意見が強めなのですが、
まず人の価値観というものは数十年単位ではそんなに変わらないものの、
100年とか数百年単位で見るとガラっと変わってます。
戦時中は男子はお国のために散ることを良しとされていました。
当時10歳ほどだった、僕のおじいちゃんにも生前この話をよく聞いていましたが、
『戦争中は当たり前に兵隊さんになって◯ぬと思ってたからな〜』
と、淡々と話していたことにカルチャーショックを受けました。
でもこれが当時の少年たちの当たり前の価値観だったのです。
もっと遡って、戦国時代は何か重罪で問われたり、国を落とされたりすると
その当事者(犯罪者または将軍)だけでなく家族もろとも◯刑が当たり前でした。
妻、子ども諸共です。
真田丸で有名な真田幸村は、最後の合戦を前に妻と子どもを伊達政宗のもとで匿ってもらうようお願いをしたとも言われています。
現在で言うと、盗みを働いたり、ビジネスで失敗して倒産したりすると家族全員◯刑って感じです。
現代だと、どれだけ相手を憎んでいたり危険視していても家族にまでは手を出しませんよね?!手を出せば当然捕まります。
でもこれも当時の価値観なのです。
つまり、価値観はこの数百年でコロコロ変わってきているのですが、
法律というか人間・価値観というのは、やはり過去を否定しないと
次の価値観にアップデートしにくいのだと思います。
別にアップデートするだけなら、スマホのアプリをアプデするように、否定もクソもないのですが、法律や価値観となるとそうはいかないです。
過去の法律や価値観によって発生した事件を『過ち』として反省し、時代に合った価値観に繋げていく。
このようにして順応していく生き物なんだと思います。
コラム:未来の価値観はどうなるの?
今の価値観と未来の価値観も当然変わっていくでしょう。
もしかしたら優生保護思想が肯定的に見られる可能性も全くないとは言いきれません。
いつの日かリリーフランキーさんが書いた小説で、
「万引きしようがセクハラしようが、どんな軽犯罪も全て死刑!」
という価値観が当たり前の世界が描かれているショートストーリーを読みましたが、あれは面白かったですね。
僕は俯瞰するのが好きで、自分を客観的に見るのも癖でついついしちゃいますが、時代を俯瞰するのもまた好きですね。
結論
上述した通り、今回の判決になってよかったなと個人的には思っています。
長年辛い思いをされてきた原告の方々も少し気が晴れたなら嬉しいです。
ただ、現実的な問題はやはりグラデーションとして残ります。
全て白黒で解決できる世の中ではないので、
広く俯瞰しながら、どのような意見を持ち、選択していくのか?
これが情報過多の現代で生きていく我々には必要かなと思います。
今日本当に文章長くなりすぎましたが
ここまで読んでいただき本当にありがとうございますm(__)m
次はもっと優しい記事にします。笑
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