『ゴースト・オブ・ツシマ 』 原語と日本語の違いを味わう
『ツシマ』日本語版は、ローカライズの足したり引いたりアレンジしたりのさじ加減の幅が広く、原語と日本語の違いも味わい深いものがあります。ローカライズチームの皆さんが日本語話者への伝わりやすさ優先で調整した結果生じた違いであり、ある意味違って当たり前なので、そこに非を鳴らしたいわけではありません。ローカライズの方針だとか、何を優先して訳しているのか訳者さんの意図を類推するのが楽しいというお話です。何より、好きな作品の言語ごとの違いを比較する作業は単純に面白い。以下、周回プレイ時にとったメモをもとにTwitter上で連投していた話を、加筆修正してまとめました。セリフが3種類並んでる場合の順番は上から日本語版、原文、より原文に即した拙訳となります。
◆日本語版アレンジいろいろ
まず「足してる」例、たとえば救出後の志村が仁に向かって言う「離れることになるな。くれぐれも用心しろ、必ず生きて戻れ」なども原文のセリフ自体は"We will meet again soon. Until then, travel safely."(またすぐに会おう。それまでは道中、心してゆけ)でかなりプレーンな、なんてことない言い回し。しかしそれだけに、「この訳者さんは演者のお芝居を汲み取って、あるいは次々と家族を失ってきた志村が唯一残された身内の仁をちょっと過剰なぐらい大事にしてるという解釈のもとに、志村の離れがたい気持ちを前面に押し出しておられるのか…!?」と想像をめぐらせてニヤニヤできるんですよね。『ツシマ 』はとくに意訳が大胆なので、面白い盛りっぷりの訳を見つけるとワクワクします。
またコトゥン・ハーンが金田城に幽閉中の志村に向かって「誉でも食って飢えをしのぐがよい」と捨てゼリフを吐くシーンは、原文より煽り度が上がってる例。
原語は脅し、日本語訳は煽り。「誉」を重んじる志村への悪意がより強調されてます。おそらくこの頃の記録であろう書状「ハーンとの対話 五」には、志村から自分の寛大な申し出を一蹴されて荒れ狂うコトゥンの様子がしっかり描写されているので、タイミング的には志村への苛立ち度MAXだったのでしょうね。
しかし志村、仁の金田城突入のタイミングによっては空腹でフラフラだったかもしれないのに、即城内の蒙古兵を掃討してたの笑いました。ガチに「誉を食って」飢えをしのげる人だということを証明してるあたり、まさに筋金入りです。
逆にズバッと削られている部分もあります。典雄クエストの兄・円浄がらみの話。原語の典雄は杉寺に仕えながら「所帯を持ち」「兄と自分の妻や子同士が一緒に暮らす」という将来を思い描いていた、と語ってるんですけど、日本語には一切反映されてません。単純に尺が足りなかったか、一般論として僧侶の妻帯は禁じられていたことを慮ってのことなのかは不明。宗派によってはトップが妻帯してたとこもありますけどね(そういや杉寺、宗派は何なんだろうか)。
また、英語でしかわからない情報と日本語でしかわからない情報が両方あって面白かったのが、百合クエ中の一場面。大叔母一族の墓所へ毒の材料を集めに行き、蒙古兵に荒らされた墓の様子を目の当たりにした仁はこう呟きます。
原語からわかるのは、仁のおばの名前が「まつ」だということ。実母の名が「千代」であることを考え合わせると、もしかして仁の血縁にあたる女性名には戦国武将の賢妻の通称をあてたのかな? という連想も働こうというものです(卯麦谷の「卯麦御前」も原語では武田信玄の継室「三条の方」と同じ"Lady Sanjo"という名前になっているので、地位と立場ある女性名に歴史上のヒロインたち由来のものが混じってるのかもですが)。一方、日本語版では「まつ」が故人であるというニュアンスがより明確にされているし、彼女が仁の父母いずれかの姉だったらしいこともわかる。「叔母」と「伯母」を使い分けているので、大叔母=「まつ」ではないらしいことも。英語だと「叔母」も「伯母」も"aunt"で処理されるので、漢字でしかわからない情報があるのは中世日本を舞台とした海外作品ならではです。原語のライター陣や文化監修の専門家との表記まわりの確認作業、さぞ大変だったろうなーと思いますが。
◆「冥人」の言い出しっぺは誰?
「冥人」という言葉の初出、日本語版では仁が小松でゆなとともに蒙古兵撃退に成功した瞬間なのですが、この時、原文において"the Ghost"という言葉は使われていません。
それを受けての仁も、
と、やっぱりthe Ghostとは言ってません。原文でのセリフ上初出はそのすぐ後で、
つまり「冥人」の命名者はゆなのハッタリを聞いた小松の誰かということに。しかし日本版では「伝説の武者・冥人様」という独自の表現で、「冥人」という二つ名の言い出しっぺはゆなであると規定しています。セリフ上の初出も一応ゆなではあるようなんですが、何故でしょう? 最初は嫌々だった仁が自ら冥人を名乗るようになるまでの過程は物語の重要ポイントですから、そのスタートラインをよりクリアにしたかったのか、あるいは「復讐ナントカ」だと政子とイメージがかぶることでも心配したのか、興味深いところです。
※補足: 当記事をアップした翌日、なんと『ツシマ』ローカライズを担当された石立 大介様よりTwitter経由で以下のようなリプライをいただいてしまいました! ミステリの解決編のような鮮やかなご回答はこちらです
◆酒盛り中会話のニュアンス
こちらは鑓川防衛戦の前夜、酒を酌み交わしながらゆなの身の上話を聞いた仁がふと漏らすひとこと。
原語の「walk away」は「自発的に距離をとる、離れる、立ち去る」の意。逃げることが「最善手」とする日本語版と、他にどうにもできない「唯一の手」だとする英語版で微妙なニュアンスの違いもあります。原語で「Our」と「we」が使われているのは、文脈次第で一般論としての「人間」を指しているとも、昔の自分もゆなと似た経験をしたという共感をこめているとも解釈できるところ。「人称を省略した方が自然な文章になる」という日本語の特性がうまいこと噛み合って、日本語版でもちょうどいい具合にぼかされている部分ですね。今我々が知る『ツシマ 』のストーリーの範囲内では「ああ、目の前で父親に死なれてからの経緯を思い返して言っているのかな」という印象を受けますが、このセリフに関しては境井仁のオリジナルキャストであるダイスケ・ツジ氏(漢字表記は「辻大介」。仁の外見モデルとイベントシーンのモーションキャプチャー、声も担当)が興味深いボツ設定を明かしていたので、以下に発言部分を抜粋します。
どうやらここでの仁のセリフ(演技も)はボツ設定を前提としていたようなんです。その点、日本語版では「walk away」に「run away」寄りの「逃げる」という訳語をあてることで「殺される間際の父親に『助けろ』と言われても怖くて物陰に隠れてしまった過去」を連想しやすくなるよう、プレイヤーの想像力を誘導しているように見えなくもないんですよね。バックストーリーや各種設定の移り変わりが日本語訳に影響を与えることはあったのでしょうか? たとえば「ゆな」の名前はけっこう土壇場まで「よね」だったとか、開発当初の仁には兄弟がいたという話もあったりするのですが、気になるところです。
◆「誉は浜で死にました」比較
ゲーム内随一の名シーンにも、原語版と日本語版では違いがあります。まず金田城攻略にあたって毒の使用を主張した仁への、志村の反応。
日本語版では「獣」という蔑称になってますが、原語は具体的に「蒙古」と名指ししてますよね。これは仁としてはかなり心外だったはずで、イベントシーンでも思いがけず虚をつかれた表情をしています。たったひとりの家族である志村を救い、民を守りたい一心で仕方なく武士の誉をなげうって戦ってきたのに、なぜそんなことを言われなければならないのかと。伯父上に提案を認めてもらえなかったどころか、敵と同類扱いされたことへの悲しみや反発、絶望感が名台詞のトリガーとなります。
ここでの違いは、原音だと「honor(誉)」の後に入る間をより長めにとっていること。ツジ氏は主語「honor」の後を区切り、続く「died on the beach.」を強調するリズムを作っています。書き言葉だと主語と動詞の間にカンマを入れるのは文法的にNG(例外あり)なのですが、話し言葉で間をおくのは珍しいことではなく、ここでは強調の効果以外に無念さを際立たせる機能もありそうです。なぜなら抑揚のつけ方を確認すると「Honor died on the beach.」はより沈痛な調子、次の吐き捨てるような「The Khan deserves to suffer!」で抑えていた感情が一気にあふれ出す、という段階を踏んでいるから。一方の日本語版は「オナー」より「ほまれは」の方がやや余計に尺をとってしまうこともあって、途切れの少ないひとつながりのセンテンスになっています。それも七五調の韻律をビシッと決めるためで(英語版のシラブル数はこのセリフ全体で6-7、日本語版の拍は7-5、7-5)、お芝居としては冒頭から「ハーンの首をとるために!」に繋がる激情が迸ってる感が。「感情の爆発」に辿り着くまでの道筋の違いがよくわかります。
仁が鬱積した不満をぶつけるパートの原語では、志村の不在中民の心の支えとなったのは自分だという自負が如実に表れてますね。ツジ氏の声のトーンは中井和哉氏より高めなので、「ひとりの青年が自己確立するまでの成長物語」でもあるツシマという作品のターニングポイントにふさわしい「青さ」が際立ちます。なおこれは原語版だけの特典でもあるのですが、英語音声の仁は志村相手に感情をあらわにする時、子供の時と似た声に戻るという法則があったりします。少年期と青年期、両方の仁の声を担当したツジ氏ならではの芸当ですね。
また思わずビンタをお見舞いしてしまった後の志村のセリフにも違いがあるんですが、
原音の尺が短すぎる箇所で、「No.」部分は日本語訳に反映されていません。映像翻訳でもよくある処理(ストーリー上無視できないような重要情報であれば反映されます)ですね。ここも初プレイ時は「仁、初めて殴られたみたいな顔してたけど志村に手上げられたことなかったのかなぁ」と思ってたんですけど、前述のボツ設定を踏まえると意味が変わってきます。殴った方の志村が即座に罪悪感にかられた顔をしているのは、仁が父親に虐待されていたことを知っていたから。一方、仁が志村を非難するような目つきになって態度を硬化させたのは、それを知っているはずの志村が殴ってきたことへの怒りから。演者ふたりがお芝居をした時点ではまだ以前の設定が生きていた、と考えると辻褄は合います。しかしその設定がなくなった以上は、「違うのだ」は反映しない方が情報としてスッキリするかもしれませんね。人によっては「違うって何が?」と引っかかってしまうし、仁が対話を打ち切る流れにも影響ありませんから。
◆ハーンへの殺意高めな仁
こちらは破の段最終クエスト、志村城に攻め入る前のゆなとの会話のシーン。
と、原語ではかなり具体的に死に様を指定しています。毒矢や毒の吹き矢を蒙古兵に使うと、全身をガクガク痙攣させてもがき、大量吐血しながら死んでいきますよね。結局ハーンは不在だったものの、あの死に方をさせてやるとハッキリ口に出す恨みの深さ。温泉セリフ「思うこと」でも「首をとるか、溺れ死にさせるか。否、あやつの安達殿への仕打ちそのまま、火を放ってやろう」と物騒なことを考えていましたが、やはりたかを失った後とあって随分と攻撃的になってるんですね。
◆冗談言う仁と言わない仁
こちらは日本語版のシリアスなセリフが、原語版だと冗談めかした、あるいは皮肉気なセリフになっている例。まずはクリア後のアジトで仁が思い出の品についてあれこれ語るパートからの抜粋です。
「我が身を顧みて慨嘆する」という核は日英同じですが、「著名な」「人気のある」「モテる」などの意味がある「popular」という言葉を使っている原語にはやや皮肉っぽい含みがあります。日本語版は「将軍」部分を実際の追っ手となる「本土の武士」にわかりやすく言い換えてくれてますね。
「What have I gotten myself into?」は「もしやヤバイことに巻き込まれた?」とハッとした時に使うフレーズ。仁と石川先生の師弟関係がどんな雰囲気なのかが伝わってくる、師匠イジリのセリフになっています。日本語版は尺内でスッと理解しやすい情報の出し方を選択した上で、「晴れて」あたりにほんのり諧謔味を漂よわせている感じでしょうか。どちらにせよ、仁が幕府公認のアウトローになったのも構わず弟子入りの証まで授ける先生の硬骨漢ぶりにぐっときますね。仁にも認め状の意味するところは伝わっているものの、素直に感謝するのはシャクなのでちょっとヒネた反応をしてみた、そんな経緯を想像したくなるいいライティングだと思います。
続いては、仁が一番よく冗談を飛ばす相手だった竜三とのやりとり。太平砦の蒙古軍を襲撃する手筈を相談するシーンです。
最後の2行でとぼけたことを言っているのは日本語版だと竜三、英語版だと仁(そして竜三がツッコミ)という違いがあります。とくに「俺の仇を討って兵糧を奪えばいい」の部分、日本語版は重々しい口調なのですが、原語版キャストのツジ氏は明らかな軽口口調でシレッと返してるので、英語話者にはクスッと笑えるセリフになってるんですよね。ツジ氏のサイン会でこのセリフの添え書きをリクエストする海外ファンもいたぐらいなので、『ツシマ』ではまあまあ珍しいギャグシーンとして印象的だったんじゃないでしょうか。あと原語版竜三を演じたレオナード・ウー氏の「冗談になってねぇんだよ」という言い方、ぶっきらぼうだけど本気で心配してる響きがありまして、この時点では仁のことを裏切る気はなかったんだろうな、という察しもつく仕様になってます。
◆demon呼ばわりされたあの人
仁の温泉モノローグによると志村は少年時代の竜三を「the demon child(鬼子)」と毛嫌いしていたそうですが、本編中で「demon」呼ばわりされた主要キャラにはもうひとり、石川先生がいます。以下は石川先生クエスト「冥人と先生と」の冒頭。仁が先生と自分を悪名高い追い剥ぎだと勘違いしている百姓に出会うところから始まります。
ストーリーを進めて判明するデマの出元は、もちろん巴。なので「the Demon Sensei」という二つ名の命名者も彼女と思われるのですが、恨みつらみをストレートにぶつけたようなネーミングといい、それを聞いてすぐ誰のことか察しをつける仁といい、原語版は何とも味わい深い導入部になってます。しかもこのクエストの原題はそのものズバリ「THE GHOST AND THE DEMON SENSEI」。英語版を再確認して、「浮世草」のタイトル画面にこの文字列がバーンと現れた瞬間、失笑を禁じ得なかったですよね。なお原語版の「Sensei」という言葉は日本語ネイティブ目線だと違和感ある使い方をされている場合があるため、日本語版では折々「先生」を使わない言い方に整えられています。
◆志村の下の名前
伯父上の諱は結局のところ不明なのですが、英語版の仁が旗指物集めの僧侶に向かって語る志村家の由来パートに、ちょっとしたヒントが示されています。
日本語字幕には反映されていないため「トキアサ」の漢字は不明ですが、「トキ」は「時」としても「アサ」は「朝」なのか「元」なのか、はたまた「旭」なのか、気になるところですね。また鑓川家が志村家に反旗を翻した際の当主の名前が「時頼(英語版はトキアサ)」だったことを考えると、志村家と鑓川家は元はともに久下原家の郎党で、主家から「時」の一字を与えられていたという可能性もあります。いわゆる「偏諱を賜る」風習は、室町時代ぐらいから武家の間でも行われるようになったもの。鎌倉時代には早すぎるかもしれませんが、ツシマの文化・風俗の時代設定はざっくり平安末期〜江戸期まで侍の世の時代を網羅しているので、ありえない話ではなさそう。主君から賜った一字はその家の通字となり、代々の当主に受け継がれる場合があるので、もしかすると伯父上の諱にも使用されているかもしれませんね。
◆志村と仁の公的な立場
『ツシマ』世界での仁は「地頭の甥」と呼ばれることも多いわけですが、原語を聞くと志村との間にはもうひとつ、別の立場があることがわかります。正の葬儀の場面での、志村の(身についた習性で感情を抑制していても、幼くして家族のたったひとりの生き残りになってしまった甥が不憫で不憫でならない気持ちがどうしても滲み出てしまっている眼差しをした後に言うあの)セリフです。
幼くして孤児となった仁に、一応の立場を保証して安心させてあげようとしたわけですね。葬儀の翌日にってすごい早業ですけど、以降、志村と仁は伯父と甥、後見人と被後見人という間柄だったことになります。
◆といっても盤石の立場ではなかった仁
志村は、仁を引き取るにあたって"I will raise you as my own son" (お前を実の我が子として育てよう)と声をかけた通り、愛情をもって父親がわりを務めてきましたよね。しかし公人として正式に仁を養嗣子に立てる決意をするまでには、かなり長い時間がかかっていました。作劇上の都合で片付く話かもしれませんけど、謎は謎です。仁自身も宙ぶらりんな立場を不安視していたことを物語る回想シーンがありました。原語では、
仁、何かの拍子に竜三から痛いところをつかれて、しょんぼり戻ってくる→ショックがさめらやぬ段階で志村と鉢合わせしてしまい、思わず逃げる→甥の様子がおかしいので志村が追いかけてきた、という流れがわかるシーンです。竜三がわざわざヤなこと言うに至った心理とか、志村は単身でどこから仁を追いかけてきたのかが気になるところですね。だってあそこけっこう志村城から離れてますよ。
◆仁と竜三の「ライバル」関係
あのかっこいい竜三装束、仁の目にはカカシっぽく見えるんですね。この再会時のやりとりから竜三が仁にコンプレックスを抱いていることが徐々にわかってくるのですが、日本語版の竜三の方が軽口度が高く、よって韜晦度も高い気がします。というかぶっちゃけ原文の方がハッキリ嫌味を言っているので、もしかすると「さては竜三、仁のことが嫌いだな?」と感づくのは英語話者のプレイヤーの方が微妙に早いかもしれません。たとえば多久頭魂の墓地でのシーン。少ない手勢で蒙古から食糧をぶんどる算段を立てながらの、以下の会話。
この少し前、竜三は「小茂田で菅笠衆の半数が死んだ」と仁に話していました。志村、そしてその身内で同じ侍身分である仁にも、思いっきり当てこすりを言ってるわけです。悠然と構えてるように見えて、めちゃくちゃ言いたいことたまってるんだな竜三……ってなりますよね。また竜三がここでも使っている"my men"という言い方、原文は「手下」「部下」という意味合いで使っている(竜三が菅笠衆を"my men"と呼んだことから、仁は今の竜三の立場が昔とは違うらしいと気づいてたので)んですが、日本語版の竜三のセリフでは「仲間」で統一されてます。仁が竜三に対して"your men"と言う時は「手下」という日本語をあてているので、竜三の美点を際立たせる意図があるのでしょう。
(ちなみに「死地に生あり」というのは仁が勉強したという孫子の「死地に陥れて然る後に生く」を下敷きにした訳かもしれないです。原文に孫子の引用を匂わせるニュアンスはないので、脚本のト書きに書いてあったとかじゃなければ訳者さんの演出かも)
さらに、竜三風装備「裏切り者の装束」の原語は"Deadly Rival's Attire"(恐るべき競い手の装束)で、裏切り者を意味するtraitorとかbetrayerではない。英語のrivalには和製英語と違い「好敵手と書いて友と読む」的ニュアンスはなく、同格の競合相手という意味合い。かつ、opponentほど淡々としてもいなければenemyと言い切るほどヘイトが強いわけでもないとこがミソで、「こいつにだけは負けてなるものか」みたいな意地がこもってる言葉がrivalです(奇譚の「群雄」も原語ではRivals)。ようは竜三の立ち位置ってそういうことなんだなあ、と想像できる言葉選びになっている。日本語版の装備まわりの名称は全体的に装飾的で喚起力の強い言葉が使われてるので、竜三のイメージを一番強く喚起する「裏切り者」が使われたのかなと想像する次第……だったんですが、頭装備の竜三風菅笠の原語は普通に"Betrayer's hat"となってるので、原語の表記が揃ってなかったのを日本語訳で修正したのかもですね。
◆ゆなと仁の距離感
ゲーム本編のゆなと仁は友人であり戦友、「冥人」伝説の共作者、やがては家族同然かそれ以上の強い絆を結ぶわけですが、恋愛関係に発展しているかというと微妙なところ。その微妙なところがまたいいんだよなー! と思っている私が、原文と日本語の双方でニヤニヤしてしまったセリフはこちらです。たかの死亡直後、冥人が対馬の人々にとって抵抗のシンボルになっていることをゆなが語るシーン。
たかを失った直後でなければ、ゆなはどんな反応をしていたんでしょう。ちなみにこの場面、時系列的には仁がゆなに刀を預けて捕縛される少し前。武士の命かつ実父の形見でもある刀をすんなり託せるのは、よほど信頼している相手でなければ無理ですよね。なので作劇上は、「仁にとってのゆなは、単に救うべき民のひとりではない、特別な信頼を寄せる存在である」という前置きとして機能するシーンにもなっています。そこで「わかっておろう」とか言っちゃう日本語版の仁! 言葉を濁す感じがいかにも不器用で、いや不器用なのか何なのか本当にはよくわかりませんけど、それはそれでクゥッと来ますね。
◆日本語版にない? 騎乗中セリフ
単独でマップ移動中の仁が愛馬に向かって話しかけるセリフ(NPCが同行してる時は言わないってことは内緒なんでしょうか…)は、ランダム発生かつ字幕も表示されないため日英で対になっている表現がしかとは確認しづらいのですが、もしかして原語版にしかないのでは? というセリフが以下。
何かこう、重めの愛を感じます。あとboyと呼びかけているということは、愛馬はオスだったんですね。
◆装備の染色名の自由度
随分違うな!? という点がかえって痛快なのは、装備まわりの名称。とくに染色名は意訳レベルではなく、けっこう原文度外視でぶっちぎってるものもあります。原文は"Moonlight Slayer"とか"Shadow of Justice"とか、素直に日本語訳したら絶対西洋ファンタジー的な名称になっちゃうよな、というネーミングがほとんどなので、装備周りの日本語訳は漢字の熟語でギュッとコンパクトに統一した方が、日本語話者にはしっくり来ますもんね。とくに染色名は「銘」をつけるような感覚で日本語をあてており、原文のエッセンスを活かしてるもの、イチから発想を変えているもの、装備特有のテーマを割り振っているものなど様々な工夫をこらして、西洋臭さを見事に消しています。ここまで思い切らないと日本のプレイヤーにとって違和感のない情報にならなかったんだな、ということがヒシヒシと伝わってきますね。
たとえば「武家の鎧」の仁の子供時代風染色は日本語だと「黄雀」、原語だと"Unburdened heart"(荷負わずの心)。壱岐編クリア時に入手できる染色なので、ようやく心の重荷をおろすことができた仁の心境や、志村に守られて背負うものが少なかった子仁ちゃんのイメージが「雀」の一字に感じられます(「欣喜雀躍」みたいな)。
また「忠頼の装束」の染色で彼岸花モチーフの「花月」は、原文が"Flowers of War"(いくさの花々)。六本刀との決闘場のひとつだった彼岸花畑イメージの染色であるらしいことが、原文を見るとわかります。で、長尾忠頼は浅藻浦を海賊から守った英雄という設定なんですが、彼の名を冠した装備の染色名を並べてみると日本の狩猟文化、とくに鷹狩りが主なテーマになっている模様です。
しかも、日本の鷹狩りが古来より支配階級の娯楽だったことを踏まえているような節もある。四季折々の鷹狩り風景のスナップショット、といった趣もありますよね。この衣装のデザインがもつ歴史的背景をそれとなく示唆しているんだと思います。
「境井家の鎧」染色の日本語訳は将棋がテーマ。初期色「銀将」の原語が"Kazumasa's Darkness"(正の闇)で、日英双方なんでその名前にしたのか詳しく…! と鼻息荒くならざるを得ない。「銀将」って正のイメージなんでしょうかね? 「金将」とともに「玉」の守りに使われることも多い駒なので、「銀将」が正だとしたら「金将」は志村、鎌倉幕府が「玉」とも解釈できそう。あと『God of War』コラボ染色「英雄」の原語が"Ghost of Sparta"なのはちょっと笑ってしまいました。正しくコラボな名称ですね。
「剣聖の装束」の染色のうち5種類の日本語訳には天下五剣の名前が流用されてますが、たとえば「三日月」は原語だと「Woodland Omen(森のお告げ)」で一気に地味なイメージに。「童子切」も"River Serpent"(カワヘビ)とかなので、もしかすると全染色中、一、ニを争う落差かもしれないです。
他にも色々興味深い訳があるんですが、『ツシマ 』は北米のデベロッパーが作った日本のサムライ・ファンタジー作品なので、ともすればローカライズの方が「本場らしさ(authenticity)」を演出できてしまうという意味で非常に特殊。染色名の日本語訳はその逆転現象の実験場というか、遊び場みたいになっていて非常に面白いです。出版翻訳や映像翻訳なら、そこまでの自由度が許容されるケースって邦題をつける時ぐらいですし。
◆温泉セリフ「思うこと」拾遺
小ネタ満載の「思うこと」、原語版にはさらなる小ネタが隠れていたりします。
ここでの湯治のタイミングというのは死の直前で、幼い仁も連れて来ていたようです。亡くなったのも湯治場でだったのでしょうか? 『ツシマ』内の風俗や文化は鎌倉時代から江戸時代ぐらいまでがごっちゃになってますが(サムライファンタジーなのでそれで良い)、江戸時代でも月1回洗髪すれば多い方という感覚だったそうですね。また日本で「1週間」という概念が一般化したのは明治期以降なので、日本語版では"few weeks"が便宜上「ひと月」と訳されていたりします。
項目名が「政子」なので主語が政子に変わってます。仁と安達家の子供たちは湖に入って水遊び、千代と政子はおしゃべりに花を咲かせる。原文の方がより賑やかな感じで、青海湖の思い出の風景がさらにほのぼのしますね。そして千代と政子のママ友感。本当に家族ぐるみのお付き合いだったようです。
「信濃梨」については最初、海外にも流通してるリンゴのシナノゴールドからとったのかな? と思っていたんですが、ちゃんと典拠がありました。調べてみると信濃梨は古くから名物として知られ、平安時代の歌学書『能因歌枕』にも12月の季語として紹介されており、『堤中納言物語』や『宇津保物語』にも言及が、かつ西行の歌などにも詠み込まれていたようです(西行は温泉チュートリアルNPCの話に名前がちらっと使われてます)。またゲーム内で名もなき民が書いた書状「こもだの しるす」にも信濃梨への言及があり、古くなった握り飯の味が「うまい しなののなしのよう」(原文では"Taste better than a pear from Shinano."、「しなののなしより うまい」)だとする感想が記されていました。鎌倉時代の信濃から九州の離島まで、梨が腐らないうちに届く流通網があったかどうかまでは未確認ながら、ゲーム内の対馬では庶民にも広く評判が伝わっていた様子です。また壱岐編では千代が幼い仁をお菓子で釣ってお稽古事をサボらせていた、というエピソードが紹介されてましたが、原語だとそのお菓子は"pears or dried melon"(梨や干し瓜)と明記されていたので、仁の梨好きはけっこう年季が入ってるものと思われます。それと浅藻の"sweet seaweed"は、「甘い海藻」ではなく「甘海苔」の直訳のようです。現代の一般的な板海苔も分類上の属名でいう「アマノリ」が原材料なのだそうですが、ここでの「甘海苔」は平安末期以降の海苔の呼称のひとつ。明治4年に対馬で作成された「御国内産物高張」(宗家文庫)にも産物のひとつとして記載があります(ソースはこちら)。
ちなみに志村がらみでの「思うこと」では"When uncle is free, we'll eat his favorite meal... vegetables sweetened with mirin on a bed of rice."(伯父上が解放された暁には お好きなもので食膳をともにしよう… 大盛り飯の上に みりんで甘く煮つけた野菜をのせたものを)とも語っていたので、仁と志村は中世の人らしく甘み=ご馳走という認識なのかもしれないです。そして伯父上、のっけ飯がお好みなのはちょっと意外。本編中にみりんやウナギへの言及があることから、『ツシマ 』世界の食文化は江戸時代ベースらしいこともわかりますね。
※信濃梨、及び甘海苔についてのヒントは、Twitter経由で@maylanhowat様よりご教示いただきました。ありがとうございました!
◆終わりに
以上、メモをもとに『ツシマ』英語版と日本語版の相違点の一部を紹介しました。元々のキャラ設定やセリフの細かいニュアンスがよくわかる原語版と、日本語がオリジナル言語だと思っている海外プレイヤーも少なくない力作ローカライズ。両方の言語を比べると3Dメガネなしで3D映画を見ているような微妙なブレが興味深く、またそれぞれの良さにも感動できて二度おいしいのです。尺の制限等で日本語版から漏れてしまったのであろう情報はまだまだ落ちているので、周回プレイの際にでも探してみると楽しいかもしれません。NPCに思わぬ名前がついていることが確認できたりするので(壱岐での「白紙の物語」関連クエストに登場する「蜂飼い」の名前が原語だと"Hachibee"だったりとか)、おすすめは「日本語音声・英語字幕」。演者の解釈の違いまで楽しむなら、各言語版のイベントシーン集動画を比較してみてください。