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雨の日雑記

 私は雨が好きな子供だった。今でも雨音を聞くと心が落ち着く。周りの子たちが外で遊べないとぐずるなか、私は一人で窓の前に座って外に降る雨を見ていた。もちろん、晴れた日には友達に混じって駆け回ったが雨の日にはまた違う魅力があった。
 まず何より音が好きだった。雨音と言っても細い霧雨が降り続く時のサーサーという音だ。いくら雨好きでも土砂降りの雨が屋根に打ちつける音には人並みに怯えた。気にしなかったら聞こえないくらいの音がいい。窓辺に座っている自分にだけ静かに降り続く雨がガラス越しに聞かせてくれる、そんな雨の日の秘密をこっそり教えてくれる雨音にずっと耳をすませていた。
 ガラスについた水滴も私の心をくすぐった。小さな水滴がガラスに沿って落ちながら出会い、合わさり、大きな水滴になって、重さに耐えられなくなってツーと落ちる。水滴のたどった跡を目で追うだけで楽しかった。ガラスに顔をめいっぱい近づけて水滴を覗き込むと窓の外の世界がゆがんで映っていた。
 雨の日に外に出るのも好きだった。私が水溜りばかり歩きたがるので、帰る頃には長靴を履いていても靴下がぐっしょり濡れ、母を困らせた。水溜りは深ければ深いほどよかった。はじめからバシャバシャ音を立ててはだめだ。どれだけ深いか探るように一歩ずつ静かに進むのだ。水溜りの真ん中の最も水深の深い場所を見つけると、足を踏みならして水を撒き散らす。そうやってひとつの水溜りを堪能するとまた次の水溜りに入っていく。なかなか家にはたどり着かなかった。植え込みやブロック塀にカタツムリを見つけると、立ち止まってしばらく眺めていた。ちょっとつついて引っ込めた目や触角がふたたび伸びるのを覗いたり、殻に引きこもったカタツムリがまた動き出すまで待っていたりした。時には持って帰ってきて庭のアジサイの葉の上に放してやったりもした。カタツムリが触角を動かしながら殻を揺らして進む姿が好きだった。
 雨が止んで雲の切れ間から日が差すと、水溜りや建物についた水滴に反射してすべてがまぶしく輝く。窓ガラスの水滴にも歩道の水溜りにもこの時だけは虹色の波紋が映った。
 きょうは、雨の日。

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