『ゴースト・オブ・ツシマ』 音楽をめぐる断章
異なる文化圏から来た人々が「和」の世界観にこだわって作り上げた『ゴースト・オブ・ツシマ』は、和洋の文化が絶妙に混ざり合っている作品だ。意識的にそうした部分もあれば意識せずそうなった部分もあるのだろうが、日本文化を尊重しつつ、他文化圏のプレイヤーも置き去りにしないバランスになっていて(たとえば日本語版でいう「和歌」が英語版では伝わりやすさ優先で「ハイク」と呼称されていることなど)、とても興味深い。そんな絶妙なバランスをもっともよく体現しているのが、英日米の3ヵ国で行われたレコーディングに日本、モンゴル、韓国、タイ、アメリカ、イギリス、スコットランド、イタリア、コロンビアの関係者らが参加した『ツシマ』の音楽だろう。以下、日本語媒体では案外取り上げられていない作曲者や関係者の証言を、2020〜2021年頃の英語記事や動画、音声から抜粋、再構成してまとめる。
※メイン作曲者のひとりである梅林茂氏に関してはなぜか、本当になぜか『ツシマ』絡みの記事類がほぼ皆無だったため、SIEの音楽部門スタッフや、イラン・エシュケリ氏の発言内容が中心になっていることをお断りしておく
◆作曲家の選定プロセス
SIEの音楽プロデューサーであるピーター・スカトゥーロがGDCのプレゼンテーション等で語ったところによると、Sucker Punchがゲームの音楽についてまず重視していたのは、基本設定にふさわしい「本物の日本らしさ」。当初からイメージしていたのも、ミニマルな余白を活かす(それも音と音の間隔がかなりまばらであってもかまわないという)純和風スタイルの音楽だった。初ミーティングではSucker Punchのクリエイティブ・ディレクターであるネイト・フォックスらから、ストーリーのプロットやゲーム概要のプレゼンを受けたという。
「情緒的な要素がふんだんにあるとわかったのは、大きな収穫でした。もうひとつわかったのは、ゲームのビジュアルや背景などの環境全般がどのようなものになるか。実際に遊んだ方はおわかりでしょうが、世にも美しい世界なんですよね。それでいて、いくらか様式化された部分もある。脳裏に残ったその印象をもとに考えたんです。ああいう世界に相応しい音楽はどういうものだろう、と」
大がかりなバトルシーンや壮大な世界観を支える音楽も書ける候補としてまず名前があがったのが、梅林茂だった。日本では羽生結弦がプログラムに採用した『陰陽師』の音楽の作曲者としても名高い梅林は、80年代にニューウェーブバンド・EXとしてデビュー。その後映像音楽分野での活躍を始め、『夢二』、『雲霧仁左衛門』、『友よ、静かに瞑れ』、『花様年華』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・上海』など、日本のテレビドラマや邦画のみならず、洋画、香港映画、中国映画、ブラジル映画など海外作品も多数手がけてきた。『ツシマ』関連記事では、金城武とチャン・ツィイー、アンディ・ラウが共演した『LOVERS』(英題『House Of Flying Daggers』)の音楽が言及されることが多いようである。
「ウメと呼ばれる方を好む方なのでそう呼ばせてもらいますが、一連の申し分ない作品群や日本映画、中国映画に豊かな経験をお持ちであることを考えると、ウメに関しては当然の人選だったと言えるでしょう。『ゴースト』に実に美しい音楽を提供してくれました」
◆梅林茂担当パート「対馬組曲」
梅林への依頼は、時期的には開発中のイベントシーン等もまだなく、ストーリーもあまり固まっていない段階で出したものらしい。SIEの音楽エディターで『インファマス 2』時代からSucker Punchのプロジェクトに関わってきたアンドリュー・ブレーシュによれば、
「音響ディレクターのブラッドリー・メイヤーにクリエイティブ・ディレクターのジェイソン・コネル、ネイト・フォックスと集まって、補足説明つきのアートワークといくつかキーワードをまとめ、ウメに組曲を作ってもらうための資料にしたんです。ゲームのスコアに使える音の範囲を示すキーワードになったと思います」
そのキーワードとは、戦いから離れての探索中をイメージした①Serenity(のどやか)と②Sanctuary(聖域)、仁が追われる身となる「離之段」を想定した③Exile(追放)、蒙古軍や戦乱にまつわる④Occupation(占領)、超常的なホラー要素を念頭においた⑤Haunting(戦慄)の5つ。梅林茂から返ってきた総計45分におよぶ組曲は、イベントシーン以外にも探索中BGMやミニイベント用の音素材としても使用された。
以下は2020年の『ツシマ』発売に先立ち、梅林本人がPlayStation.blogに寄せたコメントである。
◆ふたり目の作曲家 イラン・エシュケリ
一方でゲームの規模はあまりに大きく、コンテンツ量も膨大だった。梅林ひとりではカバーしきれない分を補うべく、ふたり目の作曲家として選ばれたのがイラン・エシュケリである。「音楽で物語を語る」ことへの興味の強さから、映画(『キックアス』などマシュー・ヴォーン作品多し)、ドラマ、ドキュメンタリー(リチャード・アッテンボロー作品多し)、バレエ、演劇、展覧会、ファッションショーと、様々なジャンルへ音楽を提供してきたイランだが、SONYの音楽部門とSucker Punchがもっとも興味をひかれた過去作は、ハリウッド式サムライ映画『47 Ronin』や『ニンジャ・アサシン』でもなければ、その時点で唯一手がけていたゲーム作品『ザ・シムズ4』でもなかった。
「Sucker PunchとPlayStationの音楽チームが私に声をかけたのは、シェイクスピア劇を映画化した『英雄の証明』(原題『コリオレイナス』、2011年作)の音楽が気に入ったからだったんです。監督と主演はレイフ・ファインズで、リスナーが聞いたこともないような、普通とは違う音楽を作りあげることになった作品なんですよね。それまで私に対して『英雄の証明』の話をしてきた人なんてほぼいなかったのに、彼らはあのスコアが本当に好きなんです、と言ってきたわけです。私としては、あんなゴリゴリのアートシアター系映画をなんで知ってるんだろう? 大ヒットゲームを作ろうとしてるのに、この人たち『英雄の証明』に興味をもったのか、という気持ちでした。ミーティングへ出向く気持ちになったのもそれが理由なんです。あの作品が気になったのなら話を伺いましょう、とね」
しかしUKからSucker Punchの所在地・シアトルまで出かけた時点では、必ずしも乗り気ではなかったという。
「包み隠さず言ってしまえば、完全に乗り気だったわけではありません。主な理由は、暴力的な映画やゲームが苦手だったから。やたらとものが爆発したり、ただ人を殺すだけのものはやりたくないんです。サムライのゲームというからにはきっと人を斬って斬って斬りまくるような話なんだろうな、と身構えてたんですよ。そんな作品だとしたらちょっと扱いに困ってしまうんです。道義的に抵抗があるというより、音楽的、また芸術的なとっかかりをどこに見出せばいいのかがわからないものですから。ミーティングでは画像やビデオ、俳優の演技の様子も見せてもらいつつ、ストーリーボードによるプレゼンテーションを受けまして、話の全容を説明してもらったんですが──ひととおり聞き終わる頃にはもう、すっかり感服してましたね。何とも力強く、感情を揺さぶられるストーリーでした。確かに戦闘パートは多めですが、作品の核は別のところにある。大切な人々を救うため、それまでの人生で教え込まれてきた伝統やモラルのすべてに背を向けざるを得なくなった若者の話だったんです。仁は絶えることのない内的葛藤を抱えたキャラクター。そういう心のせめぎあいこそが、あらゆる面白味や複雑さ、奥深さの根源になるんですよね。創作意欲をかきたてられました」
◆補足:『英雄の証明』の音楽について
また『英雄の証明』を知っていた音楽ジャーナリストとは、こんな話もしている。
──Sucker Punch側は『英雄の証明』のスコアのどこが気に入ったかにも触れてましたか? 私も今回のインタビューに備えてサントラを聴き直していたんですが、パーカッションの使い方ひとつとってもあの作品ありきの人選だったんだろうな、と完全に納得がいきましたよ。
「あのスコアを気に入った人には『ゴースト』も気に入ってもらえたんですよね。本当に極端な音楽なので、私自身も聴き直していて楽しい作品なんです。私とレイフ、音楽プロデューサーのスティーヴ・マクラーリンで早々に決めたのは、リバーブの不使用でした。だから一切、ごまかしがきかないんですよ。サウンドも凝縮されていて、挑発的でもある。リバーブがまったくない音楽を聴く機会というのも普通はないですよね。『ゴースト』のスコアはあそこまで極端ではないにしても、確かに先方の決め手になったのは、パーカッションの使い方と音楽的な方針でした。『英雄の証明』では普通と違う、思いもよらないようなヴァイオリンのサウンドを大量に作ったんですが、『ゴースト』にもそれを多用してるんです。アクの強さや妥協のなさといった方針は『ゴースト』にも活かされていますし、リアルさや生々しさを醸し出すもとになっていると思う。声をかけられた当初に興味を引かれたのも、それが理由だったんですよ。数百万ドル規模の大作ゲームを作るのに、あんなニッチなアート映画が引っかかったの? と、思い切ったチョイスに感心したんですよね。斬新で面白いアイデアへの挑戦を恐れない姿勢が伺えました」
シェイクスピア劇の中でも比較的ニッチな作品の映画版スコアと、侍を主人公としたオープンワールドゲームのスコアが、イランのディスコグラフィー上ではいわば血縁関係にあるというのは、非常に興味深い話であった。
◆ふたりの作曲家の役割分担
梅林とは過去『ハンニバル・ライジング』の音楽を共作したこともあるイランから「ウメとまた一緒に働けるのはとても嬉しいんだけれど、変に競合することなく、双方がハッピーな形でのコラボレーションにしてもらいたい」という要望があったこともあり、音楽制作は主に分業制で進行した。おおまかな役割分担としては、先行する梅林の「組曲」が多目的スコアとして音楽的な世界観の基調をなし、イラン担当パートはキャラクターの心の動きにより焦点をあてるというもの。SONY内の音楽チームでアレンジャーを務めたビル・ヘムスタパットは、以下のように要約している。
「一方のイランが大きな心の揺れをテーマにした音楽だとしたら、もう一方のウメは余白を重んじる日本らしいサウンドの音楽。細部まで描き込まれた人物画と、印象派の手法で描かれた水彩画の違いという風に考えて下さい」
さらに言えば、黒澤映画に対するスタンスにも違いがありそうだ。小茂田浜の戦いや鑓川包囲戦を彩った梅林の「Shurai」や「Kodoku」は早川文雄風のフレージングを取り入れ、音楽面で『ツシマ』の黒澤リスペクト要素を担う形になっているが、一方のイランは意図的に「黒澤映画風」を避けていたとのことである。
イラン「結局はどうしても元音楽のパスティーシュになってしまったりするので、私としては元ネタありの映画音楽はあまり好みではないんですよ。もしクライアントに『この人の音楽なんていいと思うんだけど』と言われたら、『なるほど。その人は誰から影響されてるんです?』と返しますね。やるならそういう切り口でです。たとえばハリウッドの大作映画むけにシンフォニーのスコアを書く場合、私はホルストやワーグナーの仕事をにらみながら作業するのが常なんですよ。偉大なクラシック音楽家の中でもより現代に近い世代で、映像音楽を洗練させる言語やハーモニーを作り出した先駆者たちですね。源流の方へ遡って考えるんです」
◆リサーチ期間に学んだこと
プロジェクトへの参加を決めたイランがまず着手したのは、日本の伝統音楽のリサーチだった。20代の頃に合気道を習った経験があったり、何度か日本をモチーフとした作品に携わっていたりと、それまでも日本文化との接点が皆無だったわけではない。しかし、Sucker Punchが考える「本物の日本らしさ」の基準は、尋常でなく高かった。
「開発チームは実際に対馬まで行って、雑草の表現がより本物らしくなるよう現地の葉っぱまで取材してたんですよ。執念に取り憑かれてました。でも心底、感服したんですよね。自分もそれくらいのことをしなくては、と刺激を受けました」
ロンドン大学で日本古典音楽を研究するデヴィッド・ヒューズ博士や和楽器奏者らに教えを請い(とくに奏者にはみっちり取材をしたらしい)、文献を読み漁り、対馬民謡や雅楽、声明(しょうみょう)などの宗教音楽も聴いて猛勉強した数ヶ月間を、イランはこう振り返る。
「裁量と時間と予算を与えられた上でここまで知識を蓄え、下調べに打ち込んだのは初めてのことでした。私は超のつくオタク体質ですから、深掘りするのも勉強するのも本当に楽しませてもらいましたよ。SONYのチームには感謝しています」
「『ゴースト』の音楽には、開発元のSucker Punchが目指していたような本物の日本らしさを出したかったんです。それはつまり、日本の伝統音楽の仕組みを理解するという難題に取り組むこと。最初はどんな音調や音階が使われているのか、楽器はどのようなものがあるのか、曲はどう書くのかなどのリサーチから入りました。でもそのうちに、大それたことに手を出してしまったのではないかという気にもなってきたんですよね。容易に学びきれるような世界ではなかったんです。もちろん、その時点でわかっていたことも氷山の一角で、私は自分がいかに無知か自覚できるだけの知識をかじったに過ぎなかったわけですが。そこで次は武満徹のような、ヨーロッパスタイルで音楽を作った日本の作曲家たちに目を向けてみました。武満の仕事を調べて興味深かったのは──彼本人も、洋楽器と和楽器では伝統に違いがありすぎてふたつを一緒にした曲を書くのは不可能だ、と語っているんですけど──音楽を聴いてみると確かに、西洋のクラシック音楽パートと日本の伝統音楽パートを交互に使っていて、ふたつが合わさることはあまりないんですよ」
こうしたリサーチで得た知識は、イランの担当パートの随所で活かされることになった。
「楽曲の大部分で、13世紀当時の対馬にも存在したであろう民謡や、対馬の人々が耳にしていてもおかしくない仏僧のチャント、日本式の5音音階を使って書いたメロディーを使っています。また日本の古典音楽には西洋にあるような垂直的なコードが存在しないんですが、大作ゲームらしいスケール感を出すにはやはり、シンフォニーを書かないわけにもいきません。なので当時の日本で流行っていた5音音階からなるコードをいくつも作って、それらを作曲に使うためのシステムも考案しました。あらゆるインスピレーションが、日本の伝統音楽のインストゥルメンテーションやハーモニーを理解する試みに立脚しているんです。メロディーは和楽器で奏でられていなかったとしても、5音音階に従って作ってあります」
◆薩摩琵琶と『平家物語』
和楽器の中でもイランがとくに魅力を感じたのは、「物語としての音楽」を追求してきた作曲家に似つかわしいことに琵琶、とくに薩摩琵琶であった。
「新しく発見した楽器のうち興味がつきなかったのは、琵琶ですね。いろんな意味で戦乱の色合いが濃い楽器なんですよ。13世紀中ではなくそれから200年ほど後のことになりますが、侍がたしなみとして習っていたのも薩摩琵琶で、音色に合わせて武勇伝を語っていたりしたんです。しかし武士文化の衰退とともに廃れてゆき、今となってはわずかな数の名手しか存在していません。そのひとりが、スペイン在住の琵琶奏者である上田純子さんでした」
上田純子は「Forgotten Song」にも天台声明「九條錫杖」を提供しているが、琵琶奏者としてのルーツは薩摩琵琶を現代的に発展させた鶴田流。師匠である創始者・鶴田錦史は、イランも参考にした武満徹の代表作「ノヴェンバー・ステップス」に参加したことでも名高く、上田自身も武満による琵琶曲を専門としているという。イランはSkype経由で彼女に取材を重ね、ついにはロンドンへ招いて対面。実演込みで直接レクチャーを受ける機会を得た。「ファンになった」と言うだけあって、関連インタビューでのイランの薩摩琵琶語りは熱量高めだ。
「その時演奏してもらったのは『平家物語』からの抜粋でした。日本では学校で習わない人がいないぐらいの有名な部分なんです。薩摩琵琶は弾き方も戦っているみたいで、扇ぐらいのサイズの巨大ピック(バチ)を勢いよく弦に叩きつけて、グワーン! と大きな音を鳴らしたりするんですよ。で、それでピックスクラッチしたりもする。本当に驚異的な楽器なんです」
(一度なぞ「ロックンロールでしょ!?」とも語っていた)
当時ロンドンでレコーディングされた上田のパフォーマンスは、「Heart of the Jito」のイントロにも使用されている。イランの回想によると曲目は「敦盛」、その前歌部分にあたる「祇園精舎」であったようだ(近代琵琶の構成は出だしの「前歌」からメインの「本歌」へ移る形になっており、「祇園精舎」の「前歌」後には「敦盛」や「那須与一」が続くことが多い。上田の公式ページ上の動画を確認すると、イントロのメロディー自体は「敦盛」も「義経」も同じ模様である)。
実際のゲームでは仁がゆっくりと刀を抜き放つプロローグ中のシーンに採用されているのだが、曲タイトルは物語終盤のメインクエスト「地頭の心」と同名。源氏の武将・熊谷直実が自分の息子と同年代の少年を討たねばならなくなって葛藤する、という「敦盛」の筋に照らせば、何やら意味ありげな選曲に見えてしまうところだ。ただし、上田のイントロは「Heart of the Jito」全体の主題として機能しているだけでなく、「Lord Shimura」でも尺八によるメロディーラインの大元になっていることから、イランの中では武士の理念を体現する志村というキャラクターと分かちがたく結びついたフレーズになっているのではないだろうか。他のサントラ収録曲や採用まで至らなかった未使用曲の中にも、上田の演奏からインスパイアされたパートが多数存在するとのことだ。
ちなみに大学時代から音楽と並行して文学も学んでいたイランは、「日本文化において『イーリアス』や『オデュッセイア』と類似の重みを有する物語である『平家物語』」にも、もちろん目を通していたという。
◆創作上の難所と「ルール破り」の意味
──確か以前、境井仁と志村殿のラストバトルの音楽(「Sacrifice of Tradition」)をつける際にはワクワクしたという話をしておられたと思いますが。
「正直、ワクワクはしていなかったですね。恐れおののいてました。ストーリーの終わりまで来て、『こんな怒涛の展開ってありなのか、感動的にもほどがあるぞ。まさかこう来るとは』と思いましたから。もう20年この業界に身を置いてきたのにですよ? 自分でもどうかと思うんですが、映画は普段から何本も見ているので、話の展開はだいたい読めるつもりでいたんです。それでもあのラストは予想外だった。Sucker Punchの人たちにも『ここは絶対、プレイヤーの目が涙ぐんでなきゃおかしいよね。涙で前が見えなくなったプレイヤーが目元を拭わずにはいられなくなって、このバトルの初回は負けてしまうぐらいであって欲しい』という話をしたぐらいだったんです。でも、そこで矛先が自分に向いたことに気づきました。アクションシーンの音楽を書かなきゃいけないのに、同時に泣きの音楽にもしなきゃならないじゃないか、どうすればいいんだ? と。やりがいはありましたが、大難題でした」
──曲をつけるにあたってとくにワクワクした、あるいは戦々恐々としていたシーンというのは、他にもありますか?
「視覚的な部分で苦労がありましたね。私には共感覚がありまして、音楽と色がガッチリ結びついているんです。何から何まで色分けされていて、あるものが特定の色になっていないと気になって仕方ない性分なんですよ。私の中では弦楽器は濃淡の異なる青、木管楽器は濃淡の異なる緑、金管楽器は濃淡の異なる赤に見える。美的感覚から選んでいるわけではなくて、ただそういう風になっているんです。そこはどうしても動かしがたい部分なので、いくつかのシーンでは色彩にかなり影響されて、大変でした。ただ、自分の創造性のそういう側面も探ってみることができたのは、あまり機会もないことですし本当に楽しかったですね。Sucker PunchやPlayStationの皆さんとも話したことなんですが、彼らはその観点からのアプローチにも賛同してくれました。本当に珍しいことなんですよ。自分で個人的にやる作品でもない限り、普段はないことですから」
──素晴らしいですね。私はまだ2度目の通しプレイの途中なんですが、初回はラストで志村殿を助命したんです。志村を助ける場合と命をとる場合とで、違うバージョンの音楽を作られたんですか?
「ええ、それはもう。ただバトル全体の音楽ではなく、最後の部分だけですが。志村を助命した人、多かったでしょうね。志村は変化を受け付けない古い人間で、真の意味で社会を変えるためには退いてもらわなければならない。本当によくできた物語というのは──シェイクスピア作品が今に通ずる理由でもありますが──時代を超えたテーマを取り扱っているんですよね。今の時代に見ても何かしら、心に響く部分がある。このゲームにしてもそうでしょ。旧世代のあり方と、新世代のあり方の衝突。若者世代の革命の物語であって、今の時代を生きる我々もまた、そのただ中にいるんですから。どこかの段階で古い世代は去り、新しい世代が主役になりかわる。新しいものを支持しないならば、古い世代は引きずり降ろされなきゃならない」
音楽制作のアプローチとして「メロディーもコードも、日本の伝統的な音階のみを使って作る」など様々なルールを課していたイランだが、あえてそれを破っている部分もある。その理由は、たまのルール破りが生む劇的な効果(「Sacrifice of Tradition」でいえば後半にくる大きな転調)を狙う以外に、伝統と革新の衝突という物語上のテーマを反映するためでもあったそうだ。
「音楽的なアプローチは極力伝統にのっとった形で行うけれども、ルールを破っても差し支えないところでは思い切りよく破ろうと心がけたのは、そのためなんです。どんな世代にもそれぞれの革命があって、『ゴースト』にしてもそこのところを見据えた作りになっていると思うんですよ」
◆『ツシマ』での仕事を振り返って
──『ゴースト・オブ・ツシマ』は、作曲家としてのあなたにとって、どんな新境地を切り開く作品になりましたか?
「歴史ある文化の伝統的な手法にのっとって音楽を作ろうという試みは、本当に難しいけれどやりがいがありました。まあ途中、ものすごい勘違いをしでかしたことも一度ならずあるんですが、正しい方向へ導いてくれる人たちに囲まれていたおかげで事なきを得ました。そういう勘違いのうち笑える類のものといえば、和太鼓を使った時にやらかしたことがありましたね。和太鼓の演奏には掛け声が使われていて──とくに意味らしい意味はない掛け声なんですが──リズムを学ぶ時や、任意のタイミングでとあるパートから別のパートへ移る時に使うものなんです。私はそれをある曲のチャントに採用したんですけど、リズム的にも音の響き的にもしっくり来る気がするから、というだけの理由だったんですね。で、日本へ行ってすばらしい和太鼓のアンサンブルをレコーディングしたんですが、その曲のチャント部分にさしかかったとたん、日本の皆さんが文字通り膝から崩れ落ちてしまったんですよ。どうも私が組み合わせて使った2つか3つの音節が、ものすごく不躾な言葉に聞こえてしまったみたいで。皆さん礼節をわきまえた方々だったので具体的な意味は教えてくれなかったんですが、その部分は変更を余儀なくされました。そういう落とし穴が、ありとあらゆる形であったんですよね。ある程度は本格的な日本らしさと敬意をもって和風の曲を書き上げることができるくらいの勉強はしたんです。ただそれも自分がいかに無知か自覚できる程度でしたから、難しかったですね。Sucker Punchのチームはメロディー面でもハッパをかけてくれて、ありがたかったです。私自身も自分を追い込みました。少なく見積もってもゲームに使われた分の2倍くらいの量、書きまくりましたからね」
◆未使用分の行方とテーマ曲誕生秘話
──ゲームには使われなかった曲もかなりの量書いたということですが、 #ReleaseTheEshkeriCut(エシュケリ・カットを公開せよ)が実現するのはいつになりますか? 将来的に我々が耳にすることはあるんでしょうか?
「それが、レコーディングまでは至らなかったんですよ。唯一その道がひらけるとしたら、アルバムの売り上げが大ヒット級になって、レコードレーベルが未使用の音楽に予算をつける気になった場合ですが、望み薄なんじゃないかな。それよりは、『ゴースト・オブ・ツシマ 2』が出る場合の方がまだ可能性がありそうです。もしかしたら、未使用分のうちの何曲かは復活するかも」
──採用に至らなかった音楽のことは、簡単に吹っ切れるものですか? 気づくとまだ手を入れていたりすることは?
「ええもう、しょっちゅうですよ。あるプロジェクトには合っていなかった音楽も、別のプロジェクトにはしっくり来るかもしれない。ただし吹っ切るにしても、とくに大変ではないですね。キャリアの初期は不採用の曲があると本当に腹が立って、変に気にしたりもしてました。でも、誰に言ってもらった言葉かは思い出せないんですが、制作側が『君の音楽が気に入らなかった』と言ってきた場合、それはこちらの音楽が嫌いだとか、よくなかったとかいう意味ではないらしいんです。向こうは『あなたが書いた曲はこのシーンに合わない、この映画には合ってない』ということを言わんとしているだけで、『あなたの音楽自体が作品としてよくない』という話ではないんだと。だから一応キープしておいて、別のところで使ってます。ただ、思い切って新しいことをやるのも大事ですけどね。変にしがみつかずにいったん傍へ置いて、他のことをやってみるのも。というのも、わけがあるんですよ。『ゴースト・オブ・ツシマ』用に書き下ろした最初の曲のうち、いったん傍に追いやられてから見事返り咲いてメインテーマの座におさまったのが、 The Way of the Ghost だったんです。だから何がどう転ぶか、わかったものじゃないですよね」
◆『ツシマ』の今後について
──エンディングへ行き着くまでに境井仁は、完全に「冥人」というものを引き受ける覚悟をしますよね。それは、今後の続編でまったく新しいサウンドスケープが拓けるきっかけになるのでしょうか?
「そこはどうしても憶測の域を出ない話になりまして、私にもまったくわかりません。関係者の誰もまだ続編については云々していないんですけど、やりようはいくらでもあるんじゃないかな。ゲームの舞台の範囲を拡げるのもありですし。史実では対馬への2度目の侵攻もありましたから、それを軸にするのかも。しかし面白いことに私、諸々の理由があって基本、続編の音楽というものはやらない方なんですよ。『ジョニー・イングリッシュ』の続編は担当しましたが、あのスコアはジェームズ・ボンドシリーズのパスティーシュのようなものですしね。一度音楽をつけたら、それ以上言うようなことって何かあるのかな? という気持ちになってしまうんです。本家の方のボンド映画の音楽もぜひ担当してみたいですが、一度で十分でしょうね。やってみたいという目標が達成できたら、それで満足なんです。あくまで本当の自分の音楽とは違う、その作品のための音楽ですから。でも『ゴースト』に関しては話が違っていて、創作上の当事者意識があるんですよ。私の担当部分の曲には本当の私らしさが出ているし、ウメ(梅林茂)の担当部分にしても、明らかにウメらしさがある。ですから、またいつでもツシマ世界をもっと先まで探求してみたいと思っています」
◆ゲーム音楽とビッグマック
さまざまなジャンルの作品に音楽を提供してきたイランから見て、ゲーム音楽ならではの要素にはどのようなものがあったのだろう?
「ゲーム音楽を手がける時は、スクリーンにかぶりついてなくても大部分の作業をこなせるのがいいところなんですよね。作品の感じやストーリーがわかれば助かるので、たとえば映画の場合なら脚本にも目を通します。大変なのは、キャラクターの内面を掘り下げること。私の場合は心の中でキャラクターと向き合い、友達になって人となりを知り、彼らの心の旅路を音楽で表現するのが好きなんです。だからいつもスクリーン前にいなきゃならない必要は感じないんですよ」
「どんなジャンルでも心情の移り変わりを音楽で物語るという意味では同じ仕事をしているんですが、ゲームならではの課題は、やはりストーリーが一本道ではないという点です。ゲームのプレイ中聞こえてくる音楽は一本道で、時間の経過に従い流れていきますが、別の次元ではもっと激しさのある音楽になってるかもしれないわけです。それか、展開次第ではより穏やかな音楽か。なんでそんなことが可能になるのかというと、複数のトラックを同時に流す仕組みになっているからなんですよね。時によって多めのトラックがかかって激しさが増したり、少なめのトラックがかかって穏やかな調子になったりする。たとえば最初はストリングスだけが聞こえていたところに、後からドラムが入るとか。スクリーン上の出来事に応じ、楽曲全体を通じて常にそういう使い方をされうるのがゲーム音楽なんです。でも、とても面白い問題でもあるんですよね。技術的な課題であると同時に、創作上の課題でもあるから。なぜかというと──ちょっとふざけたたとえ話で恐縮なんですが、ビッグマックを考えてみて欲しいんです。色んな層が折り重なってる中で、どの層もそれなりの持ち味がある。全部一緒に食べてもおいしいけれど、肉の層だけ食べてもまあいけるかも。でも真ん中に挟まってるバンズは、それだけで食べてもいまいち味気ないですよね。音楽でもだいたい同じで、ただ間を埋めるためだけの詰めもの的な部分があるんです。でも、ゲーム音楽ではそれが許されない。そういう部分も独立した使われ方をするかもしれないから。つまり作曲家はひとつのパートもおろそかにせず、気合いを入れて書かなきゃいけないんですよ。全ラインが音楽的で面白味のある音になってなきゃいけないし、全楽器がクールで興味をそそられるようなことをやってないといけない。そこが技術面と創作面にまたがる課題ですね」
「そして作曲家がそういう仕事を出来ていれば、音楽をゲームエンジンに取り込む工程を担当する人たちの作業が楽になるんです。任意にあるひとつの要素以外を全部取り除いても、つまらない音が残ることはなくなりますから」
◆作曲家とゲームの橋渡しをするアレンジャーの仕事
ゲームならではの課題に関する話題が出てきたところで、まさにその後工程を担当したひとりである『ツシマ』のアレンジャー、ビル・ヘムスタパットの話を紹介したい。2018年に公開されたE3トレイラーの音楽制作に関わった(当時はまだ「ウメの書いた曲がいくつか出来上がってる」だけの状態だったという)のを皮切りに2019年からSIEの音楽チームに合流、『冥人奇譚』や壱岐拡張版では作曲も担当した人物だ。タイ出身で、他のゲーム作品としては『God of War: Ragnarok』や『Death Stranding』にも関与。そのかたわら米国やタイの映画、テレビドラマにも音楽を提供している(現在はRiot Games所属)。
まずゲームの発売当時に公開されたご本人の手記から、本編での仕事内容にかかわる部分を抜粋する。
サントラ収録曲のアレンジやオーケストレーションは元より、バトル中、探索中に耳にした追加BGM、また各種トレイラーやCM用音楽に至るまで、『ツシマ』にかかわる音楽をいま我々が聴いている通りの形に整えたのが、彼ら音楽チームなのである。
◆アレンジが目指したもの
ゲームのコンテンツ量が当初の予定より大幅増となり、総プレイ時間も増えることが想定されたため、音楽チームは耳が疲れない音作りにも心を砕くことになった。Sucker Punchが重視していた「没入感あるゲーム体験」の妨げにならないよう、丁寧に調整されたのが探索中の音楽である。
また音楽不足を補いつつ、曲のバラエティに幅をもたせるため、梅林とエシュケリの音楽をもとにアレンジした新たな曲も追加された。ふたりの作曲家の異なる持ち味をひとつの世界に同居させるため、「双方の素材をもとにゲーム内アレンジを作り、境界線をぼやかす」工夫がなされたという。ビル自身があげていた実例は、以下の通り。
こちらの伝承クエストでのボス戦の元曲は、梅林の「対馬組曲」からの「Kodoku」。伝承のバトル曲はどれも作業するのがとても楽しかったそうだ。
こちらは梅林、イシュケリ双方の素材を組み合わせた珍しいアレンジ例になるそうだ。筆者は竜三の裏切りが露見する場面でもイシュケリの「Sacrifice of Tradition」がかっていたことに初めて気づいたのだが、「幼い頃から知る親しい間柄の相手と戦わなければならなくなり、仁の葛藤度がマックスになった時の曲」という用途になっているのだろうか?
「嵐が、来る」トレイラーの音楽は、仁のテーマをよりミニマリスティックに再解釈したもので、ビルとしてもとくに満足がいっている1曲とのこと。太鼓演奏はショウジ・カメダ氏率いるLAのOn Ensemble(のちに『冥人奇譚』の音楽にも参加)
◆和洋の音楽のバランス調整
GDCのプレゼンテーション動画「Scoring the Open World Samurai Epic 'Ghost of Tsushima'」でのビルは、音楽の使い所とそのバランスについても話をしている。
「音楽チームの目標は、余白を活かす和の美意識を踏まえつつ、壮大なストーリーの見せ場もしっかりお届けするという、Sucker Punchの意向を実現することでした。あらゆる面で反映されるよう心がけていたことでもあるんですが、イベントシーンはとくに、そこのところが上手くいった部分なのではないかと自負しています。アプローチとしては日本の伝統音楽からヒントを得て、テンポの自由度をあげてみました。私見ですが、日本の伝統音楽には時間と空間の揺らぎ方に遊びがあって、それが音楽性の大きな部分を占めているように思うんです。静寂を音楽的な装置として使うこともそう。我々はそれをよりマクロなレベルでも取り入れ、あえて音楽を流さない場面を選別するようにしました。特別な瞬間の前に音楽のない部分を作ることは、大きな見せ場を演出する上で音楽を使うことと同じぐらい、きわめて重要なことになったのです」
「日本らしいミニマルなアプローチを使うということは、オーケストラの出番を抑え目にするということでもあります。ゲーム内でオーケストラ音楽ばかりを使っていると、そのうち耳が疲れて音の壁やノイズに聞こえてきてしまう。だからここぞという見せ場のためにとっておき、オーケストラより和楽器奏者のソロを多めに使うことになりました」
その具体例として挙げたのが、伝承クエストの六本刀戦のひとつ。
「尺八と三味線も聞こえますが、音楽的身ぶりは5、6種類ぐらいしか入っていません。わずかな要素でとてつもない緊張感や集中を生む効果がある上に、プレイヤーの皆さんには日本の美意識の世界に浸っていただけるわけです。この手法は、ゲーム全体を通じて多用することになりました。では次は、今のシーンとの対比が著しい例を見てみましょう。仁が志村の養子になるより、冥人として生きることを表明する山場のシーンです。ここでは重厚感を狙って、また元来つらいシーンがさらに心をえぐる出来になるよう、オーケストラ音楽が使われています」
(※下の動画では1:32目あたりからの部分)
「オーケストラがシーンにどれだけの重みをもたらすものなのかが、よくわかりますね。ひとつ前に見たバトルシーンとは実に対照的です。普段はあまり聞こえてこないオーケストラ音楽をここぞという瞬間に入れることで、そのシーンの特別感を際立たせる効果も大きくなるわけです。このように本作の音楽の多くは、Sucker Punchが望んだ通りのミリマリスティックな和の美意識と、壮大かつ感動的なサムライ・ストーリーのバランス調整の上に成り立っているのです」
◆ふたりのアレンジャーの『ツシマ』回想録
ビルともうひとりのアレンジャーであるチャド・キャノン(日本語の略歴記事。『ホビット』三部作や『ゴジラ』にも携わり、久石譲のアレンジャーも務めている上に日本語も堪能、アジアとアメリカの音楽交流を推進するNPOの設立者でもあるという、これまたすごい人物である)も『ツシマ』リリース時、個人サイトでそれぞれ回想録をアップしている(ビルに至ってはRedditでAMAスレも立てている)。ふたりが書き記した内容はざっと羅列するだけでも、
など、盛りだくさんであった。ビルは自分がかかわった作業を時系列順に、網羅的にまとめているが、チャドの手記は元寇の史跡めぐりを通じての歴史的背景紹介が中心。おもに米国内であがった「文化盗用」批判に対する個人的な見解も述べており、ビルとはまた別の意味で読み応えがある。興味をお持ちの向きは、ぜひ両方に目を通してみて欲しい。
◆最後に
『ツシマ』関連ではないのだが、梅林茂が羽生結弦の「SEIMEI」の音楽について応じた日本語インタビューを紹介したい。ここで梅林が語っているのはそのまま、『ツシマ』での仕事にも通じる話のような気がするのだ。
「海外の仕事が増えて、日本人としてのアイデンティティはますます強くなりました。いや、アイデンティティというよりは、自分が大切にしなければいけないものを海外の人が気づかせてくれる。それが大きいですね」
「例えばですが、アメリカ人がいて、イギリス人がいて、アラビア人や中国人がいて、日本人もいる。そこで『はい、赤を持ってきてください』と言うと、みんな違う赤を持ってくるんですよ。それって、実はすごく大事なことなんです。我々としては『こんな赤もありますよ』っていうのを世界にどう伝えられるか、だと思うんです」
「あちらが言う“日本的”というのは、お寿司屋さんでお寿司を食べることなので、こちらとしては、そうじゃないことが必ず出来る、と思い続けてやっています。それを教えてくれたのがビートルズ。『ノルウェーの森』のイントロでジョージ・ハリスンが使った楽器はインドのシタールでしょ。Norwegianな楽器でもないしインドでの出来事を歌っているわけでもない。音作りに既成概念がないんです。それがすごく大事」
◆参照元一覧
・記事
・動画
・ポッドキャスト